サティヤ サイババの御言葉

日付:1996年9月16日
場所:サイ クルワント ホール
ガネーシャチャトルティの御講話より

ヴィナーヤカの原理

愛の化身である皆さん!

石臼の上で白檀をこするとき
こすればこするほど白檀は芳香を放つ
サトウキビを噛むとき
噛めば噛むほどサトウキビの甘い汁を味わえる
坩堝るつぼ の中で熱せられれば熱せられるほど
あらゆる不純物が取り除かれ
黄金はいっそう輝きを増す
高潔な人物は
どれほどの試練や苦難にさらされても
自らの善良な性質を現す
それゆえ、世の手本として傑出しているのだ

神は至福の化身です。神は永遠です。すべての生き物は至福を起源とし、至福の上で育ち、至福に融合します。

無数の神の御名の中で、一番先に来るのは「サット チット アーナンダ」です。サットは、三界と時の三相(過去・現在・未来)において変化することのない、神聖なものです。それは永遠です。チットは完全な認識を意味します。サットとチットが一つになれば、アーナンダ(至福)が現れます。それゆえ、神はサット チット アーナンダ(存在・意識・至福)と称されるのです。この原理は至るところに浸透しています。それは万物に存在しています。聖典は、

サルヴァム ヴィシュヌマヤム ジャガト
(宇宙には神が充満している)

と言明しています。

人は、この真理を認識し損ない、肉体を唯一の実在として扱っているために、自分自身を至福から遠ざけています。人は、自分が誰であるかを、職業や国籍の観点から名乗ります。しかし、それらはすべて後天的な特徴であり、生まれつきのものではありません。本来、すべての人はアートマ(神我)の化身です。その他の様相は、すべて一時的なものです。あなた自身を肉体と同一視することは、家に住んでいる人を家と間違えるのと同じことです。このようにして真実を探求すれば、霊性が明らかになります。

アートマの原理は万人に宿る

アドワイタ(不二一元)教義の基盤にあるのは、全宇宙の霊的な一体性です。魂は万物に共通しています。魂は万物の根源であり、最終的な目的地です。アートマの原理は、すべての生き物のハートの中に宿っています。ですから、神を探しに行く必要はありません。あなたが神なのです。

今日、国家は、宗教、言語、地域に基づいた、ありとあらゆる種類の分割によって台無しにされています。人は、すべての宗教、言語、地域の根底に流れる一体性を悟るよう懸命に努力するべきです。神は、さまざまな信仰を持つ人々から、さまざまな御名で呼ばれています。しかし、すべての御名は同一の神を表しています。それらは皆、表面的な多様性の根底を流れる一体性を強調しています。

ヴェーダーンタは、神を悟るための四つの段階を示しています。それは、サーローキャ(神を知覚すること)、サーミーピャ(神の近くにいること)、サールーピャ(神のヴィジョンを体験すること)、サーユッジヤ(神に融合すること)です。神に姿形はありません。帰依者が礼拝している神の姿がどのようなものであれ、神は帰依者のためにその姿をとります。とはいえ、すべての姿は神の姿です。「サッティヤム シヴァム スンダラム」〔真実・善・美〕。真実は神です。美は神です。真・善・美の一体性がサット チット アーナンダ〔存在・意識・至福〕です。

ラージャヨーギとしてのジャナカ王の変容は、王が聖者ヤーグニャヴァルキヤから、現在の王妃は前世で自分の母親であったことを教えられたときに起こりました。これを知ったジャナカ王は、即座にすべてを手放して、神の求道者となりました。ヤーグニャヴァルキヤは、王が前世に関して執拗に質問してくるのに対して答えるのをためらっていましたが、いったん真実を明かすと、王はそれを祝福と見なし、ヨーギとなったのです。

ヴィナーヤカへの礼拝

今日、私たちはガナパティ〔ガネーシャ神〕の誕生日を祝っています。ガナパティという語にはどういう意味があるのでしょうか? 「ガ」はブッディ(理智)を意味します。「ナ」はヴィグニャーナ(英知)を意味します。「パティ」は主人という意味です。ですから、ガナパティは理智と英知の主人なのです。この語の別の意味は、ガナ(神群)の主というものです。ヴィナーヤカという御名は、自分の上に立つ指導者を持たない者を意味します。

どのような活動を開始する前にも、私たちはその活動がいかなる障害にも妨げられずに成功を収めることができるよう、ヴィナーヤカに祈りを捧げます。ヴィナーヤカはバーラタのみならず、他の多くの国々でも礼拝されています。ヴィナーヤカ礼拝はリグヴェーダの時代から広まっていました。ヴィナーヤカの原理は、人々を人生のさまざまな障害物から守り、平安と安寧を確かなものにします。それゆえ、慶事のたびにヴィナーヤカが礼拝されるのです。

敬虔な人々は、「シュクラームバラダラム」(白い衣を着たお方)という語で始まる、よく知られた祈りでヴィナーヤカを礼拝します。ヴィグネーシュワラ〔ガネーシャ神〕は、月のように白い者〔シャシヴァルナム〕、四本の腕を持つ者〔チャトゥルブジャム〕(二本は世俗的守護を与え、二本は霊的恩恵を与える)、いつも愛嬌のある顔をしている者〔プラサンナヴァダナム〕、あらゆる障害物を取り除くゆえに敬意を表される者〔サルヴァヴィグノーパシャーンタィエー〕、と描写されています。信心深い人々が敬虔な気持ちでこの祈りを捧げる一方で、不信心な人々は、この祈りの意味は洗濯物を運ぶために使われる四つ足の動物への祈りだとこじつけるために、祈りの文言を乱用しています。そのような誤った解釈をすることで、一部の人々はバーラタの偉大な文化を汚し、神への信仰を台無しにしています。

あなたのハートを愛で満たしなさい

学生諸君! 心(マインド)を経典の知識で満たす代わりに、ハートを愛で満たせばそれで十分です。一オンス〔約二十八グラム〕の実践は、十トンの霊的知識に値します。今、人は、人間らしさを身体上の特徴によって表すのではなく、行動によって表すべきです。学生諸君は、理想主義に満ちあふれ、神への固い信仰と共に、神聖な気持ちで母国に奉仕するべきです。人間として生まれることの貴さは、万人は神の火花である、というギーターの中の宣言に示されています。すべての人は、世俗の義務を果たしながら神に目を向けるべきです。あなたが一切の行為を神に捧げるなら、何の障害も現れないでしょう。善い思いがあれば、善い結果をもたらす善い行動へと導かれます。

学生諸君! 君たちは神の愛と神の恩寵を手に入れようとすべきです。他に何を手に入れようとも、それらは価値のない、永続しないものなのです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.29 Ch47