サティヤ サイババの御言葉

日付:2000年5月15日夕方
場所:ブリンダーヴァン
2000年夏期講習の御講話?より

五大元素の神聖さ

小さなものの中で最も小さなものの中に存在し
大きなものの中で最も大きなものの中に存在し
さらには、普遍なる照覧者として輝いている
それは、不滅なる自己
個人の中のアートマとして、そして
宇宙の中のブラフマンとして知られる
アートマはブラフマンであり
ブラフマンはアートマである

愛の化身たちよ!

五大元素で構成されている全宇宙は、人間の内にも存在しています。五大元素、すなわち、プリティヴィ(土)、ジャラ(水)、アグニ(火)、ヴァーユ(風)、アーカーシャ(空間)は、シャブダ(聴覚)、スパルシャ(触覚)、ルーパ(形の知覚すなわち視覚)、ラサ(味覚)、ガンダ(嗅覚)という感覚を通して、私たちに認識されます。クリシュナはアルジュナをパールタ〔大地の息子〕と呼びましたが、それはアルジュナが本当に母なる大地の息子だからです。実際、すべての人は、パールタすなわち母なる大地の息子、と呼ばれることができます。

五大元素の性質

第1の元素である地は、聴覚、触覚その他、五感すべてによって認識することができます。自然によって形成されている五大元素は、どれも非常にパワフルです。たとえば、地球は、宇宙空間(太陽の周り)を非常に速く移動する力と、地軸を中心に急速に回転する力を持っています。地球はさまざまな性質や属性を持っています。大地は、山、森、都市、村、海、川、その他の多くのものを地表で支えています。無知な人は不思議に思います。「地球は回転しているのに、どうしてこれらのものは滑って動いてしまわないのだろうか?」と。この一見するとパラドックスのような問いへの答えは、地球は独立して存在しているのではなく、内に潜む神の力に従属しているという事実にあります。

山、都市、森林、および残りの部分はすべて、その目に見えない力によってしっかりと保持されて安全であり、地球の高速回転に耐えられずに横滑りするようなことはありません。列車は線路の上を疾走します。もし線路も列車のように速く動いたら乗客の運命はどうなるか想像してごらんなさい! 線路が動かないのは、線路はしっかりと固定されているからです。山から海まで、地表にあるすべての物体は、目には見えない引力によってしっかりと固定されています。引力は神の意志の結果です。このように、地は神のマスタープランの霊妙な側面を示す好例です。

地は神の力で満たされているのですから、神のアンガ(手足)にほかなりません。私たちの体には、手、足、鼻、目、耳といった多くの部分や器官があります。それと同じように、すべての個人は社会や共同体の手足です。さまざまな共同体はすべて、人間のさまざまな体の一部分であり、それは自然すなわち創造世界の体の一部分であり、ひいては神の体の一部分です。だからこそ、神は全世界に微細な形で浸透している、とよく言われるのです。

地球は非常に大きいものですが、無限にしてすべてのものの中で最も小さな存在である神は、地球全体を神の神聖な力で満たしています。地はグナ(属性)を持っているので、独立していません。グナが存在するかぎり、独立性を語ることはできません。属性が1つずつ減っていくと、その存在の微細さと広大さが増していきます。地は、音・触・形・味・嗅すべての性質を持っています。ですから、地は有限です。さらに、それらの属性が組み合わさることで拘束力が生まれ、移動は困難(たとえば、山を動かすことはできない)になります。

水は五大元素の第2の元素です。水は地球上どこにでも存在していますが、その存在(特に蒸気や水分)は必ずしも目に見えるものではなかったり、直接はっきりとわかるものではなかったりします。地と比べると、水には臭いがありません。そのため、地よりも1つ属性が少なく、水に軽さと移動性をもたらしています。水は容易に流れることができます。

第3の元素は火です。火は土に比べて2つ属性(味と匂い)が少なく、そのため、上方を含む全方向に広がることができます。火の微細な側面は、人間の中にも水の中にも存在しています。人間の中の火はジャタラアグニと呼ばれています。これは消化のための「火」の名前です。水の中の火はバダバアグニと呼ばれます。火は木や石の中にも潜んでいて、木と木をこすり合わせたり、石で石を叩いたりすると火花が出るのはそのためです。

第4の元素である風〔空気〕には、音と触の2つの属性しかありません。風はどこにでも存在し、生命にとって最も必要不可欠なものです。

元素のリストの最後にあるのは、アーカーシャ〔空間/空/くう〕すなわちエーテルであり、これはまさしくすべてに及んでおり、地球の向こうのはるか遠くまで広がっています。アーカーシャはどこにでも広がる能力を持っています。なぜなら、アーカーシャには音というただ1つの属性があるだけだからです。多くの人はアーカーシャとは天空のことだと思っていますが、それは間違いです。アーカーシャはエーテルを意味し、それはここ(スワミはご自分の前のテーブルを叩かれた)にも、ここ(スワミはマイクを指し示された)にも、存在しています。音はアーカーシャの唯一の特性であり、音がある所にはどこにでもアーカーシャが存在します。次のように言われています。

アーカーシャム ガガナム シューンニャム
〔空(くう)は虚空なり〕

これは、アーカーシャは空間の空(から)の状態であるということを意味しています。アーカーシャはどこにでも存在しますが、見ることはできません。

神と自然に対する畏敬の念

五大元素をはるかに超越し、属性を一切持たないものが、パラマートマ(全知全能の神)〔至高我〕です。まったく属性を持たないパラマートマは、私たちが想像し得る何よりもはるかに微細であり、空間と時間を超えて存在しています。ヴェーダはこう述べています。

サルヴァタッ パーニパーダム タット サルヴァトークシ シロームカム
〔それは至る所に手足を持ち、至る所に眼と頭と口を持ち〕

神の手足は創造世界の至る所にあります。神はすべてを超越していますが、五大元素のすべてにみなぎり、それぞれに適した神の力の側面を与えています。神自身は属性を持っていませんが、適した属性を持つあらゆる存在に内在しています。これについて、ギーターはこのように宣言しています。

ママイヴァームショー ジーヴァローケー ジーヴァブータッ サナータナハ
(創造世界のすべての存在は、私に由来しており、私の側面にほかならない)

それゆえ、五大元素はすべて神の側面であり、神の神性であり、神の至高の力なのです。だからこそ、古代人は五大元素を崇拝し、全能の神の側面として崇めたのです。彼らは、大地を母なる女神として、川をさまざまな女神として、五大元素をさまざまな神として崇拝しました。

大地は何らかの形で食べ物を提供し、命を支えてくれるので、バーラタ〔インド〕の古代人たちは、ずっと大地を母なる大地として崇拝してきました。古代人たちはこの上なく感謝して、「おお、母なる大地よ、私はあなたの優しさのおかげで食べ物を手に入れることができます」と言いました。大地がなければ穀物を得ることはできません。だからこそ、大地は非常に敬われ、母の地位を与えられたのです。ところが、科学者たちは、五大元素を崇拝することは迷信的な行為であり、崇拝する者は愚か者であると考えています。五大元素を崇拝する者は愚か者ではなく、批判する者が愚か者です。そうした批評家たちは五大元素を崇拝する内的意味について何の知識も持っていません。

現代の科学者たちは、自然の物質的、無生物的な側面にしか関心がなく、反射・反作用・反響の原理については完全に無知です。机を叩くと手は痛みを感じます。なぜですか? 反作用があるからです。あなたがアクト(act)する、そうすると、テーブルがリアクト(react)する! これは驚くべきことではありません。反射・反作用・反響は、創造の働きを導く3つの基本原理を形成しています。人間は大地から生まれたので、これらの原理は人間にも組み込まれています。山の前に立って叫ぶと、やまびこが返ってきます。これが反響です。

神の原理は、創造世界のすべてのものとすべての存在に微細な形で潜んでいますが、それを認識するのは非常に困難です。すべてのものは神であり、これは神だがあれは神ではないなどと主張することは誰にもできません。太陽の光が存在するのは、太陽が存在するからです。それと同じように、創造世界が存在するのは創造主がいるからです。想像してごらんなさい。もし全世界の五大元素に非常に多くの力が潜在しているのなら、創造主はそれ以上のパワフルであるはずです! 火はパワフルです。心〔マインド〕は非常にパワフルです。その他のものもそうです。創造世界の構成要素がすべてこれだけのパワーを持っているのであれば、創造主はそれ以上に無限にパワフルでなければならないというのは明白ではありませんか?

ところが、人間にはこの明らかな真実が見えていません。人々は爆弾を恐れていますが、爆弾を作った個人のことは恐れていません。実際、人々はたいてい、誰がそんな殺人兵器を設計し、製造しているのかさえ知りません。物は人々に恐怖を植え付けますが、その物を作った人は人々に恐怖を植え付けません。自然や神についてもそうです。人間は、自然の強力な力に呆然としますが、神への恐れは持っていません。

神の霊妙さ

主の栄光は驚くべきもの
なぜならば、主の栄光は三界すべてを聖化する
主の栄光は鎌のごとく輪廻を断ち切る
主の栄光は高潔な仲間でもあり
賢者たちが礼拝する場である寺院にも等しい

神の栄光を完全に表現するのは不可能です。人が歌うことのできるすべての賛美は、十分とは程遠いでしょう。実際、言葉では言い表せない何かを説明しようとしても無意味です。そうする代わりに、まず自然が教える教訓を理解することから始めなければなりません。大地はどれほどの重荷を背負っているでしょうか! 「スワミ、私は母なる大地の重荷になりたくありません。どうか、私に死をお与えください」と言う人もいます。あなたが死んだからといって、大地の負担は減りますか? あなたが死んでも何も変わりはないでしょう。大地が背負っている重荷は、あなたが自分の重荷を減らして初めて減るのです。あなたが背負っている本当の重荷は何でしょう? 数々の欲望があなたの重荷です!

欲望に天井を付ければ、あなたは身軽になって神に近づきます。だからこそ、スワミはよく、「荷物を減らし、身軽になれば、旅は楽しいものとなる」と言うのです。ですから、あなたは欲望という重荷を減らすために真剣に努力しなければいけません。そうすれば、あなたは神の重荷ではなくなることにもなります。あなたの重荷を増やすということは、神の仕事を増やすということです! しかし、神は微細ですから、あなたの重荷を直接背負っているわけではありません。そうする代わりに、神は、重荷は神が背負ってくれているのだと各人が思うような方法で、一人ひとりに本人の重荷を背負わせているのです! これが神の微細さであり、神は五大元素の中に存在しているにもかかわらず、あたかも五大元素自体がすべてを進めているかのように見せているのです。

ゴーピカー(牧女)たちは、主の微細さについて美しく歌いました。ゴーピカーは言いました。

ああ、クリシュナよ!
いったい私たちはあなたを知ることができるのですか?
原子よりも小さく、最も大きなものよりも大きなあなたは、
840万の種を養っておられるお方です!
いったい私たちはあなたを知ることができるのですか?
ああ、クリシュナよ!

神性の深さを測るのは誰にも不可能です。

五大元素のより深い意義

アーヴィンド(バガヴァンの御講話の前にスピーチをした学生)は、スワミに五大元素の特質を説明してくださいと請いました。この宇宙には、五大元素以外には何もありません。なぜなら、すべてのものは五大元素でできており、五大元素にほかならないからです。五大元素が存在しない場所はありません。五大元素はすべてに満ちています。人間の体も五大元素の特殊な組み合わせの一つです。暦がパンチャアンガム(パンチャアンガ/5つの部分/パンチャーンガム)と呼ばれているのは、暦は天体についての情報を提供し、天体はすべて五大元素で構成されているからです。ですから、五大元素の意味と完全な異議を把握するのは大切なことなのです。

まず、音を唯一の属性とするエーテル〔空/くう〕について考えてみましょう。音の種類は無数にありますが、基本となる音は原初の音オーム(AUM)です。この音、オームカーラは、あなたが本当に集中しなければならないものです。オームにはアカーラム(A)、ウカーラム(U)、マカーラム(M)という3つの音節があり、それらが一体となってオーム(AUM)になります。人間はオーム(AUM)の構成要素である3つの象徴の具現です。原初の音であるオームカーラはアーカーシャ〔空/くう〕の姿そのものであり、人はそれと共鳴しなければなりません。

次に来るヴァーユ、すなわち風(ふう)、つまり空気は、生命を維持します。空気がなければ、生きることは不可能です。呼吸のプロセスは、「ソーハム」によって象徴される吸入と呼気で構成されています。「ソー」は吸気に、「ハム」は呼気と結び付いています。私たちは酸素を吸って二酸化炭素を出しますから、「ソー」は生命を与える酸素と結び付いており、「ハム」は汚染物質である二酸化炭素と結び付いています。呼吸のプロセスの内的な意味は何でしょう? 単純に、良いものは取り入れ、悪いものは手放すということです。これは、元素である空気が1日に21,600回、「ソーハム」の原理を通して私たちに伝えている教えです。体も食べ物を取り込み、排泄物や糞便を排出します。

神は、私たちが良いものを受け入れて望ましくないものを拒絶することができるよう、人に手足や臓器を与えています。しかし、誰もこの基本的な真理を理解しようと努めていません。たとえこの原理を理解していたとしても、それを軽々しく扱い、多くの場合、無視しています。これは正しいことではありません。有害なものは即座に拒絶することを優先しなければなりません。

木について考えてごらんなさい。木は生きている存在だということを、私たちはほとんど理解していません。木は生きているだけでなく、犠牲についての高潔で重要な教訓を教えています。木は二酸化炭素(私たちが吐き出したもの)を取り込み、私たちのために進んで酸素を分けてくれます。人間は木の持つ知性や敏感さを持っているでしょうか? 人として生まれていながら、人間は犠牲においても、悪を善で返すことにおいても、木に劣っています。これではいけません。人間はたいそう多くの技能と知性、多様な能力に恵まれているのですから、きちんと犠牲を実践しなければなりません。人間は常に清らかでなければならず、悪いものはしっかりと拒み、良いものだけを受け入れなければなりません。

エーテル〔空/くう〕と空気〔風/ふう〕の後には、火が来ます。火は、自らの道に入ってくるものは何でも、何の区別もなく燃やす能力を持っています。この厳密な公平さという特性は、あらゆるこの世の執着を燃やす英知の火、すなわちグニャーナアグニの基盤です。火のさまざまな現れである、ジャタラアグニ、プラーナアグニ、バダバアグニといった火のさまざまな現れを、誰も理解しようとしていません。

人間の内にはさまざまな宝物が隠れていますが、真我の知識(アートマ グニャーナ)がないために、人はまったくそれに気づいていません。この真我の知識が真の知識であり、今、非常に必要とされるものです。人間は、地上の知識、世俗の知識、物質的な知識は習得しましたが、真我の知識についてはまったく無知です。アグニは、鮮やかに燃え盛る自らの炎で、真我の知識の美徳を語ります。経典は次のように述べています。

タマソー マー ジョーティル ガマヤ
――暗闇から光明へと導きたまえ

アグニは、英知の火は私たちを光へと導く、ということを教えているのです。

ラーマという神聖な御名には、私たちを闇から光へと導く力があります。ラーマという語は、「ラ」、「アー」、「マ」という3つの音節でできています。「ラ」は火の原理を表しています。「アー」は月を表し、「マ」は太陽を表しています。火の原理である「ラ」は、すべての悪と罪を滅ぼします。月の原理である「アー」は、激情を静めて平安をもたらします。太陽の原理である「マ」は、悪が滅ぼされて平安が君臨したときに光輝を授けます。このように、ラーマという御名は、英知のすべてをコンパクトに体現しているのです。ラーマという御名には、悪を滅ぼすパワー、平安をもたらすパワー、そして、光輝を授けるパワーがあるのです。これが、ヴァシシュタ仙がダシャラタラ王の長男に付けた名前の内的意味です。このように、火の原理は深い意味を有しているのです。

火の後には水が来ます。水は生命にとって最も神聖で、不可欠なものです。水には生命を与える力があります。だから、気を失った人には水をかけるのです。

食事の前には、「ブランマールパナム・・・」〔ギーター4章24節〕を唱えて神にその食事を捧げます。(すると、)あなたが食べる食事に何が起こるのでしょうか? あなたの中にいて、あなたが食べる食べ物から生命力を抽出して体のさまざまな器官に分配するのは誰なのでしょうか? それの神はヴァイシュヴァーナラ〔消化の火〕であり、「おお人よ! 私は消化と同化の世話をする内なる力であるということを理解しなさい」と告げます。これが「アハム ヴァイシヴァーナロー・・・」のシュローカ〔ギーター15章14節〕です。

地に関しては、地は無数の方法で私たちを助けてくれます。地は私たちが使用するレンガの基であり、私たちが建てる大邸宅の土台を提供します。地は木を支え、穀物を供給します。さらに、地は私たちに休息の場を与えます。地が与えないものはありません。これほど多くの恩恵を与えているにもかかわらず、地は何も期待しません。ところが、人間はその教訓を学んでいません。

外の汚染は内の汚染の反映

カリの時代は解脱へと続く最も容易な道を与えてくれる、と言われています。しかし、人間は自分に与えられたその黄金の機会を無視しています。現代人は、(単に世俗的な意味において)非常に賢く、知的になりました。世間的な教育が普及し、学校はどの街にもあります。お金を稼ぐための100万とおりの方法が見いだされています。あるとき、ずる賢い男が、確実に家から蚊を駆除する方法を1ルピーぽっきりで教えます、という新聞広告を出しました。多くの人がその広告に魅力を感じ、たくさんのお金がその男のもとに集まりました。人々がその駆除方法を尋ねると、「石を手に持って、蚊を見たら、どこにいようがすべて石で叩き潰すことです」と、男は言いました。これは蚊の問題に対する意味のある解決法でしょうか? それでも、この詐欺師は大勢の人を騙すことができました。騙されやすい人を騙してお金を出させるために、この種の策略が数多く考案されてきました。

人間は、富を積み上げ、大金を集めるための多くの方法を確かに習得してきました。けれども、幸せは目の前に現れてきません。なぜでしょう? 行いが正しくないからです。善い行いには、徳が最も必要不可欠です。徳のある人は何でも成し遂げることができます。徳のない息子や、意味のある目標のない人生には、何の価値もありません。徳がなければ、人生は意味がなくなります。善行こそが人生の真の土台であるべきです。

ところが、現代人には人格と徳がまったく欠けています。平安も幸せも手に入らないのは当然です。人間の誤った行いと不道徳な振る舞いのために、あらゆる場所で、空気、水、土地、食べ物が汚染されています。五大元素すべてが、人間の人間らしからぬ行動の結果、ひどく汚染されています。人間が適切に行動していれば、五大元素の汚染などありえるでしょうか? 汚染はすべて、不道徳な感情と不適切な行動が広範囲に蔓延していることに起因しています。愛、思いやり、寛容といった美徳が急激に低下したことが、今日見られる広範囲におよぶ汚染の直接の原因です。

実際、五大元素は人間を恐れているとさえ言えるかもしれません! 神が創造した五大元素は、すべて清らかで神聖です。五大元素には何の問題もありません。人間の誤った行いが原因で、五つの元素はすべて汚染されてしまいました。内にある不純は、外の汚染となって映し出されます。一例があります。

ガンジス〔の源流〕の水はきれいです。けれども、その水を色のついた瓶に入れると、色がついているように見えます。瓶が赤なら赤く見え、瓶が青なら青に見えます。その色はどこから来るのでしょうか? 水でしょうか? 瓶でしょうか? ガンジス河の水は本来きれいです。ですから、色は水を入れている瓶が原因です。人間は瓶と同じです。邪悪な考えが優勢なら、体は悪い行いにふけります。善い考えが優勢なら、体は善い行いをします。行いの責任は体にあるのではなく、体を駆り立てる考えにあります。悪い感情、悪い考え、悪い仲間は、悪い行いを刺激します。この基本的な事実を理解しなければなりません。あなたは善い考えを持ち、清い人格を目指すべきです。五大元素を神からの贈り物として認識し、その神聖さを保持しなければなりません。五大元素は正しい適切な方法で使わなければなりません。

なぜバジャンを歌うのですか? この修行の意味を深く掘り下げてみましょう。バジャンを歌うことは、甘く楽しい方法で神の御名を唱える機会を与えてくれます。神の御名と結びついたバイブレーションが、その時、大気中に充満し、大気を浄化します。大気を汚していたものを取り除きます。このように、バジャンの基本的な目的は悪を善に変えることです。

学生諸君!

炎がそうなら、煙もそうなる
煙がそうなら、雲もそうなる
雲がそうなら、雨もそうなる
雨がそうなら、作物もそうなる
作物がそうなら、食べ物もそうなる

ですから、食物に汚染がないようにするには、出発点である煙、すなわち炎に汚染がないようにしなければなりません。ゴミが燃やされると、その汚染された煙が食物にまで浸透していくのです。そして、そのような食物を食べると、病気になります。このように、汚染された食物は、今日の悪い考えや行動のほとんどの原因になっているのです。

海水には塩分が含まれていますが、蒸発して蒸気になると塩分はなくなります。次にその蒸気は雲になりますが、雲に含まれている水もきれいな真水です。降る雨はその真水を地上にもたらします。これは、雨として現れた神の愛であり、ガンジス〔の源流〕の水のようにきれいな水を運んできます。これと同じように、ブッディ(知性)という燃え盛る太陽が、すべての悪い感情を蒸留しなければなりません。その結果、それは善良な性質という蒸気になります。蒸気が十分に溜まると、愛という雨が降ります。雨を降らせる雲は真理です。このように、真理が愛の滴の源です。愛という雨は最終的にあなたに神の恩寵という作物を与えます。ですから、あなたのすべての思考と行動は、清らかで神聖なものでなければならないのです。

もし絶えず神の御名を唱えていれば、汚染された空気は自動的に浄化されていくでしょう。神の御名を唱えることから生じる神聖な振動が空気に混じり合い、あらゆる場所に広がっていきます、実際、世界中に広がっていきます。デリーからラジオ番組が放送されていますが、ラジオ番組が流されたのはデリーであっても、あなたはここで瞬時にそれを聞くことができます。どうしてでしょう? それは電波が伝わってくるからです。ですから、バジャンを歌うことによって生み出される善い音や神聖な振動は、広がって、空気を清め、よい食物を生産する助けとなるのです。加えて、浄化された空気を吸うことは、悪い考えが入ってこないようにする助けにもなります。

神の愛は遍在

愛の化身たちよ! あなた方は皆、愛に生きるべきです。もし皆がそうすれば、全世界が愛に包まれるでしょう。スワミはその生きた証拠です。スワミは常に愛の体現者であり、どんな小さな怒りもありません。時にスワミは「シーッ」〔非難を表す表現〕と言って怒っているように見えるかもしれませんが、それすらスワミの愛から湧き出たものです! 時折、雨のときに雹(ひょう)が降ることがあります。氷の破片は硬いかもしれませんが、それも水でできています。それと同じように、スワミの叱責も、絶えず降り続く愛の雨の一部です。たとえスワミがあなたを叱っているように見えたとしても、それはスワミの愛の一部であり、あなたのためであるということを、決して忘れてはなりません。スワミは頭からつま先まで、愛以外のなにものでもありません。いつもそうです。

愛の原理に従いなさい。五大元素を愛に満ちているものとして見なさい。常に自分の義務を果たし、神聖な行いをしなさい。あなたの霊的進化はあなた自身の責任です。

ウッダレーダートマナートマーナム
〔人は自分の心を真我の支配下に置くべし〕

人は自分の向上のために働かなければなりません。これが、霊的哲学を理解するためのあなたのアプローチであるべきです。

ヴェーダには「ヴィッド」〔知る〕という語根への言及が多くあります。この語根は、あらゆる学習形態に共通しています。ヴェーダは、古代のリシ〔聖仙〕たちによって見出され、リシたちによって実践された、すべての真理が包括的に統合されたものです。ヴェーダは、そこに含まれる教えに従う者に至福と幸せを与えてくれます。ヴェーダの中には何の悪いものもありません。ヴェーダの教えに従えば、善へのみ導かれます。

直接目には見えないかもしれませんが、神はどこにでもいます。神は空気中にも存在しますが、空気の中の神は見えません。シロップは甘いですが、それはどうしてでしょう? シロップには砂糖が入っているからです。ですが、シロップの中の砂糖は見えますか? いいえ、見えません。見えないからというだけで、シロップの中に砂糖が入っているという事実を否定できますか? そうやって否定するのは愚かなことです。では、どうやってシロップの中には砂糖が入っていることがわかるのでしょう? 経験からです。

砂糖がシロップの甘さの基盤であるように、神は遍在する愛の基盤です。神は遍満していて、神の存在は甘露です。もしあなたのハートが愛でいっぱいであれば、至る所で神の甘露のような存在と甘さを確実に経験することができるでしょう。人生はあなたにとって常に甘美なものとなり、あなたはその甘さを常に他の人と分かち合うことができるようになるでしょう。

子供は母乳を飲んで、甘いと感じました。母親は母乳に砂糖を加えたのでしょうか? いいえ、母乳は本来甘いのです。神は母乳をそのように創りました。それと同じように、神の愛は甘く、どこにでも存在しています。赤ちゃんが母乳を吸うように、そして、ミツバチが花から蜜を吸うように、神の愛の甘さを抽出して楽しむかどうかはあなた次第です。

サットサンガットヴェー ニッサンガットヴァム
ニッサンガットヴェー ニルモーハットヴァム
ニルモーハットヴェー ニシチャラタットヴァム
ニシチャラタットヴェー ジーヴァンムクティヒ

〔善い仲間は、無執着へと導く
無執着は、人を迷妄から解放する
迷妄からの解放は、不動心へと導く
不動心は、生きながらの解脱を授ける〕

ティヤジャ ドゥルジャナ サムサルガム
バジャ サードゥサマーガマム
クル プンニャム アホーラートラム

〔悪い仲間を避けよ
善い仲間を求めよ
昼夜正しい行いをせよ〕

悪い仲間を捨てて、善い仲間に加わりなさい。明けても暮れても善いことをしなさい。これは人としての一生を神聖なものにする方法です。正しい道を歩むための機会は多くあるにもかかわらず、人々はそれらすべてを逃してしまい、その代わりに自分の時間を浪費しています。人々は、お金を払ってでも悪い仲間を探して喜んでいます。なぜ悪い考えや仲間を求めて出かけていく必要がありますか? 反対に、お金を払わなくてもただで差し出される善いものを、どうして受け取らないのですか? 善いものを拒絶して悪いものだけを受け取るのは重大な間違いです。善悪の区別がつかない愚か者だけが、そのような行動をとるのです。

創造世界は完全である

愛の化身たちよ! 常に愛に生きるべきです。愛に形はありません。愛に欲望はありません。愛は利息を要求したり、利息を与えたりすることはありません。愛は売買や、他のどんなビジネスの取引をすることもありません。愛は、それ自体、愛としてあり、愛だけで手に入れることができます。ですから、愛の化身であるあなたは、あなた以外のどの人も愛の化身として見なければなりません。

人間は五大元素でできており、そのどれも神が起源です。五大元素はすべて神聖なものであり、その中に悪いものは何もありません。今、五大元素が汚染されているなら、その汚らわしい行為の責任は人間にしかありません。

この点を明らかにしている話があります。あるとき、ナーラダ仙がヴィシュヌ神のダルシャンを受けに行きました。主は微笑んで、

「ナーラダ、そなたはどこから来たのだね?」

と問いました。ナーラダは答えました。

「私には家も家族もありません。私は常に移動しています。私は三界を歩き回り、絶えずあなたを賛美して歌っています」

ヴィシュヌ神は言いました。

「そうなのか? 大変よろしい。では、言いなさい。そなたは私の創造世界の神秘を理解したのかね?」

ナーラダ仙は言いました。

「主よ、あなたは私が理解していないということをほのめかしておられるのですか? もちろん私は理解しています」

すると、ヴィシュヌ神はこう続けました。

「では、そなたは私の創造世界には何も悪いものはないということを理解しているはずだ。そなたは今までに何か悪いものを見たことがあるかね?」

ナーラダはしばらく考えてから答えました。

「主よ、お許しください。私は悪いものを1つ見ました」

ヴィシュヌ神は声を荒げました。

「何だと! 私の創造世界に悪いものがあったというのか? 不可能だ! 私の創造世界に悪いものは絶対にない」

ナーラダは恐縮して言いました。

「主よ、汚らわしいものが1つだけあるのです」

「それは何だ?」

と、ヴィシュヌ神は問いました。ナーラダはこっそりと言いました。

「それは糞便です。あれはまったく汚らわしく、誰も近寄ることができません。なぜあなたはあのようなものを創られたのですか?」

ヴィシュヌ神は言いました。

「ナーラダ、そなたは間違っている。行って、誰がそれを創ったのか糞便に聞いてみなさい」

ナーラダは抵抗し、糞便には近寄れないと抗議しました。しかし、ヴィシュヌ神は断固として、言われたとおりにするようにとナーラダに命じました。主の命令に逆らうことはできず、ナーラダはしぶしぶ糞便のところに向かいました。ナーラダが近づいてくると、糞便は言いました。

「止まれ! 私の近くに来るな。近寄るな」

ナーラダはびっくり仰天して、

「何だと? おまえのような汚らわしいものが、私のような神聖なものに近寄るなと言うのか?」

と怒りました。糞便は答えました。

「昨日の今ごろは、私も神聖だった。私は主に捧げるにふさわしい、おいしい料理の姿をした、よい食べ物だった。その後、私はひとりの人間に出くわし、そして、これが私に起こったことだ! 悪いことは一度で十分だ。私はまたおまえたちの仲間になるのはごめんだ!」

このように、悪は、自分が付き合う悪い仲間から生まれます。近ごろでは、この基本的な事実が正しく理解されていません。

ある日、ある一人息子がサソリに刺されました。少年はその痛さに大声で泣き、困った父親は急いで医者に助けを求めました。父親は言いました。「先生、息子がサソリに刺され、かわいそうに、泣いています。痛み止めの薬を出してください」 医者は軟膏を渡し、「これをサソリに刺された所に塗りなさい」と言いました。父親は走って家に帰り、「サソリに刺された場所はどこだ?」と尋ねました。息子は部屋の隅を指差して「あそこだよ」と言いました。すると、愚かな父親は部屋の隅に軟膏を塗りました!

これは、今、霊性の求道者のほとんどがしている愚かな行動です。あなたは悪の根源や原因を注意深く特定し、それから適切な改善策を講じなければなりません。他人のせいにしてはいけません。欠点はあなたの中にあり、あなたの優柔不断、影響されやすさ、悪の道を歩みたいというあなたの意志や欲求にあります。ですから、誰かが自分をだめにしたと他人を非難するのではなく、あなたの感情と考えと行動を正すことに集中しなさい。

五大元素と五つの生気(パンチャ プラーナ)の霊的な基礎を理解しなさい。これらを正しく理解するだけで、あなたは正しい道へと導かれ、自分の不幸を取り除くことができます。五大元素は最も貴重で神聖なものであり、経験によって得た畏敬の念をもって用いなければなりません。

愛の化身たちよ! 創造世界には何も悪いものはありません。もしそう見えるものがあるとすれば、それはひとえに誤った見方によるものです。自分の中に潜んでいる悪い感情が、何か特定のものに対してこれらは悪いものだという印象を作り出しているのです。だからこそ、清らかで愛に満ちた感情を育むことが大切なのです。いつも神のことを考え、絶えず神の御名を唱えていなさい。常に神聖な気持ちで満たされていなさい。これらの修行は、もしきちんと実践するなら、あなたの中の汚染をすべて除去してくれる、ということが保証されています。

決して悪い行いはせず、決して他人を批判せず、人のせいにしたり、非難したりしてはいけません。悪い思いは空気を汚染し、他の人にも感染します。悪い波動はそうして広がっていくのです。ですから、細心の注意を払って悪い仲間や悪い行動を避けなさい。邪な目で見てはいけません。それは害へとつながります。キーチャカは淫らなことを心に抱いていたために、高い代償を払いました。キーチャカはビーマに潰され〔殺され〕ました。

悪い助言には絶対に耳を貸してはなりません。マンタラーの悪い言葉に耳を傾けたカイケーイー妃は、後にどうなりましたか? カイケーイー妃のことを快く思う人は誰もいません。カイケーイー妃は、誰も自分の娘にカイケーイーという名前を付ける人がいなくなるほどの悪評を得ました! 悪い助言は、ドゥルヨーダナとドゥッシャーサナも破滅させました。二人は高潔なパーンダヴァ兄弟を罵倒し続け、最後には悪運が尽きました。ですから、決して悪いことに耳を傾けてはいけません。

平静と犠牲の精神を養う

スワミは学生たちに大切なアドバイスをしたいと思っています。人々は皆さんに苦痛をもたらすようなことをいろいろ言うかもしれません。そのことは忘れて、あなたはそれと同じことを他の人に言わないようにしなさい。もし誰かがあなたに苦痛を与えたとしたら、その人は他の人にも苦痛を与えるでしょう。なぜそうやって繰り返すのですか? あなたはしていないのに、誰かがあなたはそれをしたといってあなたを非難したとしましょう。あなたは傷つきます。今、あなたがそのことを両親に報告したら、両親も傷つくでしょう。ですから、他人の悪口や不適切な発言は無視することを学びなさい。時たま、やむをえず他人の言うことが耳に入ってしまうこともありますが、その発言を心に留めないようにしなさい。ただ聞き流して、忘れてしまいなさい。悪い考え、悪い見方、悪い感情、悪い行動を、いつも避けていなさい。反対に、常に神聖でいて、善だけをしなさい。

神がなぜあなたに目を与えたか知っていますか? 何でもかんでも見せて目を楽しませるためですか? いいえ、違います! 神があなたに視力という贈り物を授けたのは、あなたが神のダルシャンを受け、神の美しさを見て至福を感じることができるようにするためです。目は神聖なものであり、神聖な目的のためだけに使われなければなりません。

五大元素のすべて、そして、実に、創造世界全体が神聖です。あなたは創造世界の一部であり、神の肢体です。ですから、あなたも神聖な存在です。創造世界のすべてのものは、神の1つの側面です。この感覚と意識を深めなさい。そうすれば、あなたは確実に神を経験するでしょう。創造世界の中に悪いものは何もありません。ナーラダ仙は、糞便は悪いものだと思っていました。もし糞便が永遠にずっと体の中に残っていたら、それは体にとって良いことですか? 明らかに違います。だから、神は糞便は排泄することに決めたのです。それはあなたにとって善いことです。神がすることはすべて、善のためであり、善だけです。

創造世界のすべてのものを善と見なしなさい。苦しみや痛みも善です! 期せずして痛みや苦しみを経験したら、「これは私にとって善いことだ、これは私にとって善いことだ」と自分に言い聞かせなさい。称賛も非難も同じように扱い、たとえ人から罵倒されても平気でいなさい。これが推奨されるヨーガであり、犠牲を払うことが推奨される道です。平静に優るヨーガはなく、犠牲に優る道はありません。これは、純粋さと神聖さを得るための最良の道です。

五大元素の意味を深く探究し、自分は五大元素でできてるということを自覚しなさい。五大元素を適切な方法で敬い崇めるために、あらゆる努力をしなさい。あなたの呼吸は、いつも唱名と共鳴していなければなりません。いつも神の栄光を歌っていなさい。

(バガヴァンは「ハリ バジャナ ビナー スカ シャーンティ ナヒン」〔神のバジャンなくして幸福と平安はない〕バジャンを歌って御講話を締めくくられました)

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Summer Showers in Brindavan 2000 Ch2