サティヤ サイババの御言葉

日付:1999年11月18日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
第二回シュリサティヤサイ世界青年大会開会式の御講話より

愛を込めて奉仕をしなさい

善良さと人間性をもって
徳性と真実をもって
人生の理想を語り
それを実践せよ
日々の歩みの中で
それを実践せよ

もしも
あなたがそのようにするなら
あなたは理想の青年なり
理想を実践する人が
理想の青年男女となる
そのような人こそ
あなたの最良の友である
そのような人こそ
私の最良の友である

(テルグ語の詩)

愛の化身である皆さん!

善良さとは何でしょう?善良さとは、善い振る舞い、善い行い、善い規律、そして、善い人格を意味します。真実・正義・平安・愛・非暴力は、人間の五つの生命原理(パンチャ プラーナス)そのものです。人生とは、「私」から「私たち」へと向かう旅です。この旅は霊妙で、目的地はすぐ近くにあります。けれども、人は多くの生を経た後でこの目的地へと到達します。なぜ人はこのように近くにある目的地に到達するのに、そんなにも長い時間をかけて多くの困難を経なければならないのでしょう?現代の若者は、世界で起きていることを何でも知ろうとあらゆる努力を払いますが、人間の根本的な真理を理解しようという努力はまったくしていません。そのような情報を得ることからは何の利益も生まれません。それらはあなたを人生の目的地へと導いてはくれないのです。今日、世界には何千という知識人や学者、著名な教育専門家がいます。けれども、世間的な知識や技能を身に付けても、その人が自分自身のことを知らないのであれば、すべてが単なる無駄になります。人間の第一の義務は、自分が一体何者なのかを知ることです。

この世界
お金を失っても心配するなかれ
お金はまた稼ぐことができるから
友を失っても心配するなかれ
また別の友をもつことができるから
妻を失っても 土地を失っても
心配するなかれ
再婚することも
別の土地を購入することもできるから

けれども体を失ったなら
その体はもう二度と取り戻すことはできない
もう二度と取り戻すことはできない

(サンスクリットの詩節)

人は実にあらゆることを成し遂げましたが、人間的価値を失ってしまいました。これは五つの生命原理を失ったことに等しいのです。その結果、人は生きる屍となっています。神への信仰は人間にとって欠くことのできないものです。あなたたちは、神とは何者で、またどこにいるのかと尋ねるかもしれません。すべての世界において、真理は神です。言葉や伝統やイデオロギーは異なるかもしれませんが、真理は一つです。「サッティヤム ナースティー パロー ダルマハー」(真理に従うこと以上に崇高なダルマはない)。今日、この根本的な真理は失われてしまいました。愛は私たちの命です。愛は神です。愛に生きなさい。今日、人はその愛(プレーマ)を失ってしまいました。その愛さえも偽りの愛となってしまいました。一方、神の愛は「ハートからハート」、「愛から愛」であって、「体から体」ではありません。体は水の泡のようなものです。心は狂ったサルのようなものです。心に従ってはなりません。体に従ってはなりません。良心に従いなさい。そのとき初めてあなたたちは「真理」を体験することができます。

青年男女の皆さん!

あなたたちの人生は長旅であり、欲望は荷物です。「荷物は少ないほど楽です。楽しい旅にしましょう」と言われています。ですから欲望を減らしなさい。人としての生は、他の人々に奉仕をするために与えられたのです。食べたり、飲んだり、眠ったり、浮かれ騒ぐために与えられたのではありません。神を愛する最も良い方法は、すべての人を愛し、すべての人に仕えることです。人間の第一の義務は、同胞に奉仕し、同胞を喜ばせることです。あなたたちは、社会への奉仕活動に没頭して初めて人生を意義あるものにすることができるのです。最高の霊性修行とは、愛を奉仕に変えることです。それが真の帰依です。先ほど話をしたケーララ(南インドの州)の青年は肉体を冒す様々な病気について話しました。歴史上多くの例に見られるように、強大な力を備えていた王たちでさえ、最高の設備と医師に恵まれていたにもかかわらず、死を免れることはできませんでした。医者は自分の力では病気を治すことはできません。神の恩寵が欠かせないのです。体を守っても、道徳を守らないのであれば何の意味もありません。ですから、人は真実と愛の人生を送るべきです。現代の若者の愛は、偽りの愛です。若者たちは互いに「やあ」(hello ハロー)と言って挨拶を交わしますが、その言葉にはまるで心がこもっていません(hollow ハーロウ)。若者たちの生活は、まるで芝居のように偽りのものとなってしまいました。

人は奉仕の道によってのみ、神のレベルへと上りつめます。人間性を理解できずに、どうして神性を理解することができるでしょう?「まず、汝自身を知れ」です。人間の命は大変尊いものです。なぜなら、それは本質的に神だからです。実際、人と神は二つの異なった存在ではありません。人と神は全く同一の存在なのです。「エーカム サット ヴィブラーハ バフダー ヴァダンティー」(真理は一つ。学者はそれを多くの名で呼ぶ)。いったんこの真理を理解するなら、あなたの人生は意義あるものとなります。人間に宿る神の力は他の生き物には見られないものです。人は自らの神性を理解することができず、ジャパ、苦行、ヨーガといった様々な冷静修行を試みているのです。

どんな霊性修行を行っても、愛を欠いているのであれば、それは単なる時間の無駄です。愛が言葉で表されたものが真実です。愛が行動として表されたものがダルマです。ですから、まず愛を育みなさい。情欲、貪欲、執着、憎しみ、嫉妬、怒り、自惚れは動物的性質です。これらの性質は私たちが摂取する食物に含まれる不純物によってもたらされます。人はこれらを自ら招いているのです。悪い性質は、人が自分の神性を忘れたことが原因です。

人は知性、地位、そして富を正しく用いなければなりません。富とは、ここでは世俗的な財産のことを言っているのではありません。ここで言う富とは感覚の力のことです。この力は社会に奉仕するために用いられるべきです。

苦行によっても
聖地を巡礼しても
聖典を学んでも
唱名を行っても
輪廻の大海を渡ることはできず
奉仕によってのみ
人は自らを救うことができる

(サンスクリットの詩)

「セヴァ」(奉仕)や「プレーマ」(愛)は言葉としては非常に短く、二つの音節から成っているに過ぎません。けれども、これらは無限の力をもたらすものなのです。

まず、自分が一体何者なのかを問い、理解しなさい。自分自身について知りなさい。そうすれば、すべてを知ることができるでしょう。あなたたちの多くはここに初めて来ているので、次のことを話す価値があります。あなたが「これは私のハンカチです」と言うとき、それはハンカチとあなたが別のものであることを意味しています。同様に、「これは私の体です。これは私の心です。これは私の知性です」と言うとき、それは、あなたがこれらすべてとは別のものであることを意味しています。すると当然、次のような疑問が湧いてきます。すなわち「私とは誰か?」です。これを探求しなさい。体と心と知性は単なる道具に過ぎません。自分自身をこれらの道具と同一視することは愚かなことです。あなたは主人です。心を支配し(master the mind)、主導者(mastermind)となりなさい。あなたたちは決して体と心と感覚の奴隷となるべきではありません。実際、それらは皆さんの支配下にあるべきで、皆さんがそれらに支配されるようなことがあってはなりません。

講演者の一人が「私の人生が私のメッセージです」というスワミの言葉を引用しました。彼女はまた「あなたの人生が私のメッセージです」という言葉についても述べました。あなたたちはこれらの言葉の意味をはっきりと理解するべきです。自分の人生がスワミのメッセージであると主張しながら、同時に邪悪な活動や、不正な行為に携わるのであれば、それは二心です。それは「あなた」のメッセージであって、「私」のメッセージではありません。あなたたちは真理と正義の道を歩み、平安と愛をハートに据え、非暴力を守っているときに初めて自分のメッセージをスワミのメッセージであると言うことができるのです。

外に見えるものはすべて、あなたの内面にあるものの反映です。善悪は外に存在するのではなく、自分の内面にあるものが反映されているに過ぎないのです。誰にも他人を判断する権利はありません。あなたの内面にある悪を捨てなさい。そうすれば、いたるところに善を見ます。かけるメガネの色によって、世界の色が決まるのです。欠陥は見方にあるのであって、世界にあるのではありません。

ハートは神が住まう場所です。ですから、ハートからは崇高な感情のみが生じるべきです。もし、内面に悪い性質があるなら、それは人間のハートではなくなってしまいます。それは、まさに動物のハートです。もし粗暴な振る舞いをするなら、その人は犬であって人間ではありません。人間として生を受けたなら、それにふさわしい振る舞いをしなさい。怒りが生じたときは。「私は犬ではない、私は人間だ」と心に思い起こしなさい。心がさまようときは、自分自身に「私はサルではない。私は人間だ」と繰り返し言い聞かせなさい。決して焦ってはなりません。焦りは無駄を生み、無駄は心配を引き起こします。時間をかけて、落ち着いて考えなさい。善い思いと感情を育むことによって、こうした悪い性質はすべて取り除かれます。これはあらゆる病に対する特効薬です。

若い青年男女だけが社会にある不安を一掃することができます。過度の欲望が人間の苦しみの主な原因です。欲望を抑えなさい。学生としての義務を精一杯果たしなさい。よく勉強して、良い点を取りなさい。両親を敬い、両親に尽くしなさい。社会と国家全体の幸福を心に留めていなさい。社会で良い評判を得なさい。自分の受けた教育に自惚れてはなりません。あなたたちの受けた教育が、社会の幸福のために用いられないのであれば、それは単なる無駄です。社会から授かった教育は、奉仕という形で社会に還元されなければなりません。教育の目的は、単に学位を取得したり、良い仕事を得たり、富を蓄えたりすることではありません。奉仕が教育を受けた人の徴(しるし)です。道徳は最も大切です。お金は確かに必要ですが、ある程度限度を設けるべきです。お金を多く持ち過ぎれば、多くの過ちを引き起こします。お金は入っては出て行きます。道徳は生まれ、育ちます。

何よりもまず、自分の本質を知ろうと努力しなさい。神と人間との違いは極わずかです。人は真理を悟るまでは人間であり続けます。いったん真理を悟れば、あなたは神です。奉仕は内なる神性を認識する最良の手段です。奉仕は自分自身の満足のために行うべきであり、名声や評判のために行うべきではありません。他者への奉仕を始める前に、心を広げ純粋にすることによって自分自身に奉仕をしなさい。「私」、「私のもの」という狭い心を捨て、あなたの愛をすべての人に広げなさい。愛は全世界を一つの家族に束ねる結合力です。私は、皆さんが愛を育み、兄弟姉妹のように生活することを望んでいます。この体は生まれてからずっと奉仕に携わってきました。同様に、あなたたちも他者への奉仕に人生を捧げるべきです。これが私のメッセージです。私は自分が説くことはすべて実践しています。私はすべてを愛し、すべてに奉仕をし、皆さんに同じことをするよう説きます。しかし、あなたたちは狭い心のために、私の愛を理解することができないのです。これはあなたたちの側の誤りであって、私の誤りではありません。今日、争い事が増えているのは、正しい理解と調和が人々の間に欠けているからです。調和は正しい理解があって初めて可能になります。

誕生の瞬間からあなたたちと共にあるのは、ただ愛のみです。愛という無上の喜びを味わい、その至福を他の人々と分かち合いなさい。愛の欠如がこの世界のあらゆる不安の根本原因です。愛を育み、真理を掲げなさい。真理とは、単に見たり聞いたり行ったりしたことをありのままに述べるということではありません。真理とは三つの時(過去・現在・未来)のすべてにおいて、普遍であるもののことです。

ちょうど衣服を着替えるように、いつの日かあなたたちは肉体を変えなければなりません。それが「死は人生の衣」と言われる所以(ゆえん)です。誕生の原因であるものは死の原因でもあるのです。肉体は過ぎ行く雲のようなものです。肉体に生命が宿っている間は、その肉体を他者への奉仕のために用いなさい。息を引き取る瞬間まで、奉仕に携わりなさい。「人への奉仕は神への奉仕」です。感覚を支配しなさい。さもなければ、あなたの行う奉仕はすべて無駄になります。

あなたたちは皆、何ら招待状が届いたわけでもないのに、ここに集まりました。あなたたちのバガヴァンに対する愛と、バガヴァンのあなたたちに対する愛が、あなたたちをここに来させたのです。ハートに愛があるなら、いかなる困難にも遭うことは決してありません。あなたの愛をすべての人に広げるべきです。愛を家族や友人だけに限定すべきではありません。「私に君の仲間を言ってごらん。私は君がどういう人かを言ってあげよう」。あなたは付き合う仲間の通りになるのです。常に悪い人々と一緒にいるなら、どうして善い人でいることができるでしょう?

あなたたちは皆、徳高く高潔です。その善良さをさらに伸ばすよう、あらゆる努力をしなさい。ここでの滞在を最大限に活かしなさい。悪い仲間と悪い感情から逃げなさい。気高い性質を身に付けるようにしなさい。すべての人が自分の兄弟姉妹であるという広い心を養いなさい。『バガヴァッド・ギーター』の中で、クリシュナ神は言いました。「ママイヴァームショー ジーヴァローケー ジーヴァブータッ サナータナハ」(すべての人が私の神性の火花である)。ちょうど太陽が水を湛えた様々な容器に映るように、あなたたちはすべての人の内に神の反映を見るのです。この世界に見えるものはすべて、反映・反作用・反響です。それらに惑わされてはなりません。真理に到達することを切望しなさい。真理を体験するために、肉体への執着を捨てなさい。

神性はすべての人の内に宿っているのですが、あなたたちはこの世の事柄に深くのめり込んでしまっているため、それを理解するための努力を全くしていません。あなたたちは清らかで汚れがなく、真理にして永遠のアートマの化身です。この真理を体験しなさい。この世界に関するものはすべて単なる反映であり、真実ではありません。このことを絶えず念頭に置いて、自分の義務を果たしなさい。「常に助け、決して傷つけてはならない」。これがすべての『ヴェーダ』、そして『聖書』、『バカバッド・ギーター』、『コーラン』といったすべての聖典の真髄です。これらの聖典は皆、同じ根本的真理について語っています。宗教による違いを考えることは間違っています。ただ一つの宗教があるだけです。それは愛の宗教です。ただ一つの階級があるだけです。それは人類という階級です。ただ一つの言葉があるだけです。それはハートの言葉です。奉仕の道を通って「私」から「私たち」へと向かう旅をしなさい。いずれ、それをどのようにして始めれば良いかについて話してあげましょう。

この世界には、何十億という人々がいますが、あなたたちだけが、わずかばかりの幸運な人たちだけが、ここに来るという千載一遇の好機を得たのです。この機会を最大限に生かし、皆とその喜びを分かち合いなさい。全世界に奉仕をしなさい。あなたたちは社会に奉仕するために生まれてきたのだという真理を理解しなさい。富を蓄えて利己的な生活を送ってはなりません。自分の胃袋を満たすことで満足していてはなりません。外には何百万もの飢えで苦しんでいる人々がいることを知りなさい。人は、貧しい人、病人、虐げられている人を助けるときに初めて、人生を神聖なものにすることができます。それが真の霊性です。それがあなたたちの生き方であるべきです。この世の学位を得るためには、様々な学科を学ぶ必要があります。しかし霊性においてはただ一つの学科があるだけです。それは愛です。ですから、愛を育み、奉仕活動に携わりなさい。あなたたちは若いのでいくつかの疑問をもっているかもしれませんが、私がそれらすべての疑問を晴らしてあげましょう。憎しみや妬み、虚飾に余地を与えてはなりません。謙虚な帰依者となって、謙虚な奉仕を捧げなさい。それが神の人間性です。

(バガヴァンは、「プレーマ ムディタ マナセ カホー…」のバジャンで御講話を終えられました。)

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
英文出典元:英文小冊子「Sri Sathya Sai Second World Youth Conference Divine Discourses by Bhagavan Sri Sathya Sai Baba 18.11.1999 Prashanthi Nilayam」および講話カセットテープ "Divine Discourse by Bhagwan Sri Sathya Sai Baba on 18 Nov 1999" と本ビデオに基づいたテルグ語からの英訳の和訳と英語通訳の和訳
日本語出典元:「サイの宝 神の使命におけるサイユースの役割」pp.8-24