サティヤ サイババの御言葉

日付:1994年7月19日
場所:サイ ラメーシュ ホール
バールヴィカス大会開会式における御講話より

教師、両親、政府の役割

神の愛の化身である皆さん、教師の皆さん、学生の皆さん、教育者の皆さん! どれほど知識があっても、社会の幸福を願う心がなければそれらの知識は一切役に立ちません。善良な特質が伴わないのであれば、あらゆる知識は役に立ちません。

日々の行動が洗練されなければ、
幅広い知識があっても、名声はもたらされないだろう。
道徳心を伴わなければ、
規則を遵守していても、その人の価値は高まらないだろう
もしあなたが限度を超えて権力のおごりを示すのであれば、
この世で一体誰があなたを尊敬するというのか?
もしあなたがダルマ(正義)を踏み外しながら他の人にダルマを説くのであれば、
そもそもあなたは人間として見なされるのだろうか?
もし罪への恐れと神への愛を抱かないのであれば、
あなたはこれまでに何を成し遂げてきたのだろうか?
本当に人間らしい人生を送り、少なくとも今この瞬間から、人間になりなさい。

愛の化身である皆さん! 現在私たちが必要としているのは、新しい教育制度ではありません。私たちは新しい社会制度を必要としません。これらが変わっても、私たちが直面している問題の解決にはなりません。今私たちに必要なのは、ハートと心(マインド)が純粋な男性と女性です。心の純粋さと人格の品位に欠けた社会においては、高潔な心の人間は少ししかいません。霊性がなければ、純粋さも、道徳性も、品位もありません。高潔な人格の男女がいない国が栄えることはないでしょう。

バーラタは八重咲のバラのようなもの

この世界には、聖なる地、バーラタ(インド)ほど多くの人種、宗教、言語を持つ国は他にありません。バーラタは多様な人種、宗教、言語、文化を持つ多人種の庭として、輝きを放っています。さまざまな宗教や文化は、庭園にある多種多様な花のようなものです。さまざまな慣習や文化が、この国の多面的な輝きを生み出しています。この多様性の素晴らしさは、言葉で表現することができません。バーラタは八重咲の蓮のようなものです。

バーラタは、愛を霊性の道と見なし、真理を呼吸と同じくらい大切だと考える人々の故郷です。不幸にして人々は、世俗的で身体的で物質的な物事を追い求める中で道に迷い、人間としての己の基盤となる神性を忘れてしまっています。

このような状況では、教育制度を検討しなければなりません。教師たちは、教育制度の根本的な特長を考慮しなければなりません。早い時期から、太古の教育システムは、社会の中で高潔で理想を育むのに役立つ広いものの見方を発達させ、美徳と道徳心を促しました。今日、教育組織の中で私たちが目の当たりにしている変化とはどのようなものでしょうか? この聖なるバーラタの地で、今日の幼い子供たちを明日の理想的市民へと形作るのは、誰に責任があるのでしょうか? この質問を正しく検討した時に初めて、私たちは自分たちの問題に正しい解決法を見出すことになるでしょう。両親に責任があるのでしょうか? もしくは、生徒たちの知性を伸ばす教師たちに責任があるのでしょうか? あるいは、国の進歩のために努力するよう公言する国のリーダーたちに責任があるのでしょうか? あるいは、教育制度を担当する行政官たちに責任があるのでしょうか? あるいは、学生や国民向けに文学を生み出す作家たちに責任があるのでしょうか? 彼ら全員がそれぞれの義務を適切に遂行しているかどうかという質問が問われるかもしれません。彼らには、自分のハートを観察して、答えを出させましょう。その時に初めて、私たちが抱えている教育問題への解決法が見つかるでしょう。

無規律の責任は誰にあるか?

学生たちの間では、ほとんど完全に規律が衰退しています。規律を元の方向に戻す方法は何でしょうか? 無規律の原因や、この状況への解決策を見つけようとしている人は誰かいるのでしょうか? この無規律の責任は誰にあるのかを探求することなく、学生たちを責めるのは誤りです。責められるべきは学生たちではありません。

真実はこうです。学生たちは、適切な本や著作物を通じてバーラタの文化や理想の偉大さを教えられていません。私たちは子供に、独立をめざして戦った模範的人物や、国のために命さえも投げ出した人々の物語を教えているでしょうか? 自国が独立する権利を主張したバール ガンガーダル ティラクや、ラーラー ラージパト ラーイ、ピピン チャンドラ パール、ネタージー スバーシュ ボースのような偉大なリーダーたちの生き方を通じて、学生たちにインスピレーションを与えているでしょうか? 道徳と人格が重要であると宣言した偉人たちのメッセージを学生たちに教えているでしょうか?

学生たちは善良な特質を育むよう教えられるべきである

私たちは、マハーバーラタやラーマーヤナのような偉大な叙事詩の教訓を学生に伝えていません。父親がした約束を守るためにすべてを犠牲にしたシュリ ラーマの物語を、学生に教えているでしょうか? 学生は、ダルマを守るために国外に追放され、根や葉の上で生活したダルマジャの犠牲について聞いたでしょうか? 両親に奉仕する中で労を惜しまなかったシュラヴァナクマールの信愛について学んでいるでしょうか? 師に対して負っている負債として、師が欲したものすべてを捧げる用意をしていたエーカラヴィヤについて何か教わっているでしょうか? 私たちは学生に、神の御名を唱えながら喜びを感じ、帰依者を救うためにやって来た神の無限の力を示したプラフラーダの物語を教えているでしょうか? 私たちは学生に、バーラタだけでなく全世界に関連するバガヴァッド ギーターの偉大なメッセージを伝えているでしょうか? 学生たちは、非暴力よりも偉大な美徳はないという真理を宣言した仏陀のメッセージを受け取っているでしょうか?

学生たちは、イエスの慈愛の意味を教わっているでしょうか? 預言者ムハンマドのメッセージについて聞いているでしょうか? すべての信仰は一つであると讃えたナーナクの聖歌を教えられているでしょうか? ジャーンシー藩王国のラクシュミーバーイー王妃や、パドミニー王妃や、その他の偉大なヒロインたちが示した勇気と犠牲について学んでいるでしょうか?

学生たちの愛国心が衰えているのは、これら高潔な振る舞いの手本が教えられていないからです。国への愛が無関心に取って代わられています。私たちは学生の中に国への深い愛を育まなければなりません。学生たちは、理想的で価値ある方法で己の才能と能力を生かす方法を教えられるべきです。現代の学生たちは、良い特質を育むことをせず、悪い友達との付き合いで人生を無駄にし、エネルギーを野放しにしています。変わることなく長続きするのは人格のみです。学生たちは、己の美徳を培っていないために、堕落しているのです。

責められるべきは誰か一人ではなく、全員

この責任は誰にあるのでしょうか? 家庭においては両親に責任があります。学校や大学では教師に責任があります。それ以外では、適切な教育制度の定義を極秘に行った政府、若い人々を正しく教育するのは自分たちの義務であると認識してこなかった行政官たちにも責任があります。このように、誰か一部の人々ではなく、彼ら全員に責任があるのです。家庭では、両親が子供に良い特質と高潔な理想を育むことを教えるべきです。書物による知識だけでは不十分です。書物による知識は実際的ではなく、表層的なものです。学生たちには、一般的知識と常識も必要です。

教師は、理想的な人生を送ることを可能にする知識と技能を学生たちに伝えなければなりません。今日の学生はあらゆる種類のつまらない政治運動に参加しています。道徳性と規律が欠けています。教育機関の数は増えていますが、教育の質は低下しています。その理由は、適切な教科書が子供たちの手に入らないからです。

道徳と人格は書物に限定されている
ハートは四つのことでいっぱいだ
手は利己的な目的のために使われている
これが現代の教育の進歩である

ある者は、自分に対して行われた善に、危害をもって報い
ある者は、自分を食べさせてくれた人を裏切り
学生たちは教師を馬鹿にする
これが私たちの進歩なのだ

学生たちは人間的価値を育まなければなりません。偉人たちの教えが教えられなければなりません。教育とは、生計を立てるための学位を得ることではなく、良い人生に向けての準備でなければなりません。教育の内容を高めなければなりません。教師は学生たちに、規律と従順さと謙虚さの順守を教え、社会への奉仕の精神と同胞意識を植え付けなければなりません。

一つの宗教、愛という宗教だけがある

階級や宗教の違いという意識を、学生たちの心から消し去らなければなりません。学生は、神への信仰を持ち、人類は一つであるという感覚を持つべきです。すべての宗教的教えは、本質的に同一の真理を教えています。それゆえ、いかなる宗教も見下してはなりません。政府の方針のために、宗教に対する誤った態度が生じています。世俗的(非宗教的)国家というコンセプトが不用意に使われています。世俗主義(非宗教主義)の本当の意味は、あらゆる宗教や信仰を等しく尊重しなくてはならない、ということです。ただ一つの階級があります。人類という階級です。ただ一つの宗教があります。愛という宗教です。ただ一つの言語があります。ハートという言語です。もしこれらの基本的真理が私たちの学生たちに教えられていたら、将来彼らがどのようにして国家に奉仕することができるだろうかと想像してごらんなさい。ですから最初に教師が見本を示さなければなりません。両親が理想の手本を示さなければなりません。政府は、その行動において、模範とならなければなりません。今日、私たちの教育制度が荒廃しているのは、教師と両親と統治者たちが正しい模範を示してこなかったからです。

生徒たちが行うべき運動を実演して見せる体育教師のように、教師は説教と実践を組み合わせなければなりません。太古の霊性指導者たちの僧院で、グルが弟子に教えていた方法がこれなのです。

心(マインド)から生じる六つの特質

この状況においては、身体と心(マインド)の違いを理解すべきです。人間の身体は、じっと静かに立っているのは容易ですが、走り回るのは容易ではありません。心(マインド)の場合は、平穏に保つことは難しく、いつも忙しく動き回っています。人間の六つの敵、すなわち、色欲・怒り・欲張り・迷妄・高慢・嫉妬は、肉体から生じます。しかし心を磨けば、たくさんの善良な特質を生じさせることができます。善良な特質・善良な思い・真理の順守・信愛・規律・義務の遂行は、心から生じる六つの特質です。これらは人間らしさを保つ特性です。人は、マヌジャと呼ばれます。マヌジャとは、マヌに由来する者という意味です。マヌは、人類すべてにとっての道徳規範であるダルマシャーストラ(マヌ法典)の最初の著者です。これらは、今日でも育み、実践すべき特質です。それらは、心に連動する人間の特性です。善良な心(Good Mind)は神の心(God Mind)です。教育の衰退は次のことからもわかります。昔は弟子たちを「神の子」(God Boy)と呼んでいました。ところが時代が下がるにつれて、ゼロが一つ付け加えられて、「良い子」(Good Boy)と呼ばれるようになりました。さらに時代が下がると、教師は子供たちに対する愛を失って、ゼロが一つ抜け、「さようなら」(Good Bye)と言うようになりました。そして今では「Good」さえも失われて「バイバイ」(Bye Bye)になっているのです。

教師の皆さん! あなたの模範によって学生たちを感化しなさい。あなたの内面に、怒りや嫉妬や憎しみが入り込む余地を与えてはなりません。子供たちに、純粋性(Purity)、忍耐(Patience)、堅忍不抜の精神(Perseverance)という三つのPを教えなさい。これらの三つの特質で武装すれば、軍隊や原子爆弾よりも上手く国家を守ることができます。真理と正義が守られる時、国家は安全に保たれるでしょう。真理は神です。これは国籍や宗教に関係なく、あらゆる国、あらゆる場所における真理です。真理も正義も、空間と時間という境界を超越します。

私は学生たちに霊性の道を教えてきました。学生は、愛をもたらす信仰心を身に付けなければなりません。自信が土台であり、真我顕現は屋根です。人間的価値を実践することによって、己の潜在能力を完全に実現することが、人間の最終的な運命です。

頭脳と食べ物と神の調和は、万人にとって不可欠

学生から教育当局まで、皆がこの精神に関心を持てば、欲するものすべてを勝ち取ることができます。教師は、ただ生徒に教えているだけで満足してはなりません。教え子の両親に会って、家庭で教え子がどのように振舞っているかを確かめなければなりません。ほとんどのバールヴィカス教師は農村地域で働いています。生徒たちに物語を語り、歌やバジャンを教えるだけでは不十分です。教師は子供たちに、健康と食べ物についても教えなくてはなりません。たとえば、水がフッ素で汚染されている地域では、教師は、水を飲む前に汚染された水をどのように取り扱うかを子供たちに教えなければなりません。教師は、神を悟るにはどのようにして頭脳と食べ物を浄めるかを子供たちに教えるべきです。頭脳と食べ物と神が調和すれば、バーラタの理想的な市民が育つでしょう。どこにいようとも、国籍や宗教や性別が何であっても、すべての人にとって一体性は不可欠です。愛は、一つに結びつける力です。大会期間中の三日間を有効に使って、小グループに分かれてあなた方の仕事に関する問題をすべて洗い出し、現場の役に立つ決議を行いなさい。

教師の皆さん! すべての人の間に、人種や宗教や階級にかかわりなく、人類は一つであるという感覚を育みなさい。バーラタを世界のリーダーにしなさい。バーラタの在り方すべてが霊性に基づいています。もし霊性がなくなったら、バーラタは存在しなくなるでしょう。もしバーラタがなくなったら、全世界がなくなるでしょう。神への信仰はバーラタの生気です。この信仰があれば、バーラタはいかなる困難にも立ち向かうことができます。子供たちに勇気と自信を吹き込みなさい。愛を通じて、愛だけで、彼らを一つにまとめなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.27 C20