サティヤ サイババの御言葉

日付:2000年2月10日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
ウパナヤナの御講話より

ガーヤトリー マントラを唱えて人生を神聖化しなさい

親愛なる少年の皆さん!

これ〔ウパナヤナ、聖紐せいちゅう式。ガーヤトリーマントラを伝授されて聖紐を身に付けることで学生期がくしょうきに入る儀式〕は、皆さんの人生の中で最もおめでたい瞬間です。人間の一生は四階建ての家にたと喩えられます。四つの階は、人間の一生の四つの段階に相当します。それは、ブラフマチャルヤ(禁欲者)〔学生期〕、グルハスタ(家長)〔家長期〕、ヴァーナプラスタ(隠遁者いんとんしゃ)〔林住期〕、サンニャーサ(放棄者)〔遊行期〕です。今日、皆さんは自分の人生という家の土台を築いているのです。家の安全と保障は、ひとたび土台を強くしっかりとしたものにしたならば、確実なものとなります。

人間には四つの誕生があります。最初の誕生は母親の胎内からのものです。人はガーヤトリー マントラを伝誦されたとき、第二の人生に入ります。三度目の誕生はヴェーダを学ぶときに起こります。ブラフマンの本質を理解するとき、人はブラフミンとなります。それが第四の誕生です。人がブラフミンとなるのは単なる生まれ〔ブラフミン階級に生まれること〕によってではなく、ブラフマンの性質を知ることによってブラフミンとなるのです。そのためには、ガーヤトリー マントラを唱えることが必要不可欠です。

人間はあらゆる神々の化身です。実際、人間が摂取する食べ物の粗雑な姿は、ブラフマンの本質を指しています。このことを基に、

アンナム ブランマー、ラソー ヴィシヌフ
(食物〔アンナ〕はブラフマー神、そのエキス〔ラサ〕はヴィシュヌ神)

(食前に唱える短い祈りより)


と言われているのです。食べ物の霊妙な姿はヴィシュヌ神の本質を示しています。体を強くするのは食べ物の粗雑な部分です。心を強くするのは食べ物の霊妙な部分で、食べ物の最も霊妙な部分は話す言葉を清らかにします。このように、食べ物は、体と心と話す言葉を強め、浄化するのです。

ガーヤトリーはヴェーダの母

ガーヤトリーは、サルヴァデーヴァタ スワルーピニー(すべての神々の化身)であり、サルヴァマントラ スワルーピニー(すべてのマントラの化身)です。

ガーヤットリー チャーンダサム マータ
――ガーヤトリーはヴェーダの母なり――

と言われています。もし、ガーヤトリー マントラを唱えるなら、他のマントラを唱える必要はありません。ガーヤトリーには三つの名前があります。それは、ガーヤトリー、サーヴィトリー、サラスワティーです。

ガーヤンタム トラヤテー イティ ガーヤットリー
(ガーヤトリー女神はガーヤトリー マントラを唱える者を守る)

ガーヤトリーは感覚器官の主人です。サーヴィトリーは生命原理をつかさどる女神です。ガーヤトリーは、生命力の守護者として働くときにはサーヴィトリーと呼ばれます。皆さんは、死んだ夫サティヤーヴァンを祈りの力でよみがえらせた、サーヴィトリーという貞淑な女性の話を聞いたことがあるかも知れません。サーヴィトリー女神はサティヤ(真実)の生活を送る者を守るというのが、その内的意味です。

サラスワティーは話す言葉を司る女神です。人は自らの人生を神聖化するために、ガーヤトリーとサーヴィトリーとサラスワティーの恩寵を得なければなりません。

まず第一に、人は自分の発言を清らかにしなければなりません。そうして初めて、その人の人生は安全で安泰になるのです。もし、すべって転んでも、負った傷は治ります。けれども、舌をすべらせて負わせた傷は治すことができません。それはあなたの人生をみじめなものにします。ですから、自分の発言を制御しておくべきなのです。話のしすぎは不実と不快を招きます。だから古代の聖賢や先覚者たちは沈黙を守っていたのです。口数を少なくすることによってこそ、真理に立脚して名声を得ることができるのです。口数を限れば幸福がもたらされ、口数が多ければ重大な危険に置かれることになるでしょう。

ガーヤトリーとサーヴィトリーとサラスワティーはすべての人に潜在しています。ガーヤトリーマントラの「ブール」と「ブヴァッ」と「スヴァハ」は、体(具現)と生命力(振動)と魂(放射エネルギー)を指しています。「ブール」は、ブーローカ(大地)という、物質の組み合わせ以外の何ものでもないものを意味します。これは、同じく物質の組み合わせである人体を意味します。「ブヴァッ」は、体を揺り動かしている生命力を指しています。「スヴァハ」は、生命力を維持しているプラグニャーナ シャクティを指しています。プラグニャーナ シャクティは常時融合意識〔般若はんにゃ〕として知られています。これは放射とも名づけられています。この三つ、すなわち具現と振動と放射エネルギーは、どれも人の内に存在しています。私はしばしば皆さんに、あなたは一人ではなく三人いる、それは、あなたが自分だと思っているあなた(肉体)、他人があなただと思っているあなた(精神的な体)、そして、本当のあなた(アートマ)であると言っています。

心は純粋で慈悲深くあるべし

人間の命は体と心とアートマの混合物です。体は英知を得るための土台です。ですから、心を誤用すべきではありません。人は神聖な行為をすることで、自分の体と心を清めなければなりません。アートマの本質はつねに純粋でけがれなきものです。人間の命はこの上なく神聖です。

ジャントゥナム ナラ ジャンマ ドゥルラバム
(あらゆる生類の中で、人として生まれるのは最もまれなことである)

シャリーラマディヤム カル ダルマ サーダナム
(体は実に、ダルマを遂行するための第一の手段である)

人間の体の潜在能力を過小評価してはなりません。実に、人間の体は人生のゴールに到達するための土台なのです。

神の名前を唱え、神聖な行為を行うことによって、自分の人生の救済に取り組みなさい。人間的価値、すなわち、サティヤ〔真理〕、ダルマ、シャーンティ〔平安〕、プレーマ〔愛〕、アヒムサー〔非暴力〕を身に付けるために、特別な努力を払う必要はありません。これらはあなたが生まれたときから、あなたと共にあります。ところが、あなたはそれらを実践しないために、それらを忘れてしまっているのです。たくさんの話をする代わりに、少なくとも自分が学んだことをわずかでも実行することのほうがよいのです。今、人が人間的価値を実践していないせいで、人間性が衰えています。人はアーダルシャル(理想)を忘れて、アーシャール(欲望)を募らせています。体への執着が強くなる一方で、魂への執着は減少しつつあります。むろん、体への執着は必要ですが、それは行為をするということに限ってのことです。

愛国心を育てよ

デーハービマーナム(体への執着)を捨て、デーシャービマーナム(愛国心)を育てるべきです。ラーヴァナが滅ぼされた後、ラクシュマナはラーマにランカーを統治してくださいと懇願しました。ラクシュマナは言いました。

「兄上、アヨーディヤーを統治しているバラタの邪魔をするのは、我らの立場においてふさわしいことではありません。その上、ランカーはアヨーディヤーよりも裕福で美しい王国です。ゆえに、兄上がランカーの王となることを謹んで願います」

ヴィビーシャナもラーマの御足にひれ伏して言いました。
「スワミ、私は、私自身と私の富と王国をあなたの蓮華の御足に託します」
けれども、ラーマはランカーの富に心を奪われませんでした。ラーマは言いました。
「ジャナニ ジャンマブーミシュチャ スワルガダピ ガリーヤス
(母親と母国は天国にもまさる)
たとえ母国がランカーほど裕福でなくとも、私は母国を離れられない」
これはラーマが母国に抱いていた愛と敬意を示しています。

ヒマーチャラ(ヒマラヤ山脈)はバーラタ(インド)の北の境界線となっています。「ヒマ」とは氷のことです。氷は白い色をしており、容易に溶けてしまいます。白は純粋さの象徴です。「アチャラ」は安定しているもののことです。皆さんのフルダヤ(心、ハート)も、ヒマーチャラのように純粋で安定しているべきです。心は慈悲で溶けるようでなければなりません。フル + ダヤ = フルダヤ。ダヤとは慈悲のことです。神が皆さんの心に住むのは、心が純粋で安定しており、慈悲に満ちているときに限られます。しかし、今日、人間の心は、制限のない欲望のゆえに、純粋さと慈悲と安定性を失ってしまいました。人生は長い旅であり、皆さんの欲望は荷物です。「荷物を少なくして快適さが増すと、旅は楽しくなる」と言われています。人生という旅は、皆さんが欲望という荷物を減らしたときに、初めて楽しいものとなるのです。欲望が少なければ少ないほど、あなたは幸福になります。「バガヴァッドギーター」は、すべてを神に捧げるべきだと説いています。

サルヴァ カルマ バガヴァッド プリーッティヤルタム
(すべての行為を、神を喜ばせるために行いなさい)

そうして初めて、皆さんはあらゆる困難や苦労から解放されるのです。

心を神に向けることでマーヤーに打ち勝ちなさい

ヴェーダは宣言しています。

マートゥル デーヴォー バヴァ、ピトゥル デーヴォー バヴァ
(母を神として敬いなさい、父を神として敬いなさい)

私は生徒たちに、君たちの血と食べ物と頭とお金は母親からの贈り物だと言い聞かせています。ですから、何よりもまず、人は母親に感謝を示すべきなのです。九ヶ月の間あなたのことをお腹で育て、あなたを産んでくれ、さらに、自分の苦労はいとわずにあらゆる世話と安らぎを施してくれた母親を決して忘れてはなりません。母親は、何を言うにせよ、何をするにせよ、いつもあなたの幸せを真っ先に考えています。あなたは高度な教育を受けていても、お母さんは無学かも知れません。それでも、あなたはお母さんを最大限に尊敬すべきです。母親の教えをヴェーダそのものと見なすべきです。

ガーヤトリーは母の本質の具現です。皆さんは毎日、朝と正午と夕方にガーヤトリー マントラを唱えるべきです。これらは、プラータハサンディヤー、マディヤーハナサンディヤー、サーヤムサンディヤーと呼ばれています。背中が太陽を向いているとき、あなたの影はあなたの前にできます。太陽に向かって立ったときに、初めて影はあなたの後ろに来ます。それと同じように、マーヤー(幻力)は影のようなものであり、あなたが自分の心を神から遠ざけているときに、あなたを押さえつけるのです。あなたが自分の心を神に向けたときにだけ、マーヤーに打ち勝つことができるのです。

霊的な教養が真の教養

カリユガ〔末世〕の影響と現代的な教育が増進しているせいで、人の理知は道を外れつつあります。人格の伴わない教養を得ることに意味はありません。世俗的な教養は書物の知識から成っており、決して神聖な生活を送る助けにはなりません。むろん、世俗的な教養は必要ですが、それと同時に霊的な教養も身に付けなればなりません。

アディヤートマ ヴィッディヤー ヴィッディヤーナーム
(霊的な教養が真の教養)

ナディーナム サーガロー ガーティヒ
(川は最終的に海に合流する)

世俗的な教養は川や小川のようなものであり、霊的な教養は広大な海のようなものです。ですから、あらゆる教養の中で、霊的な教養が最も高等で、最も高潔です。

今日、高等な教育を受けた両親でさえ、何の見境もなく行動しています。親たちは子どもが神を拝んだりバジャンに参加したりすることを邪魔しています。その上、「神様のことを考える時間は定年をすぎてからでも十分あるから」などと言うのです。これは重大な過ちです。

「早めに出発し、ゆっくり運転し、安全に到着しなさい」

老年になってからも神を覚えていられるのは、子ども時代から神を想っていた人だけです。

生徒諸君!

子ども時代は神を黙想するのに適した年齢です。子ども時代は黄金期です。なぜなら、子ども時代はたいへん神聖な年齢だからです。子ども時代を誤って使ってはなりません。親たちの中には、子どもが卒業したらすぐに外国にやりたいと思っている親もいます。外国にあってバーラタ(インド)で得られないものは何ですか? 実際、バーラタにないものは世界のどこにもありません。さらに上の学問を追い求めて外国に行く学生の多くは、心がゆがみ、人格を失います。外国に行って人格を失った多くの学生を私はこの目で見ています。人が自分の子どもを外国に送るのは、グナヴァントゥル(高徳)になりたいからではなく、ダナヴァントゥル(裕福)になりたいからです。お金はあらゆる快適さと便利さを与えてくれるかも知れません。しかし、お金が心の安らぎを与えてくれますか? いいえ、与えてはくれません。心の安らぎを与えることができるのは霊性(スピリチュアリティー)だけです。

過度のお金は横柄さを生む

今日、人々は外国に行くことに狂っています。反対に、外国人は心の安らぎを探しにバーラタにやって来ます。外国人はあらゆる物質的快適さを持っていますが、心の安らぎを欠いているのです。外国人はあり余るほどお金を持っています。過度のお金は横柄さを生み、それは次々にあらゆる邪悪な性質へとつながっていきます。ですから、富を探して外国へ行くべきではありません。もし高潔な人格を育てたいと思うなら、バーラタにとどまるべきです。スワミ自身の例に倣いなさい。何万人もの帰依者が、それぞれ自分たちの国に来てくださいと私に祈ってきました。しかし、私は今日まで、外国に行くという考えを抱いたことさえありません。その理由は何でしょう? バーラタはあらゆるダルマの中心です。バーラタは神聖な儀式と犠牲の国です。小さな例があります。列車は先頭が機関車で、何台もの車両がそれに連結しています。石炭と火と運転手は機関車に積んであるのみで、車両には積んでいません。バーラタは機関車にたとえられます。ヤグニャとヤーガ〔供犠〕の聖火を見出せるのはバーラタでのみです。他の国はバーラタという機関車に連結しているさまざまな車両のようなものです。「車両」の中には切り離されてしまうものもあるかも知れません。その理由は何でしょう? それは、きちんと「機関車」(エンジン)に「連結」していなかったからです。バーラタの文化はきわめて神聖です。バーラタ人は母国と結び付いているべきです。バーラタ人はバーラタの神聖な文化を実践し、伝えていくべきです。

ウパナヤナは幼少の年齢のときに必要なもの

ガーヤトリーはパンチャームキーと呼ばれています。パンチャームキーとは、彼女は五つの顔を持っているという意味です。五つの顔とは何でしょう? オームが第一の顔です。「ブール ブヴァッ スヴァハ」が第二の顔です。「タット サヴィトゥル ヴァレーンニャム」が第三の顔です。「バルゴー デーヴァッスヤ ディーマヒ」が第四の顔です。「ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート」が第五の顔です。ガーヤトリー マントラには三つのパートがあります。それは称賛と瞑想と祈りです。女神は、最初に称賛され、次に畏敬いけいをもって瞑想され、最後に、無知の暗闇を払って理知を目覚めさせて強めてくださいと、祈りを捧げられます。「ディーマヒ」は瞑想の側面と関連しています。「ディヨー ヨー ナッ プラチョーダヤート」は祈りと関連しています。ガーヤトリー マントラを唱えると、心が浄化され、信愛と無執着と英知がもたらされます。若い人は必ずガーヤトリー マントラを唱えなければなりません。今日、青年期の遅い時期にガーヤトリー マントラを伝誦されている若者を多く見かけます。理知が花開いて自らの光輝のうちに輝き出すのは、ガーヤトリー マントラを伝誦された後です。ですから、八歳のときにウパナヤナを行うことはきわめて重要なのです。幼い年齢のときにガーヤトリー マントラを伝誦された者は、すこぶる理知的になるでしょう。人の生涯はガーヤトリー マントラを唱えることで神聖化されます。

信愛と誠実さをもって神を想わないせいで、恐れと不安が今日の一般的傾向となっています。神の名前を唱えることだけが、人を恐れのない者にします。神はヒランニャガルバと呼ばれます。ヒランニャとは黄金という意味です。この「黄金」を心の中に置いたときにだけ、あなたはサティヤ、ダルマ、シャーンティ、そしてプレーマという宝飾品を得ることができるのです。ひとたび神が心にまつられれば、心から生じるのは神聖な感情だけになります。たくさんの穴が開いた器に甘いお菓子を盛れば、穴からもれて出てくるものも甘いお菓子です。それと同じように、あなたの心を神性で満たすなら、あなたの行いはすべて神聖なものになります。けれども、人は神性への信仰に欠けています。人は、シュワーサ(息)は持っていますが、ヴィシュワーサ(信仰心)は持っていません。そのような人生は無益です。

悪い性質は地獄への入り口

若い人たちは国の進歩のために働くべきです。若い人たちはつねに同胞を助けるようにすべきです。ヴィヤーサ仙は十八のプラーナの真髄をこのように述べました。

パローパカーラヤ プンニャーヤ、パーパーヤ パラピーダナム
(人は他者に奉仕することで徳を積み、他者を傷つけることで罪を犯す)

ですから、つねに助け、決して傷つけてはなりません。これが真の信愛であり帰依全託です。信愛は、礼拝を捧げたりバジャンをすることを意味するのではありません。それらはどれも外的な行為です。内なる清らかさがなければ、それらはどれも成果をもたらしません。ですから、愛を育みなさい。

愛は神であり、神は愛です。ですから、愛のうちに生きなさい。自分の親を愛しなさい。親に奉仕し、親の言うことに従い、親を満足させなさい。親はあなたに莫大な愛を抱いています。しかし、時たま、親はそうとは知らずにあなたを悪い道に置こうとすることがあるかも知れません。そのような場合は、何が正しく、何が間違っているかを説明して、親を納得させなさい。もし、もっとお金を稼がせるために親があなたを外国に行かせたがったら、大事なのは人格であってお金ではないと親に言いなさい。適切な方法で説明すれば、必ずや親に変容が起こるでしょう。

少年の皆さん!

もし、心をこめてガーヤトリー マントラを唱えるなら、人生で困難や苦難に直面することは決してありません。絶えず神の名前を唱えていなさい。皆さんはプラフラーダのお話を知っていますね。プラフラーダの父のヒランニャカシプは、ナーラーヤナ神〔ヴィシュヌ神〕の名前を唱えるのをやめるようプラフラーダに命じました。プラフラーダは決して父親と言い争うことはありませんでした。プラフラーダは父親の言うことを笑顔で聞いていました。しかし、最終的には自分の良心の指示に従いました。プラフラーダを踏み潰させるために巨大な象が放され、プラフラーダに咬みつかせるために毒蛇が放たれました。プラフラーダは山の断崖から突き飛ばされ、深い海に落とされました。けれども、プラフラーダは決して神の名前を唱えることをやめませんでした。その結果、象も毒蛇も、山の断崖も広い海も、ナーラーヤナ神へと変じたのです。プラフラーダがどこで危険な目に遭わせられようとも、ナーラーヤナ神はプラフラーダを救うためにそこにやって来ました。それと同じように、もし、あなたが心に神聖な気持ちを抱くなら、あなたがどこにいようとも、神はあなたを守ります。神に対する揺れ動くことのない信心をもち、愛をこめて神の名前を唱えなさい。

欲望や怒りや貪欲という悪い性質に付け入る隙を与えてはなりません。悪い性質は地獄への入り口のようなものです。ラーヴァナは、高度な教育を身に付け、力も強かったにもかかわらず、カーマ(欲望)の餌食となったせいで、一族全員と王国を滅ぼしました。ヒランニャカシプは怒りの象徴であり、結局は自滅しました。ドゥルヨーダナは貪欲の権化であり、ラーヴァナやヒランニャカシプと同じ運命を負いました。皆さんは莫大な知識と富と勇気を持っているかも知れません。けれども、もし、怒りと欲望と貪欲の奴隷となれば、必ずや苦しむことになります。自分の富や肉体的な力や教養を得意がってはなりません。

愛は敵を友に変えることができる

愛の力を育てなさい。愛は敵を友に変えることさえできます。愛によってのみ、あなたの人生は救われます。

目に見えない神の存在を信じるのは馬鹿げたことだと言う人たちもいるかも知れません。しかし、あなたはいつも神を見ています。なぜなら、全宇宙は神の姿であるからです。小宇宙から大宇宙まで、すべては神の姿です。ヴェーダは宣言しています。

イーシュワラ サルヴァ ブーターナーム
神は万物に内在している

あなたに神が見えないのは、物理的な観点から自然〔物質界〕を見ているからです。世俗的な気持ちを捨て、神聖な気持ちで自然を見なさい。そうすれば、必ずや神はあなたの前にあらわれるでしょう。ちょうど芳香が花の中に存在しているように、神性はあなたの中に潜在しているのです。花は肉眼で見えますが、香りを見ることのできる人がいますか? 母親は子どもを愛しています。母親には姿がありますが、母親の愛に姿はありません。その愛は神です。

神の力は神が形をとるすべてのものに存在している

ガーヤトリー マントラはすこぶる神聖です。シャーストリー氏が指摘したように、ガーヤトリー マントラはすべてのマントラの真髄を含んでいます。ガーヤトリーはすべての神と女神の具現です。一本の糸が花輪の花のすべてを繋いでいるように、同一の神聖な力がすべての神の姿に存在しています。この一体性を理解する人は、決して苦難に置かれることはないでしょう。神への信心を持ちなさい。他人の言うことに流されてはなりません。自分の良心の命じることに従いなさい。

親愛なる少年の皆さん!

今日は神聖な日です。実に、今日はあなた方の人生の土台が築かれた日です。土台を強く堅固なものとしなさい。そうすれば、その土台の上に建つ人生という家も、強く安全なものとなるでしょう。それは私たちの国という大建造物に力を与えるでしょう。皆さんは国家的、愛国的な気持ちを持つべきです。今の若者の間には愛国心がありません。それは、国の利益よりも自分の利益を守ろうとする政治家たちの影響によるものです。けれども、皆さんは国のためには自分の命をも犠牲にする心構えでいるべきです。これは皆さんの人生の理想であるべきです。もし、そのような高尚な理想を持つなら、必ず神性を体験します。

もし、神を見たいという強い願望があるなら、揺るぎのない信心をもって神を黙想しなさい。そうすれば、確実に神を見ることができます。決して神の存在を疑ってはなりません。神は、神の存在を信じる人にとっては存在し、神の存在を否定する人にとっては存在しません。神は人の感情に準じて行動します。ですから、神への信心を持ちなさい。一日三回、朝と昼と夕方にガーヤトリー マントラを唱えるだけでは十分ではありません。絶えずガーヤトリー マントラを唱えているべきです。時間を超越する者である神の名前を唱えるのに、どうして特定の時間を規定する必要があるでしょう?

サルヴァダー サルヴァカーレーシュ サルヴァットラ ハリチンタナム
(どこでも、どんなときにも、どんな状況にあっても、神を黙想しなさい)

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.33 C4