サティヤ サイババ:神聖な気持ちを持って人生を聖化しなさい
サティヤ サイババの御言葉

日付:2000年3月5日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
マハーシヴァラートリの御講話②より

神聖な気持ちを持って
人生を聖化しなさい

太陽の光は、全世界を照らして、人々が自分の務めを果たすのを助けます。しかし、太陽は人の喜びや苦しみとは何の関係もありません。同様に、人が直面する無数の問題は、本人の感覚と心に関係しているのみであり、意識は無関係です。信者は神を探していると言われていますが、神はどこにでもいるのですから、信者が神を探しに行く必要はありません。実のところ、神こそが、ハートがそういった感覚の精神で満たされている真の信者を探し求めているのです。

熱い鉄の球に触れると、あなたは鉄の球で手が焼けたと言います。しかし、あなたの手を焼いたのは鉄の球ではありません。あなたの手を焼いたのは鉄の球の火熱です。この世は鉄の球と同じように、あなたが経験する苦しみや喜びの原因ではありません。神の力はあなたの中に存在しています。あなたはその力に気づかずに、自分の苦痛や困難を嘆き悲しんでいるのです。

神聖な思考を育む

現代人の性質は奇妙です。現代人は自分が思っていることとは別のことを話します。自分の中にある悪いものを隠すために、表向きは笑っています。また、表面的には泣いているように見えても、実は内心では笑っています。外見は人間のようですが、心は猿のようです。こうした偽善者や悪者は、決して神を見つけることができません。神は、人がそうした獣性をなくして、人間らしく生きることを期待しています。人間には清らかで敬虔(けいけん)な性質が内在しています。人は、動物的で不自然な資質ではなく、本来備わっているそうした清らかな感情を現すべきです。しかし、現代人は道徳的に堕落しつつあります。こういったあらゆる不自然な状況にあって、この世は陰気で生気のない場所になっています。

お金は失ってもまた稼ぐことができます。健康は失っても取り戻すことが可能かもしれません。しかし、時間は失ったら二度と取り戻せません。ですから、人は自分が自由に使える時間を正しい方法で活用すべきです。お金は使ったときにだけ減りますが、人の寿命は時間の経過と共に短くなっていきます。自分の頭の上には時間という鋭利な大刀がぶら下がっていて、いつ襲ってくるやもしれないということを、一人ひとりが自覚すべきです。その犠牲になるべきではありません。気をつけるようにしなさい。無駄にした時間は取り戻すことができません。健康やお金とは違って、時間は取り戻すことができないのです。

愛の化身たちよ! 時間を聖化するには、徳の高い行いをすることです。善い行いは、もっぱら善い感情が引き起こすものです。そうした清らかで神聖な感情を養うべきです。雲は太陽によって生じるものですが、まさにその雲が太陽を覆い隠します。同様に、ハートから生じる思考の雲は、ハートを覆い隠します。つまり、源は、源から生じた要素に覆い隠されるのです。ブラフマンから生じたものは、ブラフマン以外の何ものでもありえません。創造の源は何でしょうか? それは神の光輝です。それは神の意志です。神の意志が人間の存在の原因である以上、人は神の感情だけを持つべきです。神の意志から生じた創造世界は自然と呼ばれます。ですから、自然の産物である人間は、自然の特質を現すべきです。人間は、自然にとって異質な諸性質を持つべきではありません。欲望、怒り、金銭欲、執着、傲慢、嫉妬は、あなたが食べる食べ物から生じます。それらはあなたの過去世でのサムスカーラ〔傾向や特質〕の結果でもあります。それらはあなたの天性ではありません。

あなたは自分を「私」と言って紹介します。その「私」というのは神の最も重要な名前であり、それ以外のすべての神秘的な単語は後から発生したものです。ヴェーダの宣言「アハン ブランマースミ」(私はブラフマンである)における「私」〔アハン/アハム〕という文字は、ブラフマンを表しています。ですから、ブラフマンの1番目の名前は「私」です。2番目の名前は「アートマ」〔真我〕です。3番目の名前は「自分」です。「ブラフマー」は4番目の名前です。「神」は5番目の名前です。この5つは一なる神性の異なる名前です。これらの単語の本当の意味を理解すべきです。「私」はどこから来たのでしょうか? 「私」は自分と神の姿そのものです。しかし、人は「私」を肉体と関連づけることによって、大変な誤用をしています。「私」は神聖な用途に使われるべきものです。

自分の本性を認識する

愛の化身たちよ! 日々の生活の中で真実を貫くための方法と手段を知っておくようにすべきです。人々は真実の道を認識せずに、祈りや瞑想、ヨーガなどの霊性修行をしています。しかし、それだけでは十分ではありません。そうした霊性修行に加えて、善い感情を育む必要があります。善い性質、善い感情、善い行い、善い思考があなたの中に現れるべきです。これらは自然なままの神の特質です。自然があなた方の起源であるという真実にもかかわらず、あなた方は自然の特質を捨て、不自然な振る舞いを選んでいます。あなたはそのような不自然な生活を送るべきではありません。自分が思っていることを話し、話したことを実行すべきです。ヴェーダは述べています。

アンタル バヒシチャ タット サルヴァム ヴィヤーピャ ナーラーヤナッ スティタハ
(すべてに浸透している神は、内にも外にも存在する)

人間の真の研究対象は人間です。人間とは誰でしょうか? 自分の思考と言葉と行いが一致している人が真の人間です。そういう人だけが人間と呼ばれることができるのです。神はそうした真の人間を探しています。神は外見だけが人間である人を探しているのではありません。

知性は鏡に例えることができる

人間には、自分の本性を認識することができるよう、神聖な知性が授けられています。知性は清らかで汚れのないものであり、鏡に例えることができます。鏡の裏側には化学物質が塗布されています。この化学物質がなければ、鏡に映った自分の姿を見ることはできません。鏡の後ろにある物が見えてしまい、鏡の前にある物は見えません。それと同じように、もしあなたが自分の本性を認識したいのであれば、あなたの知性を愛という化学物質でコーティングする必要があります。今、あなたは鏡に愛のコーティングをしないまま自分の姿を見ようとし、その試みに失敗しているのです。神は人間に、自分の姿を見るための知性という鏡を与えました。しかし、今、現代人は、知性という鏡の助けを借りて自分の本当の姿を認識しようとしていません。現代人は他人の顔に鏡を向けています。同様に、一人ひとりが自分の知性を使って外の世界を知ろうとしています。他人の所在を尋ね、自分の所在は知ろうとしません。ですから、「あなたは誰ですか?」と他人に尋ねるのをやめて、「私は誰か?」と自分自身に問いかけはじめなさい。

知性は、他人を見るためではなく、自分を見るために授けられているのです。人は、世俗的な事柄にどんどん関わっていくうちに自分の本性を忘れていきます。子供から大人まで、誰もが世俗的な事柄に没頭しています。現代人は、この世界のことだけでは満足せず、宇宙や星々のことも探ろうとしています。現代人は、内側には目を向けず、他の一切に目を向けています。宇宙へと何十万キロも旅をしているのに、自分のハートの奥へは1センチも旅をしません。そのせいで、現代人の感情は醜い方向に向かっています。現代人の中には利己心だけが見えます。現代人は自分の本性を悟ろうとしません。

自分の本性を知ろうと努力する

愛の化身たちよ! 自分の本当の性質、生まれつきの性質に気づくことが、霊性の最大の目的です。この目的は、霊性修行だけに限ったものではありません。人間は、活動のあらゆる領域――時間の領域、倫理の領域、身体の領域、世俗の領域――で、自分の本性を悟るべきです。皆さんは他人の欠点を見つけることに熱心ですが、自分の欠点を知ろうとしません。自分の欠点を知ろうとするなら、自分を向上させることができるでしょう。そのような人は理想的な人間になるでしょう。そのような人だけが、本当の人間です。もしあなたが猿のように振る舞っていたら、誰があなたを人間として扱ってくれるでしょう? 人々はせいぜい礼儀としてあなたに敬意を示す程度で、あなたがいない所ではいろいろとあなたを批判しているかもしれません。ですから、そのような道を歩んではいけません。自分の良心に従って行動すべきです。神聖な道を歩み、あなたの中にある神聖な性質を正しく役立てるようにしなさい。

愛の化身たちよ! 世の中の無数の側面を探しにいく必要はありません。自分の本性を知るために努力すべきです。昨日、私は皆さんに5つの鞘(さや)の性質を説明しました。体は物質であり粗大なものです。体は数え切れないほどのトラブルの原因です。体への執着が増すと真我への執着は減ります。真我がなければ体は生きていられません。体への執着を少しずつ減らしていくよう気をつけるべきです。体への執着が増すと欲望や金銭欲も増します。

内なる目を発達させる

生気(プラーナマヤ)、心(マノーマヤ)、英知(ヴィグニャーナマヤ)という3つの鞘(コーシャ)から成る微細体は、輝けるもの(タイジャサ)と呼ばれます。なぜ、その名前を獲得したのでしょうか? なぜなら、それは内側にある輝かしい思考や感情と結びついているからです。皆さんは、自分の存在のこの神聖な側面を認識すべきです。あなたが浸っている無数の世俗的な事柄は、あなたに刹那的な快楽を与えるだけで、真の永続する至福を与えることはできません。ですから、内なる目を発達させるべきです。外側の目は動物の目です。動物のレベルまで堕ちてはなりません。それは人間の本性ではありません。あなたの感情を清めるべきです。清らかで、揺るぎない、無私の知性を発達させるべきです。そうして初めて、あなたはすべての人を愛し、すべての人に奉仕することができるようになります。

しかし、現代人は自分を信じません。これは現代人の主な過ちです。まず、自分を信じるべきです。それが自信です。自信(自己信頼)は、人生という大きな家の基礎となるものです。自信という基礎の上に自己の満足という壁を立てることができるのです。自己犠牲がその屋根です。自己実現〔悟り〕という最高の至福は、この大きな家で得ることができるのです。

愛の化身たちよ! 他人の欠点を見つけようとしてはなりません。まず、自分の欠点を自覚しなさい。自分の中に善い性質を育くむことをせず、ただ他人の善いところを見るだけでは、あなたの利益になりません。敬虔な気持ちを養いなさい。誰も憎んではいけません。なぜでしょう?

サルヴァタッ パーニパーダム タット サルヴァトークシ シロームカム
サルヴァタッ シルティマルローケー サルヴァマーヴルッティヤ ティシタティ
(手、足、目、頭、口、耳をすべてに行き渡らせ、神は全宇宙に浸透している)

神性はすべての存在に内在しているのです。

今、広い視野を育てることが必要です。狭い心と自己中心的な感情を無くすべきです。利己心や私利私欲を捨てるべきです。目の大きさは3センチもありません。しかし、その小さな目は、空に浮かぶ壮大な星々を見ることができます。遠くの物体を見ることができるのです。それが目の力です。内なる目を育めば、もっと大きなものを見ることができます。ですから、広い心を持つべきです。多くの外国人はそれを「broad heart(広大なハート)」と呼びます。それは心臓が肥大していることを指す可能性があります。肥大した心臓は医者が治療するものであり、神が治療するものではありません。大らかな気持ちが現れてくるような、大らかな心を持つべきです。

神性は目に見えず、理解することはできない

学生諸君! あなた方はこの広大な宇宙に生まれました。そして、この広大な世界で生きています。ですから、広い気持ちを持つべきです。この広大な世界に生きている人間が、狭い気持ちを持っていてはいけません。他人の欠点を見つけることは間違っています。人には欠点があるかもしれません。でも、欠点を見るのではなく、良いところを見なさい。そうすれば、全宇宙は一つの家族になります。それが、人間は兄弟であり神は父であるという精神です。このような気持ちは、普遍的な兄弟愛を促進します。

ママイヴァームショー ジーヴァローケー ジーヴァブータッ サナータナハ
(すべてのものに内在する永遠のアートマは、私の存在の一部である)

神は全創造物の源です。神は創造物であり、創造主であり、宇宙の監督です。神は目に見えません。神を理解することはできません。あなた方は皆、神の映しであることを認識しなさい。そうすれば、あなたが誰かを憎んだり、誰かを妬んだりすることはなくなって、エゴはなくなるでしょう。

愛の化身たちよ! 愛を養いなさい。愛は神です。愛に生きなさい。それがあなたの人生の目標であるべきです。愛よりも偉大な神はいません。もし誰かに「神はどこにいるのか?」と問われたら、神はすべての存在に内在していると答えるべきです。神の姿はどのようなものでしょう? 愛が神の姿です。あなたはその愛の姿を認識し、完全な確信を持って他の人にそれを伝えるべきです。「愛」、「愛」、「愛」と言うだけでは十分ではありません。自分の振る舞いでそれを表現すべきです。そうしてこそ、尊敬と人望を集めることができるのです。それが、真の人間性を得るということです。

国に奉仕することに充実感を見いだす

学生諸君!

あなた方は若く、大きな活力を持っています。母なる大地のすべての力を持っています。大地のすべての力を持っているにもかかわらず、もし自分は無力だと感じるとしたら、それはあなたの弱さの表れです。国のどこかで災害が発生したら、いつでも駆けつけて人々を助けるべきです。その人たちを自分とは違う人間として扱ってはいけません。分け隔てを感じてはなりません。一つであるという気持ちを養い、社会奉仕に参加しなさい。

社会は自然の主要な一部です。手、鼻、目、胃、足が身体の一部であるように、身体は社会の一部です。社会は人類の一部です。人類は自然の一部です。自然は神の一部です。ですから、この真実を認識し、愛を持って社会奉仕に参加すべきです。そうして初めて、人生は成就を得ることができます。手や鼻といった部分は体に属しています。しかし、体は社会に属しています。ですから、体は社会のために奉仕すべきなのです。あなたの各部を活発に協調させて働くべきです。さまざまな人々のさまざまな必要を把握して、それに応じて行動すべきです。そうすれば、人々は恩恵を受けることができるでしょう。それこそが、真の社会奉仕です。

最近では、村に行って道を掃いたり、お寺の壁を白く塗ったりして、自分は社会奉仕をしたと満足している人が多くいます。それは、違います。それはあなた方の義務であり、奉仕とは見なすことはできません。本当の奉仕とは何でしょうか? 村人たちが直面している主な問題を見つけなさい。好ましくない状況は何か? 村人たちの差し迫った必要は何か? 村人たちの必要を満たすために最善を尽くすべきです。次の季節は夏です。いくつかの村では飲料水が手に入りません。水は人間の命の綱です。井戸を掘るなり、他の水源から水を引くなりして、村人たちを助けるべきです。そのような実用性のある行いに従事するなら、自分は社会奉仕をしたと主張することができます。しかし、実のところ、そうした善い仕事を奉仕と見なすべきではないのです。もしあなたが自分は誰か他の人に奉仕していると感じるならば、それはあなたのエゴを助長することになりかねません。自分は身内に奉仕しているのだと感じるべきです。すべての人は人間です。すべての人は一つのカーストに属しています。それは人類というカーストです。すべての人は一つの宗教に属しています。それは愛という宗教です。一つの言語があるだけです。それはハートの言語です。こうした広い気持ちを養うべきです。そうして初めて、あなたが行う奉仕は真の奉仕となるのです。このようにして人々に奉仕し、あなたの教養と技能を有益で意味のあるものにすべきです。

教育の目的

教育の目的は、外国に行って富を築くことではありません。これはバーラタ人〔インド人〕の弱点です。学生は、工学や医学の学位を得た瞬間にパスポートを申請します。海外に行く代わりに、自分の村の人たちに奉仕しなさい。人々が海外に行くのは、お金を稼ぐためであって、善い性質を得るためではありません。あなた方は自分の文化を育てるべきです。ラーマは言いました。

ジャナニ ジャンマブーミシュチャ スワルガダピ ガリーヤス
(母親と母国は天国よりも偉大である)

けれども、あなたは義務を遂行している間、ラーマを見習っているでしょうか? ラーマは父の命令に従い、自分の王国を放棄して、14年という長い年月を森で過ごしました。あなたの体、知性、心は、両親からの贈り物です。あなたの頭、あなたの血、あなたの食べ物、あなたが使うお金も、すべて両親からの贈り物です。ですから、両親に感謝の気持ちを示すべきです。それは神への真の奉仕です。それはあなたに平安の真の奉仕を与えるでしょう。今、人間は原爆を手に持って「平和」、「平和」と叫んでいます。人間は宇宙を克服して月に到達しましたが、ハートの平和がありません。どうしたら平和になれるのでしょうか? あなたのハートを神聖な気持ちで満たしなさい。原爆を捨てなさい。そうすれば、平和を経験することができます。平和は、あなたの内面が映し出されたものです。すべては内側からやって来るのです。

バーラタの神聖な文化に栄養を与える

愛の化身たちよ! あなた方は善良で、高度な教育を受け、知的です。しかし、利己心があなた方のすべての善い性質を破壊しつつあります。一滴の毒で、容器の牛乳全部を汚染することができます。ですから、怒りや憎しみを捨て、愛を持って社会に奉仕すべきです。あなたはささやかな奉仕をすることができるかもしれません。もし大規模な奉仕ができなくても、落胆してはいけません。あらゆる小さな集落一つひとつに足を踏み入れ、そこにいる人々の必要を把握しなさい。必要なお金や能力がない場合でも、心配することはありません。あなた方学生が協力して、手を取り合って一緒に働きなさい。団結すれば、この世には成し遂げられないことは何もありません。

今、バーラタ〔インド〕では、至る所で困難や苦しみ、悲しみや恐れを目にします。その理由は何でしょう? 私たちは独立を達成しましたが、一体性を失いました。一体性の欠如が、そのすべての苦しみの原因です。兄弟さえも互いに争っています。まず、一体性を達成しなさい。それがあなたの人生の目標であるべきです。一体性が、あなたが始める仕事の根幹をなしているべきです。そうして初めて、あなたの学びのすべてが意味のあるものになるのです。あなた方は、MBA〔経営学修士〕やMFM〔財務管理修士〕やM.Tech〔技術修士〕に合格したと言います。すると早速、海外に職を乞いに行きます。物乞いがしたいのなら、ここで、自分の国でしなさい。外国で物乞いになってはいけません。外国で物乞いをしていると、あなたはここでも尊敬を失います。自分の国の幸福に気を配りなさい。

身をかがめて懸命に働く

あなたのお母さんは醜いかもしれません。それでもあなたは彼女を母親と呼びます。あなたを育てたのは彼女です。他人の母親のほうが魅力的で美しいからと言って、あなたは他人の母親を自分の母親として扱いますか? あなた方は自分の国を貧しい国と呼んでいます。これは若者の弱さです。インドは決して貧しい国ではないということを知りなさい。インドで見つけられないものは、他のどこでも見つけることはできません。インドはすべての力を所有しています。ここはヨーガの国です。ここは徳高い行いの国です。近ごろ、人々はこれほどの偉大な国を刹那的な快楽の国に変えようとしています。快楽を追い求めるべきではありません。快楽は病気を生みます。犠牲によって、すべてを神に捧げるべきです。身をかがめて懸命に働きなさい。あなたの手は仕事に忙しく、あなたの心は善い感情で満たされているべきです。あなたがそうするなら、あなたより優れた人はいないでしょう。そのような人こそが本当の人間です。神はそうした真の人間を探し求めています。信者が神を探す必要はありません。神はどこにでもいます。そうする代わりに、自分の心を純粋で敬虔にするためにあらゆる努力をしなさい。偉い人ではなく、善い人になるべきです。偉い人と呼ばれている人たちから、世界は何を得ていますか?

学生諸君! 得ていないなら、偉いと感じるべきではありません。真実を正しく理解しなさい。高学歴の人たちは、ほとんどが私利私欲に駆られているため、この国の困難、損失、苦しみの原因になっています。彼らは、国家の利益ではなく、自分の利益のために学問や技能を利用しています。インドには多くの偉い知識人がいます。この国をこのような残念な状態にしてしまったのは、彼らです。彼らは無私無欲とは正反対です。もし彼らに神聖な気持ちがあれば、国はあらゆる面で大きく前進したことでしょう。彼らは自分の知性を個人的な利益のためだけに利用しています。私たちの国には、1万ルピーの給料を受け取りながら、10ルピーに値する仕事さえもしていない人たちがいます。そのようにして、この国はどれだけ損失を被っているでしょう? あなた自身に問いかけてみなさい。1カ月にあなたがした仕事は1万ルピーの価値がありますか? しかし、そういう人は海外に行くと懸命に働きます。時間外の仕事さえもします。夜も働きます。外国でそのように働けるのなら、なぜ自分の国ではそうしないのでしょうか? 広い視野を持って、自国への愛と神聖な気持ちを示すべきです。これは真の信愛です。信愛とは、神の写真を拝むことではありません。そうした行為は善行と見なすことができます。善良な気持ちを育むべきです。善良な気持ちがなければ、善行は有益な結果をもたらしません。

ポジティブな思考で心を満たす

愛の化身たちよ! シヴァラートリにはどんな意味があるのでしょうか? シヴァは吉祥の象徴です。この日は敬虔な気持ちであなたの生活を聖化すべきです。皆さんは一晩中バジャンをしました。それは皆さんに幸せを与えました。しかし、それは聴いたり唱えたりという外的な活動だけに留められています。幸せはハートの奥底で感じるべきものです。

もし、あなたがネガティブな思考を抱いたままポジティブで建設的な活動に参加したら、それは何の役に立つでしょう? まず、ネガティブな思考を取り除きなさい。あなたの心をポジティブな思考で満たしなさい。そうすれば、全世界が栄えるでしょう。社会が栄えるでしょう。あなたの村が栄えるでしょう。あなたの家が栄えるでしょう。社会奉仕は、個人から社会へ、社会から全国へと拡大すべきです。奉仕をしているとき、どんな違いも見てはいけません。どんな組織でもいいのです。それは問題ではありません。行って、参加しなさい。奉仕が目的です。犠牲が目的です。敬虔で神聖な気持ちを育みなさい。そうして初めて、あなたの人生は成就を得ることができるでしょう。

広い視野を持つ

多くの若者は、学業を修めた後、適した職に就くまで時間を無駄にし、数え切れないほどの問題に直面します。彼らは、政府が雇用を与えてくれないと非難します。政府はどれだけの雇用を作り出せるでしょう? このまま雇用を与え続けていて、政府は国を運営できるのでしょうか? さらに、従業員たちは給料の値上げを求めています。しかし、国庫は空っぽです。収入は見込めません。政府が税金を課せば、国民に嫌がらせをしていると言って人々に非難されます。もし政府が税金を課さなければ、どうやって国民の福祉を守ることができるでしょうか? ですから、皆さんはこうした視点にも注意を向けるべきです。私たちの教育機関では、学生から学費を徴収していませんが、他の教育機関では、授業料や試験料などを上げると学生たちが反対します。学生たちは学費を下げるべきだと主張し、教師は給料を上げるべきだと要求します。政府はどこから資金を調達することができますか? 国民から徴収し、国民の福祉のために支出するのです。税金がなければ、給料を払うことも、子供たちの教育のために使うこともできません。ですから、広い視野を持つことが必要です。

古代から後世へと保持されてきたインド文化は、他国に広がり、大きな栄光を手に入れました。ところが、今、インド人はそれを無関心に眺め、そうすることで国家と世界に害を及ぼしています。これほど長い間、自国の文化を持っている国は他にありません。他の国は、今日はある文化に従い、明日には別の文化を採用します。しかし、インド人には、永遠で、清らかで、徳高い、ただ一つの文化があります。その文化だけが、皆さんが人間の本性を培うのを助けることができるのです。皆さんはこの真実を支持すべきです。人間的価値を育むべきです。発展のプロセスを科学と工業の分野だけに限定してはなりません。もし、さらに多くの産業を設け続ければ、環境汚染のリスクもますます高まるでしょう。ですから、あなたのハートの中にある神聖な気持ちを、最大限に育てていく必要があるのです。

お金は入っては出ていくが、道徳は入ってくると育つ

愛の化身たちよ! あなた方は多くの知識の部門を学び、学位を取得します。学業を終えてプラシャーンティ ニラヤムを離れたら、両親の許可と助けを得て、村に奉仕しなさい。政府の仕事を欲しがらず、大衆に奉仕することを切望すべきです。もし、あなたが大衆に仕えるならば、大衆はあなたの福利の面倒を見るでしょう。あなた方は神聖な力を持っていますが、まるで自分は無力で弱いかのように振る舞っています。今、あなた方は友情と富と力を手に入れようとしています。しかし、あなた方は善い人格を育てていません。友情とは何でしょうか? それはただの「Hello、Hello(ハロー、ハロー)」です。よく食べれば体力がつきます。一生懸命働くことで、たくさんのお金を稼ぐこともできます。けれども、あなたはこれらのためにだけ生きているのでしょうか? これらはすべて流れゆく雲です。お金は入っては出ていきますが、道徳は入ってくると育ちます。美徳を養うべきです。年長者や役人を敬い、両親を愛するべきです。両親を信頼すべきです。先生を信頼すべきです。そうした神聖な気持ちを育むべきです。人間らしさと人間的価値は、あなたの中で芽生えます。それを育み、伸ばすべきです。人間的価値がなければ、あなたの学識はすべて無駄になってしまいます。満足は真の教養の印です。

もしあなたが他者を助けるなら、あなたは世界に理想を掲げることができるでしょう。理想は決して死にません。理想は溶けてなくなることもありません。理想は日々成長していきます。皆さんは理想を育むべきであり、それには青年期が適した年齢です。青年期は黄金時代です。この神聖な年齢を誤用してはなりません。正しい方法でそれを活用しなさい。そうして初めて、あなたのすべての学識は、実りある、価値あるものになるのです。

愛の化身たちよ! 愛を育みなさい。何をするにも、愛の精神で行いなさい。愛がなければ、あなたの行いはすべて、神聖なものではなくなります。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.33 Ch6