サティヤ サイババの御言葉

日付:1996年4月19日
場所:コダイカーナル
女性に関する御講話より

ストリー(女性)

愛の化身である皆さん

行動の道(カルマ マールガ)は美しい花であり、信愛の道(バクティ マールガ)は青い果実であり、英知の道(グニャーナ マールガ)は完熟した果実です。バーラタ〔インド〕の子供たちよ、お聞きなさい。まず花がなければ、果実を得ることもないでしょう。さらには、完熟した果実も手に入らないでしょう。花が基盤です。すなわち、英知(グニャーナ)への基盤は行い(カルマ)なのです。

行い(カルマ)でいっぱいのこの世界において、女性として生まれるのは大変幸運なことです。無知な男たちは、自分たちは女性より優れていると考えています。女性は、誇り(自尊心)、富(高貴で有徳な性質)、優しい話し方、教養、知性、強さ(不屈の精神)、忍耐力を具(そな)えています。インドだけでなく、外国においても、このことを理解していない男たちがいて、女性は男性より弱く、重要な仕事をする能力がないと考えています。無知ゆえに、男たちは、男性は女性より体力があり、重要な仕事をする能力を持っているのは男だけだと考えているのです。もし家庭や地域社会や国家が尊敬を得ているとすれば、それは女性たちのおかげです。

私たちは自分の国を『母国』と呼びます。『父国』と呼ぶ人はいません。「あなたの言語は何ですか?」と尋ねる人はおらず、たいていは、「あなたの『母国語』は何ですか?」と尋ねます。「あなたの『父国語』は何ですか?」と尋ねる人はいません。地域社会の評判は女性たちにかかっています。この世の誰もがこう言います。「これこれが私の母国であり、これこれが私の母国語です」と。もし男性が何かダルマを果たすための行いや大きな儀式をしたいと思ったら、常に、まず、その家の女性(主婦)と話し合うべきです。首尾よく仕事を成し遂げたいと思うなら、妻の協力が必要です。行動を起こす前に妻と話し合わなければ、上手くいかないでしょう。

たとえ悪い夫でも、妻は夫に善い助言を与えることができなければなりません。妻は善い助言を与えることのできる大臣のようなものです。マンドーダリーはどうでしたか? ラーヴァナが、あらゆる罪を犯したにも関(かか)わらず、あれほど長く生き存(ながら)えたのは、妻であるマンドーダリーの善い助言のおかげでした。マンドーダリーは言いました。

「あなたは強い人で、教養があり、知的で、裕福かもしれませんが、ひとたびシーターがあなたを呪ったら、あなたはすぐに灰になってしまうのですよ。ですから、あなたは女性の力の特質を理解すべきです」

もし男性が供犠(ヤグニャ)を執り行いたいと思ったら、妻もその場に一緒に座らなければいけません。慈善を行いたいと思っても、妻がそばにいなければいけません。正直者のハリシュチャンドラ王は、真実しか知りませんでした。ハリスチャンドラが自分の王国を聖仙ヴィシュワーミトラに差し出したとき、妻のチャンドラマティーは夫であるハリシュチャンドラと共にいました。もしチャンドラマティーがそこにいなかったら、ハリシュチャンドラはそうはできなかったはずです。女性は男性の心臓に等しい存在であり、男性の半身です。

女性は、家庭に尊敬をもたらす者であることから、「グリハラクシュミー」〔家(グリハ)の富の女神〕と呼ばれます。男はお金を稼ぐことができますが、家族に善い評判をもたらすのは女性です。家で料理をして食事を出すのは女性ではありませんか? 女性は、あらゆることに気を配って家の評判を保つことから、「キールティ」〔名声〕とも呼ばれます。富というのは紙幣だけで成り立つものではなく、健康、幸福、純粋さ、清潔さといった善い性質も富の要素です。妻はこれらの善い性質をすべて具えているために、「グリハラクシュミー」と呼ばれるのです。

女性には、優しく、相手を和ませるように話す能力があり、それによって、女性は自分と家族の敬意を保ちます。夫婦が一緒に歩いたり話をしたりするのを見かけるようになったのは、もっぱら最近のことであり、夫が客間で男性客をもてなしているときに妻が口を出すようなことはありません。この種の敬意を保つことができるのは女性だけです。

ブッディ(知的な識別力)は、女性のもう一つの特質(エネルギー)です。朝出かけていった夫が悩み事をいっぱい抱えて帰宅したとき、夫を和ませるように優しく話して慰めるのは妻です。だからこそ、妻は「ダルマパトニー」(ダルマを守る女主人)と呼ばれるのです。女性は男よりも知的です。女性は集中することができ、男性よりもよく働きます。男性は自分の識別力を職業としての仕事だけに使いますが、女性は状況に応じて識別し、どんな仕事にも対処することができます。たとえば、男性も女性もスクーターや車を運転しますが、警察署に行って誰が事故に巻き込まれたかを尋ねてごらんなさい。女性が運転しているときには、事故はあまり起こりません。その理由は何でしょう? それは女性の集中力によるものです。女性はその聡明さゆえに、他人や自分を傷つけたり、事故を引き起こしたりすることがありません。どこの大学にでも行って尋ねてみなさい。優等を取り、首位を飾るのは、主に女子学生たちです。バガヴァンにとっては男性も女性もどちらも同じですが、もしあなた方が本当に「見る」ならば、これが実情です。女性は、どんなときでも、何が善くて何が悪いかを見極める識別力を使います。

自分の娘を結婚させたいと思うとき、男性は将来の花婿の学歴と職業に目を向けるでしょうが、母親は常に、相手はどんな家の息子で、どんな家庭環境に育ち、どんな世間の評判を得ているかを調べます。常に将来を案じているのは女性です。男性は常に性急で、後になって悔やみます。急げば無駄が生じます。無駄は心配を生みます。ですから、慌ててはなりません。

男性は常に手で力を示しますが、女性はハートに力を持っています。夫が疲れて帰宅すると、妻は点滴を打つかのごとく、心地よい言葉で夫を元気にします。多くの男性はこのことを知っていますが、認めようとしません。男性は女性の支えがあってこそ、人生で繁栄します。状況のあらゆる面を理解できるのは女性だけで、男性は上辺だけの理解しか持ち合わせていません。多くの外国人が私たちの国に侵入し、文化を壊そうとしましたが、女性たちのおかげで、この国の文化はまだ生きています。

常に平和を好むのは、もっぱら女性です。口論する女性もいますが、女性の多くは黙っています。親類が問題を引き起こしたり、義理の息子や娘が問題を起こしたりすることがあっても、女性は何も言いません。むしろ、そのことを内に秘めて苦しみます。というのも、女性は家族の評判と尊敬を汚したくないからです。

女性は七つの特性〔名声、富、話す能力、英知、知性、不屈の精神、決断力〕を持っていますが、人々がそのことを理解していないために、この国は現在の窮状にあるのです。男性が持っている特性は三つです。その一つは、働いてお金を稼ぐことです。そのため、男性は高慢になり、自分本位になります。女性も働きに出ますが、その種のエゴはありません。エゴの強い女性も多少はいます。男性の力は、主婦の朗らかな言葉にかかっています。

最近まで、英国の首相は女性〔マーガレット サッチャー〕でした。インディラ ガンディーは十二年間インドの首相でした。今のスリランカでは、首相〔シリマヴォ バンダラナイケ〕も大統領も〔チャンドリ カクマーラトゥンガ〕女性です。現代の世界では、男の首相のいるところには、どこでも問題やトラブルがあります。もし男性が首相として五年の任期を務め上げたとしたら、それは驚くべきことです。しかし、インディラ ガンディーは十年以上も首相の任務を全うすることができました。女性には、国を導き守るための、大きな勇気があるのです。

バクティの分野では、女性が最初に霊性の道に入り、その後、男性がゆっくりと後に続きます。霊的探求においては、たいてい女性が先行します。男性には知恵があるかもしれませんが、バクティは女性に顕著です。神への信愛がなければ、人はどこにも行けません。藩王(マハーラージャ)の宮廷では、男性は玄関ホールに行けるだけですが、女性は奥の間まで行くことができます。男性には奥の間に入る権利はありません。ここで言及している奥の間(アンタプラム)とは何でしょうか? 奥の間(アンタプラム)とは、内(アンタ)にあるアートマを意味します。それは、もっぱら信愛と犠牲によって女性が到達できるものです。女性たちは信愛によって解脱を手に入れてきました。人は、決して女性を弱い者と考えてはならず、男性にも女性にも、双方に等しい敬意を払うべきです。

ラーマーヤナにおいては、ラーマはカウサリヤー妃のもとに生まれたおかげで神と呼ばれることができました。シーターの愛情のこもった世話のおかげで、ラヴァとクシャ(ラーマの双子の息子)は、とても偉大になりました。その偉大さは、ひとえに母親の影響によるものです。現代世界でも、父親がお金を稼ぐのに対して、母親は子供の教育と振る舞いをよく見ながら、子供に注意し、子供を養育します。世界中どこでも、力強いのは女性です。女性の内にある力を使えば、女性に達成できないことは何もありません。

全世界は女子大学です。人生という劇は、そこで展開されます。霊的に言えば、万人が女性です。女子大で劇を上演するときには、王様も、召し使いも、大臣などの役も、演じるのは全員女性です。王様の役でも、召し使いの役でも、大臣の役でも、皆、女性ばかりです。

食物と睡眠と恐れは、男性にも女性にも共通のものであり、男女共に、食べ、泣き、欲望を抱きます。ブリンダーヴァン(クリシュナ神が育った場所であり、一切の創造物のものである全宇宙)は万人のものです。ゴーヴィンダ、すなわち、クリシュナ、主は、万人のものです。

女性の特性と力を示すために、クリシュナは次のような劇を演じました。ブリンダーヴァンに入る正門で、クリシュナは守衛に、「女性が誰もブリンダーヴァンに入らないように見張っていなさい」と言いました。ある日、ラーダーが正門にやって来ましたが、守衛から中に入ることを断られました。ラーダーが、「ブリンダーヴァンは万人のものです」と言うと、守衛は、「女性は中に入ることを許されていない」と答えました。ラーダーが守衛に「あなたはどうなのですか?」と尋ねると、守衛は「私は男だ」と答えました。ラーダーは守衛に、「男など一人もいません。女がいるだけです。神だけが唯一の男性です。被造物はすべて、プラクリティ〔原質、自然界〕です。つまり、大地の子です」と言って抗議しました。

アルジュナは数多くの称号を持っていました。そのうちの「ダナンジャヤ」という称号は「武器を持つ者」(勇気という武器)という意味でした。しかし、アルジュナは戦場で戦車に乗っている最中に、勇気を失って弓を降ろしました。そのとき、クリシュナはこう言いました。

「立ち上がって戦いなさい。いつの時代でも運命は強力であり、正義は勝利し、身勝手さは滅びるものと知りなさい」

ドリタラーシュトラには百人の息子がいましたが、そのうちの一人として、生き残って父の葬儀を行うことのできた者はいませんでした。何という宿命でしょう! それゆえ、クリシュナはアルジュナに、運命に従って生き、勇気を失ってはならないと励ましたのです。

世界は女性を象徴しています。それゆえ、祖国は「母国」と呼ばれ、大地は「母なる地球」と称され、あらゆる体は大地から生まれるのです。誰にとっても母親は重要です。母性は最高位のものであり、常に国の安寧を確かなものにします。

かつて、聖者ヴィシュワーミトラは、執り行うことになっている供犠の支援を求めて、ダシャラタ〔ラーマの父王〕の元へ赴きました。ヴィシュワーミトラはダシャラタに、自分は悪鬼を滅ぼす力を持っているが、それを使うことはできない、神聖な供犠の最中に暴力があってはならないからだ、と言いました。祭司長として、ヴィシュワーミトラは、ダシャラタの息子二人、ラーマとラクシュマナをその供犠の護衛に遣わしてほしいと頼みました。ヴィシュワーミトラはダシャラタ王に、この二人の息子は大変神聖で、いつもまず母なる女神に祈りを捧げ、それから父に祈りを捧げていると言いました。最初に母親、次に父親、それから教師に敬意を表していたのです。なぜこの順番なのでしょうか? 子供を産むのは母親だけです。そして、多くの場合、父親が眠っていても、母親は油断せずに目覚めています。子供が熱を出したら、母親は食事も摂(と)らないでしょう。母親には、それほどの神聖な愛が見出されます。母親が九〇%の愛を持っているのに対し、父親は七十五%の愛しか持っていません。全世界の進歩は女性にかかっています。女性は台所のためだけにいるわけではありません。

現代では、男性も女性も仕事に出かけて給料を稼ぎ、料理人や運転手や使用人を雇っています。そうした使用人たちに支払う賃金のほうが、夫婦の稼ぎより多いこともあり得ます。一方、もし女性が家にいれば、それら一切を引き受けることができるでしょう。夫は妻に仕事に行くようにと勧めます。妻は二千ルピー稼ぐかもしれませんが、使用人に払う給料と経費は三千ルピーにもなります。これでは主食よりもピクルスばかり食べることになってしまいますね。収入よりも支出のほうが多くなります。女性が働きに出ることで、一家全員に迷惑がかかります。この点に注意深く耳を傾けなさい。

バガヴァッドギーターは、三つの清らかさに言及しています。それは、容器の清らかさ、調理の過程の清らかさ、そして、料理人の清らかさです。こと料理人は、外側だけでなく、中身も同じように清らかで汚れていないことが大変重要です。古代より、私たちは神に食事を捧げるために「ブランマールパナム ブランマ ハヴィヒ」で始まる食前の祈りを唱えて、それがプラサード(祝福された食べ物)となるようにしてきました。そのようにして、祈りによって食べ物が変容し、その清らかさが保証されました。現代では、夫婦が食卓で言い争いをします。こうしたあらゆる騒乱の理由の一つは、料理人が給料にばかり関心を持ち、清らかでないことにあります。主婦は清らかな状態で料理します。王族でさえ、王妃自らが家族に食事を出します。感情のとおりの反応が返ってくるものです。家庭が安全で幸福であれば社会も幸福であり、社会が幸福であれば州全体が幸福でしょう。ですから、清らかさと幸福は個人から始まるべきなのです。

かつてハリドワールに、六十歳の商人がいました。彼には、自分が商売をしている間、家族の面倒を見てくれる者が誰もいませんでした。そのため商人は結婚しましたが、相手は十六歳の娘でした。その娘は、よく悲嘆に暮れて、亡くなった母親を恋しがってすすり泣いていました。結婚後、商人が帰宅するのは、たいてい夜中でした。寂しさと悲しみから、新妻はガンジス川に身投げして自らの命を絶とうと思い立ちました。

商人は、自殺した妻の供養として、リシケーシュのアシュラムにお菓子を寄贈しました。というのも、死後十日目に行う儀式で人々に食べ物を施す習慣があったからです。その夜、そのアシュラムで、ある出家者が瞑想に座っていました。普段、彼はとても上手く瞑想に入ることができましたが、その夜の瞑想では、年のころは十六の娘が泣いているのに悩まされました。翌朝、その出家者は導師(グル)にその妨害のわけを尋ねました。導師(グル)は、「それはおまえが不純な思いを持っていたからに違いない」と答えました。出家者は、そのようなことはないと答えました。後に、その妨害の理由は、妻が自殺を図った商人からのお菓子を食べたせいだとわかりました。その日以来、彼はごちそうが振る舞われる場に出ることをやめ、何であれ自分が得た食べ物で満足するようになりました。ですから、食べ物を食べる前に、その食べ物を神に捧げて清めてもらうべきなのです。

あなたは神です。あなたのハートは神の祭壇です。愛が神の姿です。至福が神の食べ物です。多くの人がババに尋ねます。ババはほとんど食べないのに、一体どこからエネルギーを得ているか、と。私がエネルギーです! エネルギーは神の姿です。

女性は、価値がない者として見下されるべきではありません。女性のいない家は森(forest)のようなものです。女性がいれば、家は「休息のための場所」(for rest)となります。女性たちにありったけの敬意を表し、彼女たちの必要が満たされているか、快適かどうかを配慮しなさい。もし女性が涙を流すなら、その家の繁栄は続きません。ですから、女性を苦しめてはなりません。女性は愛とバクティの象徴です。神の見方、すなわちアートマの観点からすれば、男性と女性には何の違いもありません。どちらも神の創造物です。

全託しなさい! 神はあなたの古くからの友です。「Old is Gold」(古いものは金のように貴重であるという意味)と言われるように、古くからの友は金のような友です。一方、新しい友は、今日は友でも明日には「さようなら」かもしれません。新しい友には下心があるかもしれず、あなたにお金がある間だけの友かもしれません。この種の友情は、そのときどきで変わります。ですから、神を愛しなさい。先に述べたような信愛を育てることが人生の目的です。

(スワミは「ヘェ シヴァ シャンカラ ナマーミ シャンカラ シヴァ シャンカラ シャンボー」というバジャンを歌って御講話を締めくくられました。)

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Discourses in Kodaikanal April 1996 C14