サティヤ サイババの御言葉

日付:1998年1月1日
場所:サイ クルワント ホール
西暦の元旦の御講話より

三重の清らかさ

信愛のみが、至高の善を授けてくれる
信愛のみが、輪廻(りんね)の病を滅ぼしてくれるもの
信愛のみが、神性を悟る手段
信愛のみが、解脱の手段

愛の化身たちよ! 信愛〔バクティ〕によってのみ、人は至高の真理に到達します。信愛によってのみ、人は生死という病から解放されます。信愛によって、人は神を悟ろうと努めます。信愛によってのみ、人は解脱を達成します。バーラタ〔インド〕人は、バクティ(信愛)を人生の至高の目的、最高のゴールと見なして、古来よりバクティの道を追求してきました。

バクティ(Bhakti)という言葉は、さまざまに解釈されてきました。バクティの語源は「バジ」(Bhaj)です。シャンカラは「バジャ セーヴァーヤーム」〔奉仕を通じて神を崇めよ〕と言明しました。シャンカラによれば、「奉仕は信愛」です。あなたは誰に奉仕をするのでしょうか? 奉仕の形とは何でしょうか? 神への奉仕が真の奉仕の形です。「ヴィヴェーカ・チューダーマニ」〔シャンカラの著書『識別の至宝』〕では、バクティの意味を別の方法で詳述しています。「スヴァスヴァルーパ ダルシャナム バクティ」(真の自己を認識することがバクティである)、と。

信愛の偉大な主唱者であったナーラダ仙は、「バジャ パラマバクティ」〔至高の信愛を崇めよ〕と言明しました。ナーラダは、バクティとは主の御名に浸ることから生じる信愛の絶え間ない流れである、と定義しました。ナーラダはまた、パラマバクティ(至高の信愛)で満ちている者は、肉体を忘れ、神への愛に完全に浸り、陶酔状態にあると言明しました。これは、真の信愛とは、肉体を忘れ、神の愛に完全に没頭することであるということを意味しています。

ラーダーとバクティ

ヴィシシタ・アドヴァイタ哲学〔条件付不二一元論〕の提唱者であるラーマーヌジャは、ラーダーの名前からバクティの意味を導き出し、バクティとは神への絶え間ない愛の流れであると解釈しました。「ラーダー」という単語には、ラ、アー、ダ、アーという4つの音節が含まれている。この単語は、ラから読むとラーダーだが、アから読むとアーダーラになる。ダから読むとダーラーになる。2番目のアーから読むとアーラーダになる。アーダーラは「基盤」を意味する。ダーラーは「絶え間ない流れ」を意味する。アーラーダは「礼拝」を意味する、と。このように、ラーダーは、ラーマーヌジャにとって、神への礼拝の絶え間ない流れを表明しているのです。

ヴァラッバーチャーリヤは、別の解釈を示しました。彼は信愛の絶え間ない流れと、しずくとなって落ちる信愛とを区別しました。ハートが完全に神への愛で満たされているとき、帰依者は絶え間なく神の御名を唱える。そうした帰依者の心の状態は、「サルヴァダー サルヴァカーレーシュ サルヴァットラ ハリチンタナム」(いつでもどこでも絶え間なく神を憶念し続ける)と表現される、と。

真の信愛は神を友と見なすこと

マーダヴァーチャーリヤは、真の信愛とは神を唯一裏切ることのない友と見なすことであると述べました。他の友人たちは皆、一時は友人であっても、後には敵対するようになるかもしれません。このように、この世の友人は皆、いつかは敵に変わるかもしれません。神は唯一の真の友です。マーダヴァーチャーリヤは、真の信愛とは神を最も偉大な友と見なす神への愛の現れであると定義しました。

ヴェーダは、以上のすべての解釈を超越した真理を宣言しています。ヴェーダは、ニッティヤムとスヴァーガタという2つの言葉を何度も繰り返しています。ニッティヤムとは、あらゆる時代を通じて変わることのないものです。これは、過去・現在・未来という3つの時間すべてにおいて変わらない真理であるとも表現されています。スヴァーガタとは、その光り輝く力のことであり、それはその光を自ら周囲に広げて存在し続けます。

このことは太陽によって例示されています。太陽は変わることなく自らの光を四方八方に広げている存在です。太陽の永続性はニッティヤの属性を示しており、その光の拡散はスヴァーガタの性質を示しています。どちらの性質も一つの実体を源としています。スムルティ〔ヴェーダ以外の聖伝〕は、この性質をスヴァルーパ・スヴァバーヴァ(姿と質の組み合わせ)と呼びました。

太陽には2つの性質があります。一つは光を放つという性質、もう一つは熱を伝えるという性質です。同様に、アートマには2つの性質があります。一つはプラバーヴァ(発散)、もう一つは光を周囲に広げる性質です。あなたの家にあるランプはその例です。ランプは一つでも、その光は家全体を照らします。それと同じように、アートマはその姿においてただ一つです。それは永遠であり、不変です。スムルティはそれを、「サッティヤム グニャーナム アナンタム ブランマー」(至高の自己は、真理であり、英知であり、無限である)と表現しています。グニャーナ(霊的英知)をあらゆる場所に広めるのは、アートマの本質です。

スムルティは、アートマはアヌ(原子)の姿をしていると明言しています。ここには、宇宙には原子を持っていないものは存在しないという意味が含まれています。すべての物質は原子でできています。経典は、神はアヌスヴァルーパ〔原子の姿〕として遍在していると宣言しています。神はまた、大宇宙としても存在しています。

ダルミーとダルマ

神のアヌスヴァルーパ〔原子の姿〕はダルミーと呼ばれています。この姿をとって、ダルミーはすべての被造物の中に存在していますが、すべての被造物はダルミーの中には存在していません。宇宙に存在するすべての物体は互いに異なるように見えますが、それらすべてに内在している神聖原理は一つであり同じです。その神聖原理は、すべての物体の根底にある単一性を明示するものであり、ダルミーと呼ばれています。これは、ダルミーは一見多様に見える物体すべてを一つにするものであるということを意味しています。

ダルマは物体の姿における多様性を表しています。そうしたすべての物体の単一性を明らかにする根本原理がダルミーです。ダルミーは、ヴェーダにおいて、ムーラーダーラ・パダアルタム、つまり、万物の根源にあるもの、と説明されています。この原初の根本的な実体は他のすべてのものの基盤です。今、このダルミーの重要性が忘れ去られつつあります。また、ダルミーはすべてに浸透しているということも忘れられています。

すべてに浸透しているダルミー(神性)は、微細な原子としてすべての物体の中に存在しているので、人はダルマ・スヴァルーパ、すなわち、ダルマの化身であると見なされています。人間は何のために肉体を与えられているのでしょうか? 何のために存在しているのでしょうか? 経典は、「シャリーラム アーディヤム カル ダルマサーダナム」(体はまさしくダルマを達成するための第一の道具である)と述べています。体はダルマを実践するために人間に与えられているのです。今、人々は自分が存在するようになった目的を忘れがちです。人々は、自分の義務を無視しています。無意味な空想を追い求めています。そのため、自分の本質を理解することができずにいます。

祝祭の役割

祝祭は、人々に本当の神聖な性質を理解させるために意図されています。今日はヴァイクンタ・エーカーダシー〔内なる天国の扉が開くとされる日〕です。ヴァイクンタ〔天国〕とは何でしょうか? 主の住まいは、ヴァイクンタ、カイラーサ、スヴァルガなど、さまざまに述べられています。これらはすべて想像上の名前です。

神の住まいとは何でしょうか? 主はナーラダ仙に言いました。「どこであれ帰依者が私の栄光を歌う所に私は住む」、と。主は帰依者のハートの中に住んでいます。これが主の「本宅」です。他のすべての場所は「別宅」です。ハートに宿る神聖なる者に宛てたメッセージは、必ず神に届きます。神の住まいとしてのヴァイクンタは、変わることのない場所を意味します。人間には多くの変化があるかもしれませんが、ハートは変化しません。エーカーダシーとは何を意味するのでしょうか? それを何か特別な場所や時間と考えるべきではありません。エーカーダシャ・ルッドラ〔11のルドラ神〕の姿は、五つの知覚器官と五つの行動器官と心で構成されています。ルッドラは人体に宿る者であり、人体は多くの潜在力で満ちています。現代の人々は、これらの潜在力と、ハートに宿る神性を忘れています。

新年の日は来ては去っていきます。それらは何の役に立つのでしょうか? サムヴァッツァラ(一年)は主の御名の一つです。一瞬一瞬が新しいのです。自分を変えるのに、なぜ1年も待つのですか? 新年やヴァイクンタ・エーカーダシーといったこの世の祝祭にとらわれているかぎり、神はあなたを避けるでしょう。現象界と肉体意識を忘れて、初めてあなたは神を悟ることができるのです。

人間の3つの行動媒体

あなたの内に生じる愛を神に向けなさい。あなたの体を神に捧げなさい。これは真の信愛の印です。人間には3つの構成要素があります。それは、心(マインド)、語る言葉の力、体です。この3つは、トリカラナ、すなわち、人の3つの行動媒体〔3つの道具〕と呼ばれています。この3つが神聖な目的のために使われるとき、人は神聖化されます。

持っている信条にかかわらず、人は誰もが魂を磨く必要があります。すべての人に信愛が必要です。人のハートと心を浄化できるのは霊性だけです。第二の必要条件は道徳です。道徳はヴァーク(語る言葉)を浄化するのに役立ちます。第三はダールミカムです。体や手によって行われる正しい行いはすべて、人を神聖化します。3つの道具〔心・語る言葉・体〕は、霊性と道徳とダルマによって浄化されます。この三重の清らかさを達成した者だけが、神を悟ることができるのです。もしこれらの道具のどれかが不浄であれば、神を悟ることはできません。

神を理解するためには、人間は宇宙全体に浸透している微細な原子の原理を理解しなければなりません。神を理解することの難しさは、ゴーピカー〔牧女〕たちによって認識されていました。ゴーピカーたちはこう明言しました。「どうすればあなたを知ることができるでしょう、おお、クリシュナ! あなたは小さなものの中で最も小さく、宇宙に存在する84万の種の中で最も大きなものよりも大きいのです」

大切にすべき3つの装飾品

人は、神の遍在を信じて、善行に励み、善い思いを抱き、人生を善い修行に捧げるべきです。言葉は真実の言葉であるべきです。大切にすべき装飾品は、語る言葉にとっては真実、手にとっては慈善、耳にとっては聖なる伝承の傾聴です。自分の神性に対する信心を深めなさい。そうすれば、自分の人生を救うことができます。良心に従いなさい。ハートを清らかにしなさい。

世俗の事柄に没頭していては、神を悟ることはできません。知識には2種類あります。ダルメー・ブータ・グニャーナとダルマ・ブータ・グニャーナです。ダルメー・ブータ・グニャーナは姿形に関する知識です。ダルマ・ブータ・グニャーナは名前に関する知識です。この2種類の知識に基本的な違いはありません。名前と姿形は相互に関連しています。この真実を理解しなければいけません。すべての存在の内で輝いている意識は、神の姿であり性質です。この姿形と名前の一体性を正しく理解しなければいけません。こうした概念にはどれも、外的な意味と内的な意味があります。内なる意味を把握しなければなりません。例えば、ここにあるマイクはテーブルの上に置かれています。テーブルが土台です。テーブルは大地の上に立っています。大地が土台であり、テーブルは大地に支えられています。土台はアーダーラと呼ばれ、土台に支えられているものはアーデーヤと呼ばれています。現代人はアーダーラ〔土台〕を忘れがちで、アーデーヤ〔土台に支えられているもの〕のことばかり考えています。

神のサポートがあればすべてのことが成し遂げられる

愛の化身たちよ! 新年は毎年、規則正しくやって来ます。一方、あなた方は何か新しい考えを抱きましたか? あなた方は、古い、間違った考えを捨てていません。そのようなものは捨ててしまい、神聖で、崇高な、新しい考えを持たなければなりません。もしあなた方が、古い考え方や行動の仕方を変えないのであれば、新年を祝うことが何の役に立つでしょう? 貴重であり神聖でもある時間を適切に使いなさい。役にも立たない噂話にふけるのはやめなさい。思いやり、愛、同情といった善い性質を培いなさい。自分の行いを注意深く監視して行動し、自分で自分を罰して行動を正しなさい。さまよう心や怒りは、簡単な方法でコントロールすることができます。そして、神を頼みとしなさい。

あなたを支える神の力をもってすれば、成し遂げられないことは何もありません。カルナとラーヴァナは、背後に神の力がなかったために滅ぼされた強者の例です。パーンダヴァ兄弟が救われたのは、神への信心と団結のおかげです。世界の出来事は、ある一族は団結のゆえに繁栄し、ある一族は一族が分裂したせいで苦しむことになったことを示しています。

今、国家は何よりも団結を必要としています。団結を促進することができるのは、神への信心を通してです。この会場にいる人々の多様性を見てごらんなさい。彼らは異なる信条を持ち、異なる国籍を持っています。その全員が、スワミへの共通の忠誠で結ばれています。神を信じるというたった一つの気持ちによって、団結を達成することができるのです。分裂の原因となっているのは、この信心の欠如です。

あなた方は皆、神の化身です。あなた方は皆、愛と平安の化身です。あなた方は人間の姿をした神です。このことを確信できるようになりなさい。神の愛に浸りなさい。その愛を神に捧げなさい。そうすることで、あなたはすべてを愛するようになります。この愛の原理を身につけたときにのみ、あなた方はこのような祝日の意味を知ることができるようになるでしょう。自分の父親や母親のために立ち上がるのと同じように、神への信仰のために立ち上がりなさい。

社会への奉仕をしなさい。社会がなければあなたは生きていけません。あなたの幸福は、社会の幸福と密接に結びついています。すべての人を神の一つの家族の一員として愛し、すべての人との一体感を育みなさい。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.29 Ch1