サティヤ サイババの御言葉

日付:1996年1月15日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
サンクラーンティの御講話より

三重の変容

太陽は涼しげに穏やかに見え、
日が短くなって、冷たい風が吹き、
田畑が黄金に実る
農民たちは、夜、明るい月の光と共に、歌い喜ぶ
川のほとりでは、花のつぼみが真珠の花輪のよう
農民たちは、収穫したばかりの穀物を持ち帰り、
陽気なサンクラーンティ祭の到来を祝う

愛の化身たちよ!

バーラタ〔インドの正式名で神を愛する者たちの国の意〕のお祭りは、内なる意味がたくさん詰まっていて、至福を与えてくれるものであり、派手なショーではありません。どのお祭りにもそれぞれ無類の意味があります。

太陽は、毎月、黄道帯の一つの宮を移動して、一年で十二宮を回ります。そのうち主な宮は四つあります。主な移動(サンクラーマナ)の一つめはマカラ サンクラーマナ(磨羯宮(まかつきゅう))〔山羊座〕への移動、二つめはカルカータカ(巨蟹宮)〔蟹座〕への移動、三つめはトゥラー(天秤宮)〔天秤座〕への移動、四つ目はメーシャ(白羊宮)〔牡羊座〕への移動です。この四つのうち、最も重要なのはマカラ(磨羯宮)です。太陽が磨羯宮に入ることは、肉体的にも、倫理的にも、社会的にも、道徳的にも、意味があります。

太陽の北行

今日から太陽は北行〔ウッタラーヤナ/北への旅〕を始めます。北とは何を意味するのでしょうか? 北はモークシャ(解脱)につながる方向であると考えられています。太陽はヒマーチャラ(ヒマラヤ山脈)に向かって移動すると言われています。ヒマーチャラという言葉は二つの単語でできています。

ヒマ + アチャラ = ヒマーチャラ(ヒマアチャラ)

「ヒマ」とは「雪のように白いもの」を意味します。「アチャラ」とは「どっしりとして揺るがないもの」を意味します。この記述が当てはまる場所はどこでしょうか? ハートの領域です。純粋で安定したハートの中に、ブッディ(知性)という太陽が入っていくのです。

外の世界の旅に出る必要はありません。ウッタラーヤナ(北行/北への旅/ウッタラ〔北〕+アヤナ〔旅〕)とは、知性を内側に向けること、ハートへと向けることを意味します。内側で味わう至福だけが、人にとっての真の至福です。それ以外、外側の、五感の喜びはすべて、一時的なものです。アートマ原理だけが、純粋で永遠で無限です。これはモークシャ(解脱)の住まいと呼ばれています。モークシャへの旅は、解放を求める探求と呼ばれています。

サンクラーマナ(移動)の時は、純粋で穢れのないハートへと向かう内的な旅の時です。ちょうど太陽が北行を始めるのと同じように、サンクラーンティ〔ウッタラーヤナの始まりの日であるインドの冬至〕は、神我顕現を目指して知性をアートマへと向ける日です。

ヴェーダは、ウッタラーヤナ〔太陽が北行をする冬至から夏至までの半年〕は神聖な期間であると明言しています。偉大な戦士ビーシュマは、自らの命を終わらせるのに、矢の床に横たわったままウッタラーヤナの到来を五十六日間待ちました。プラーナ〔インド神話〕は、誰であれウッタラーヤナの期間に亡くなった者は解脱に到るであろうと述べています。

お祭りの内的な意味

宮から宮への太陽の移動の中で、磨羯宮(まかつきゅう)〔山羊座〕に入る移動が最も重要です。磨羯宮は平安と満足のしるしです。グレゴリオ暦〔太陽暦〕によると、それは一月十三日もしくは十四日に始まります。それはある種の心と体の平安を授けます。

この時期、農民や農地で働く他の労働者たちは、休息の期間を楽しむことができます。農民は、ほっと一息ついて、労働の果報を味わいます。穀倉はあらゆる穀物でいっぱいになります。農民には、この時期以外は休息の期間がありません。今月、農民は心と体の安らぎを味わいます。

サンクラーンティ祭をはじめとするお祭りの真の意味を理解している人はごくわずかです。身体的な喜びを介して永続的な至福を確保することはできません。人は、こうした至福の源は自分の中にあるということを見いだす必要があります。サンクラーンティは、人がこの発見をすることができるようにしてくれます。それは、頭の上にメガネを載せているのにメガネがなくなったといってそこいら中を探していた人が、メガネはずっと自分の頭の上に載っていたということを発見するようなものです。

神はどこか他の場所にいるのではありません。神は人のハートの中にいます。ですから、自分のハートの中の神を求める人は、自らを救済します。その時、その人は解脱を得ます。これ以外の外的な霊性修行はすべて、一時の価値しかありません。それらを内面の修行に変えて、永続的な至福を体験すべきです。心の修行はどれも、ハートには影響を及ぼしません。九つの信愛の道は、神聖なものに耳を傾けることで始まって、アートマ ニヴェーダナム(アートマへの全託)で終わりますが、この最後の道が最も重要です。アートマ ニヴェーダナムの後は、他のどんな努力も必要ありません。サンクラーンティは、その全託を呼びかけています。

サンクラーンティが助長する感情

(スワミの御講話の前のスピーチの中で)スッバ ラーオは、サンクラーンティは家族のお祭りのようなものだと述べました。そうです。サンクラーンティはそういうものです。ですが、全世界は一つの家族です。このお祭りは全世界にかかわるものであり、身内や親戚に限ったものではありません。サンクラーンティは全人類にかかわるものです。人々がそれをわかっていようといまいと、サンクラーンティはありとあらゆる人の幸福感を助長します。

サンクラーンティは、心の変容を助長し、人々のハートを照らし、内なる感情のほころびを誘発します。サンクラーンティは、万人の内に存在する目には見えないアートマの顕現を引き起こします。サンクラーンティは、こういった計り知れない意味をはらんでいるのです。

サンクラーンティは、心のみならず自然の力にも影響を及ぼします。自然は心の映しです。世界は心に起因している(マノームーラム イダム ジャガト)のです。心がハートのほうに向いて、ハートが神で満たされると、心は悩みの種ではなくなります。心は五感の主人です。五感がコントロールされているときには、心もコントロールされています。心の主人になった人だけが、マーダヴァ(神)に到達することができます。

若者は、自分のあらゆる悪い考えや悪い行いの根本原因は食べ物だということに気づくべきです。食べ物の性質が心の状態を決定します。食べ物というのは、単に食べたものだけを意味するのではなく、五感を通して受け取り、心の中に蓄えられたすべてのものが含まれます。スッバ ラーオが言ったように、心は引き寄せる力を持っています。心は、外の世界からあらゆるたぐいの印象を引き寄せます。

テレビの害

今、どの家庭にもあるものは何でしょう? テレビがあります。富裕層の家では、どの部屋にもテレビが置いてあります。テレビが登場した瞬間から、人の心は汚染されてしまいました。

テレビが登場する前は、人の心はそれほど汚染されていませんでした。以前は、暴力行為はこれほど横行してはいませんでした。今では、すべての家にテレビが置かれています。人々は食事の最中でさえテレビを見ています。その結果、視聴者はテレビで見たあらゆる汚れたものを食べています。テレビへの集中は、人の世界観に影響を及ぼします。テレビに映し出されるシーンや思考や行いが、視聴者の心をいっぱいにします。知らず知らずのうちに、心の中に動揺や悪い感情が入り込んできます。そのうち、それらは心の中に根を張って大きくなっていきます。

ですから、物を食べているときに恐ろしい事件を話題にすべきではありません。心を興奮させるような話題に隙を与えてはなりません。食事中は静寂が広がっているべきです。音波でさえ私たちの中に入り込み、私たちの心に影響を及ぼします。ですから、食事中はテレビを避けるべきです。

今、「スターTV」〔インドの衛星放送〕というものがあります。これは人の生活に大きな害を及ぼしています。それによって与えられる一時の満足の後には、長く続く損害が待っています。それは蜂蜜でコーティングされた刃のようなものです。蜂蜜を舐めると、刃があなたの舌を切ります。

バーラタだけでなく、世界中がテレビのもたらした結果に苦しんでいます。

聖なる思いで生活を満たしなさい

現代人は、生まれてから死ぬまでずっと、一連のトラブルに悩まされています。トラブルの海の中で、どうやって幸せを望むことなどできるでしょうか?

現代人は、自分の見方、思考、言葉、行いを変える必要があります。これが、サンクラーマナ(移動)の意味することです。あなた自身を浄化しないかぎり、あなたが経たサンクラーンティの数に何の意味があるでしょう? 皆さんは今朝、甘いプラサーダムを味わいましたが、しばらくすると、その味は消えてしまいます。重要なのは甘い食べ物ではありません。あなたの生活を聖なる思いで満たさなければなりません。それが、さまざまな神聖なお祭りの目的です。

若者たちは、なぜ魚や鳥や動物のように自由を享受してはいけないのかと尋ねます。若者たちは、そうした生き物たちはそれぞれ自分の本分に従って自由を享受しているということを理解すべきです。同様に、人間も人間の状態と結び付いた自由を楽しむべきです。自分は人間だと言いながら動物の生活を送ることはできません。人間の自由を楽しみなさい。動物のように自由でいるということは、動物になるということです。人が楽しむことのできる自由とは何でしょう? 人間には一定の制限があります。人間は真理を固守する必要があります。人間はダルマに従う必要があります。人間は愛を育む必要があります。人間は平安に生きる必要があります。人間は非暴力を守る必要があります。これら五つの価値を貫くことで、人間は人間の自由を行使することができます。これら五つの価値は、宇宙を構成している五元素と結び付いています。五元素は、使われ方は違えども、宇宙を構成している基本的な物質です。五元素を超えたところには、一つの第六の元素が存在します。それはアンタッカラナ、すなわち、内なる促し手です。それはアートマ原理と同一です。

本当の意味での自由を行使するためには、五つの根本的な価値を尊重する必要があります。その自由の中でこそ、人は真の至福を見つけます。

模倣が致命的な病気になっている

自由を行使するのだといって、ただ他人の真似をするのはいけません。現代の若者の間で、服装やその他の振る舞いにおける模倣が致命的な病気になっています。人真似をするのではなく、万事、自分の良心に相談するようにしなさい。映画とテレビが、ことごとく人々を混乱させてしまいました。人々は自分の中にある神性にまったく気づかなくなってしまったのです。

現代人は寛容を失っています。古代の聖仙たちは、苦行中に自分の体の上に蟻塚が築かれることすら許していました。現代人は、ハエや蚊にほんのちょっと邪魔されても我慢なりません。若者は寛容と我慢強さを養うべきです。心の平安がなければ幸せはありません。平安は神聖な思考を通してのみ得ることができます。

現代の若者は自信を失っています。彼らは自分に向けられた批判に動揺します。その批判が正当なものかどうかを判断して、もしそうである場合には、自分を正すべきです。批判が正当なものでない場合には、無視すべきです。私自身を例にあげて言いましょう。もし誰かがどこかで「サイ ババの髪の毛はもじゃもじゃだ」と言ったら、私はそれを受け入れます。それは本当だからです。もし誰かが「サイ ババはハゲだ」と言ったら、私はそれを無視します。それは本当ではないからです。私がわざわざ相手と喧嘩をする必要がどうしてあるでしょう? もし自分にない欠点を批判されたら、たとえ全世界がその批判に加勢しても、あなたはそれを無視してよいのです。

私たちが「シャーンティ、シャーンティ、シャーンティヒ」と三回唱えるのは、これは体と心と魂の平安を願う祈りだからです。この祈りを三十年間口にしてきたにもかかわらず人々が平安を見いだせていないのは、自分のハートに平安を据えていないからです。人々は、甘く、優しく話すことを学ばなければなりません。

学生は世界の悪を取り除くことを誓うべし

学生諸君! 教育番組以外、テレビは一切見てはいけません。特に食事中はいけません。食事中であろうと、いつであろうと、その時にしていることに集中しなさい。

皆さんは、世界の今の多くのことを観察していますが、どうしたら自分の知識を活かして世界をより良くすることができるかを考えなければなりません。学生諸君は、男女共に、世界から悪を取り除くことを誓わなければなりません。収入を得るのは偉業ではありません。世界の平和と繁栄を確保することが最高の偉業です。家庭の平和から始めて、国家の平和のために努力しなければなりません。

何よりもまず、一体性が大切です。若者は、一体性を促し、国家に奉仕すべきです。どこに行っても平和のための力となるべきです。教育を受けた若者は、規律と善い振る舞いの模範となるべきです。両親と年長者を敬い、母国を愛し、母国の偉大さを守りなさい。

サンクラーンティは、一体性と平和の到来を告げるものとして歓迎すべきです。これは、はるか昔のヴェーダのメッセージでした。

「共に和をもって生き、共に努力しよう」

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会