サティヤ サイババの御言葉

日付:2000年5月29日
場所:ブリンダーヴァン
夏期講習におけるババの御講話より

私の人生が私のメッセージ

今日、スワミはこの身体の子供時代についてお話しします。子供時代は子供時代でも、この特別な身体の子供時代の意義は、学生の皆さんに容易に理解できるものではありません。そういった訳で、今朝スワミはこのことについてお話しするのです。

コンダマ ラージュ(ババの祖父)には4人の息子がいました。長男はペッダ ヴェーンカマ ラージュ、次男はチンナ ヴェーンカマ ラージュ、三男はヴェーンカタ スッバ ラージュ、四男はヴェーンカタ ラーマ ラージュ〔三男と四男はコンダマ ラージュの弟の子〕と名づけられました。ヴェーンカヴァドゥータが自分の導師であったことから、コンダマ ラージュは「ヴェーンカ」という名前をたいそう好んでいました。コンダマ ラージュの全員の息子の名前にヴェーンカという名が入っているのはそのためです。

やがて息子たちは結婚しましたが、皆、貧しく、4世帯は1軒のあばら家の中で同居しなければなりませんでした。その家の屋根は瓦ではなく、ただの藁で覆われていました。時が過ぎ、4世帯すべてに子供が生まれました。チンナ ヴェーンカマ ラージュは12人、ペッダ ヴェーンカマ ラージュは8人〔そのうち4人は流産したので実際には4人〕、スッバ ラージュは9人、ヴェーンカタ ラーマ ラージュは11人の子供を授かりました。これは小さな小学校がいっぱいになってしまうほどの人数です!(大笑)

当時、人々は、一致団結して生活すること、互いに相手に合わせること、互いに仲良くやっていくこと、互いに助け合う方法を知っていました。息子たちにとってみれば、コンダマ ラージュは実の父親ですが、息子の嫁たちとは血縁はありません。そのため、義理の娘たちのせいで、だんだんと意見の相違が生じてくるようになりました。それに気づいたコンダマ ラージュは、もう数世帯の同居は無理なので別居に踏み切り、それに応じて息子たちがそれぞれ自分の責任を担わなければならない、と感じました。一家には二エーカー〔8094平方メートル: 約90メートル×90メートルの土地〕の土地があるだけでした。それほど貧しかったのです。コンダマ ラージュはこの土地を四人の息子たちに均等に分けたので、一人たったの半エーカー〔約2024平方メートル: 約45メートル×45メートル〕を手にしたにすぎませんでした。コンダマ ラージュは先祖代々の家を4等分し、4人の息子に10フィート×8フィート〔約3メートル×1.5メートル: 約2坪強〕ずつ分け与え、それぞれの家族がそこで暮らすようにさせました。これは小さく思えるかもしれませんが、当時の村の一般的な基準ではこれは広いほうでした。

財産分与をした結果、コンダマ ラージュは家に自分の居場所がなくなってしまいました。そのため8フィート×8フィート〔約2.5メートル×2.5メートル: 約2坪弱〕の小さな敷地に移り、そこに自分用の小さなあばら家を建てました。4人の息子は、

「お父さん、どうして一人暮らしをしなければならないのですか? お父さんはもう年なんですから、どうか順番に私たちのところで暮らしながら余生を送ってください」

と言いました。コンダマ ラージュは、

「わしは息子や義理の娘たちとは暮らしたくない。わしは小さな店を開いて生計を立て、独立して暮らしたい」

と答えました。それは小さな日用品店で、豆類やライスパフ、食料品やココナッツなどといった生活必需品を売っていました。店はとても小さく、この机(ここでスワミはご自分の前の机を指されました)以上の大きさはありませんでした。しかし、これは村では十分な大きさの店でした。コンダマ ラージュが小さな店を出して自立すると断言した時、ペッダ ヴェーンカマ ラージュは、

「でも、お父さんの食事の用意や世話や付き添いやらは誰がするんですか?誰かがそばにいたほうがいいと思います」

と言いました。コンダマ ラージュはしばらくそのことについて考えました。自分と一緒に誰を連れて行くべきか? その時、この身体は七歳でした。コンダマは、

「ヴェーンカ(長男の呼び名)、反対しないでおくれ。わしはサッティヤム〔ババの呼び名〕を一緒に住まわせたい。サッティヤムだけがわしの財産じゃ」

と言いました。

「ですが、サッティヤムは小さすぎます! どうやってサッティヤムにお父さんのための料理ができますか? 私たちで料理人を雇います」

」と誰もが言いました。コンダマはきっぱりと言いました。

「わしはサッティヤム以外誰もいらん。もしサッティヤムがわしのそばにいてくれたら、誰も必要ない。」

当時、サッティヤムはひざ下丈のズボン1本とシャツ1枚しか持っていませんでした。それで1年間やっていかなければなりませんでした。ひざ下丈ズボンとシャツは学校に行く時に着て、家では小さなドーティー〔男性用の腰巻〕を身に着けていました。当時の生活はとても簡素でした。4年生に上がると、ブッカパトナムの学校に通わなければなりませんでした。プッタパルティには3年生より上の授業を行う学校がなかったのです。ブッカパトナムには歩いて行かなければなりませんでした。村には他にもブッカパトナムで勉強している少年たちがいて、スワミは一緒に通っていました。

朝早く、スワミは雑穀を料理しました。一杯は祖父のために、一杯は自分用に、器二杯分を料理しました。また、雑穀に添える落花生のチャトニ〔南インドのソース〕も作りました。その後、スワミは学校に走って行きました。週に一度はダル〔豆で作ったスープ状カレー〕にほうれん草を加えたものを作りました。金属製の器はなく、陶製の容器しかありませんでした。急いで料理した後、スワミは学校までずっと走って行きました。正午になると昼休みです。鐘が鳴るとすぐにスワミは走って家に帰りました。走らなければならない距離は3マイル〔約4.5キロメートル〕ありました。少年たちは皆そうしていました。スワミも同じことをしたのです。家に着くと、祖父に食事を出します。そして服を洗濯し、夜の分の食事をとっておき、それから自分の昼食を食べます。食事が終わったら、学校まで長い距離を走って戻ります。このようにして何年かの人生が過ぎていきました。

コンダマ ラージュはこれらのことすべてに、だいぶ気をもんでいました。

「誰もラージュを手助けする者はおらんのか」

と、コンダマ ラージュは思っていました。ある日曜に、コンダマ ラージュは、

「サッティヤム、わしはおまえに多くの苦労をかけているじゃろう?」

と尋ねてきました。スワミは、

「おじいちゃん、もし僕が今、一所懸命働かなかったら、いつ働くんですか? 早く出発し、ゆっくり運転し、安全に到着するんです! これは僕が喜んでしなければならない仕事です! 僕の身体と心が丈夫なうちは、僕はどんな量の仕事でもすることができます」

と答えました。祖父はその返答をたいそう喜びました。このような愛に満ちた接し方で、私たちは共に時間を過ごしました。夕方に時折スワミはラッサム〔南インド独特のカレー風味スープ〕をこしらえました。ラッサムを作っている時のいい香りが辺りに広まり、近所に住む人々の注意を引きました。近所の人の多くは、ヴァールミークルやボーヤバッルウ〔猟師のカースト〕と呼ばれる部族民でした。部族民たちは、

「このいい匂いはどこから漂ってくるんだろう? 何の料理をこしらえているんだろう? こんな料理を作るにはラージュは幼すぎるし、料理をするにはコンダマ ラージュは年を取りすぎている。他に誰かいるんだろうか?」

と不思議がりました。

ある日、秘密を見破った一人の部族民が、毛布にくるまってあばら家にやって来ました。その男は震えており、熱を出して苦しんでしました。男は、

「ここで何かおいしいものを作っている匂いがしました。どうかいくらか分けてください」

と言いました。コンダマ ラージュはこの上なく慈悲深い人物でした。コンダマ ラージュはスワミを脇に呼んで、耳元に囁(ささや)きました。コンダマ ラージュは誰にも知られたくなかったので、スワミをそばに呼んだのでした。コンダマ ラージュは、

「哀れな男が、おまえのこしらえたラッサムを欲しがっている。いくらか分けてやりなさい」

と言いました。スワミはその男にラッサムを分けてあげました。翌日、男の熱は下がりました。このニュースはすぐに広まり、それ以来、近所の誰もがアルミのコップを持ってラッサムをもらいに来るようになりました。その人たちのために、スワミはラッサムを余分にこしらえなければならなくなりました! スワミが大きな鍋でラッサムをこしらえている間、コップが一列に並べられ、スワミはその一つひとつにラッサムを注ぎました。そのラッサムのおかげで、村には病気がなくなり、誰もが幸せになりました。やがて、このニュースはペッダ ヴェーンカマ ラージュとチンナ ヴェーンカマ ラージュの住む別の通りにも届きました。その通りの人々も早速ラッサムをもらいにやって来るようになりました! ここで注目しなければならないことは、7歳の時でさえ、スワミは家のことをしなければならなかったのみならず、家の外の人たちにも奉仕をしていたということです。水汲み、掃除、料理、生活必需品を手に入れること、これらはすべて、スワミがしなければなりませんでした。

一方で、スワミは教師にもなりました! 通りに住んでいた生徒たち――生徒というのは年若い少年たちだけを意味しているのではなく、中には20代の者(!)もいて、皆、スワミのところにやって来て、

「ラージュ、どうか僕たちにアルファベットとその読み方を教えてよ」

と言いました。スワミは二つ返事で同意しました。コンダマ ラージュはこのことを快く思わず、

「ラージュは日中とても忙しく働いていて、休む時間は少ししかない。なのに、おまえたちはラージュの荷をさらに重くしようというのか」

と言いました。スワミは間に入って、

「僕の使命はみんなを幸せにすることです。この人たちに教えることはまったく問題ではありません。僕はおじいちゃんを困らせたり、面倒をかけたりすることなく授業をします」

と言いました。

サティヤナーラーヤナ寺院の近くにナーラーヤナ ラーオという名前の人物(スッバンマの夫)が住んでいました。村できちんとした家を持っていたのはたった二人、詳しく言うと、カラナム ゴーパール ラーオとナーラーヤナ ラーオだけでした。そのナーラーヤナ ラーオが、自分の敷地にあった藁葺きのあばら家を使わせてくれて、それが私たちの「学校」になりました。教室は、夕方、家の仕事が全部終わった後に開かれました。スワミはコンダマ ラージュに食事を出し、食べ、器を洗い、器を片付け、それから教えに行きました。

どのようなタイプの生徒を教えていたかについても、触れておかなくてはなりません。実は生徒たちは大人でした。中には口髭を生やしていた生徒もいました! スワミはひざ下丈ズボンをはいて行きましたが、成人の生徒たちは皆、敬意を示すために起立しました。初め、生徒たちはスワミを、「ラージュ」と呼んでいましたが、すぐに「先生!」と言うようになりました。教師のための椅子はありませんでした。そのため大きくて良い石が運ばれ、布がかけられ、それが椅子代わりになりました。生徒たちは筆記するための石盤を持っていませんでした。そこでスワミは、チットラーヴァティー川から砂を持ってきて「教室」の生徒たちが座る場所の前に敷くようにと言いました。そのようにして砂が石盤代わりになりました! スワミは伝統にのっとって、アルファベットを書く際「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」で始めました。このようにして教えることを始めたのです。一週間もたたないうちに、生徒たちはアルファベットの基礎を覚えました。さて、今度は教科書と石盤が必要になりました。当時、石盤は1アナで(当時十進法は使われておらず、1ルピーは16アナ、一アナは12パイ、そして3パイで1パイサに換算された)、1パイで3本の石筆を手に入れることができました。スワミはそれらを調達するようにと言いましたが、生徒たちは一アナもお金を持っていませんでした。生徒たちはそれほど貧しかったのです。

学生諸君!

皆さんはスワミがどれほど自分の教え子の幸福に気を配っていたかに注目しなければなりません。当時、プッタパルティに小さな店を営んでいたヴェーンカタラマナ シェッティという店主がいました。スワミはシェッティに、

「聞いてください、僕と一緒に勉強している人たち11人全員に石盤を与えてほしいのです」

と話しました。シェッティは、

「しかし、その人たちは私にお金を払わないだろう!」

と言いました。スワミは、

「僕がそうさせるよう計らいます。僕の生徒たちが借金を返さないことはありません」

と答えました。スワミをすっかり信用したシェッティは、11人の生徒全員に石盤と石筆を与えました。スワミは生徒たちに、

「石盤と石筆は大切にするんですよ。石筆は本当に小さくなるまで使うようにしてください。皆さんはお金を払って石盤と石筆を手に入れたのですから、手に入れた物は大切にしなければなりません」

と話しました。このようにして、スワミは当時ですら、決してお金を無駄にしてはならないということを教えたのです。生徒たちは、あらゆることをとても熱心に学びました。

生徒だった人たちは定職を持っておらず、家の裏庭で少量のほうれん草を育て、売っていました。スワミは収入を増やす方法を教えました。タマリンド(マメ科の植物で、酸味のある実は南インド料理に欠かせない調味料となる)の木の生えているところに行って、落ちているタマリンドの実を拾い、種を取り除いてそのタマリンドを売るようにと言いました。スワミは、

「これは誰のものでもなく、神の財産です。誰も皆さんがそうやってタマリンドを拾って売ることに文句をつけられる人はいません」

と言いました。生徒たちはスワミを完全に信頼し、すべてスワミの言うとおりにしました。このようにしてお金を稼ぎ、週に1ボットゥ(4分の1アナ)ずつ返済しました。どの生徒も、1ヶ月ちょっとで石盤代と石筆代を払い終えました。その時、生徒たちは喜んで、

「やっと石盤と石筆が自分たちのものになった」

と宣言しました。スワミは、

「そうです、今、これらは皆さんのものになりました。だから、どれも決して無駄にしてはなりません!」

と戒めました。このようにしてスワミは、どんな物も決して無駄にしないことの重要さを、いつも気づかせていたのです。

やがて、ほうれん草の商売が繁盛し始めました。犠牲のあるところには質の高さがあります。質の高さのあるところにはラクシュミー女神(富の女神)が現れます。今度は、ほうれん草といっしょにパパイヤも育てるようにと、スワミはアドバイスしました。このようにして月に半ルピーを稼ぐことができるようになり、生徒たちはそれを貯蓄に回しました。

2年経ちました。スワミはブッカパトナムで受けられる一番上の学年である6年生の学習を終えました。当時は、ESLC(小学校卒業資格)試験に備えて8年生まで勉強しなければなりませんでした。これは、そのためにどこか別の場所に行かなければならないことを意味しました。しかし、そうすると誰かがコンダマ ラージュの面倒を見なければなりません。その決断を下すべき時に、シェーシャマ ラージュ(ババの兄)がプッタパルティにやって来ました。そして、

「お祖父さんがサティヤをここに置いておくと、サティヤは教育が受けられなくなります。それではサティヤは駄目になってしまいます。ですからサティヤを私の所に送ってください」

と、コンダマ ラージュに話しました。コンダマ ラージュはとても賢い哲人でした。コンダマ ラージュは、

「さて、わしは何かを勉強したことがあったか? 何も勉強しなかった。おまえは勉強したはずだった。それで何か良いことがあったのか? 教育を受けていないせいで、わしは何かひどい目に遭ったか? 教育を受けても受けなくとも、どちらも同じじゃ。わしはこの種の教育は好まない。おまえはサッティヤムの持っている良い性質の千分の一さえ持っておらん! おまえの受けた教育が何の役に立っているというのじゃ?」

と返答しました。コンダマ ラージュの怒りに満ちた応対を見て、シェーシャマ ラージュは沈黙を保っていました。当時、年長者が怒った時には、若い者は黙ったままで、反論したりしませんでした。

後日、シェーシャマ ラージュはスワミをそばに呼んで、

「サティヤ、考えてもみなさい。教育はとても重要だ。教育なしで何ができる? 数えることだって、たとえば洗濯屋に出す時に服の数を数えるためにも、勉強して身につけなければならないものだ。だから教育は絶対に必要なのだ」

と言いました。そこでスワミは祖父のところに行って、

「おじいちゃん、僕は行くことにします」

と言いました。祖父はとても心配そうに

「わしはどうなる?」

と尋ねました。そのためスワミはヴェーンカ スッバ ラージュの息子の一人を祖父のところにやるようにしました。このようにして、スワミは兄のシェーシャマ ラージュについてカマラープラムに行く準備をしました。出発が迫っているという噂が立つと、スワミに教えられている11人の生徒は、

「先生が行ってしまう。先生がいなくなってしまう。僕たちはどうなるんだ? この先いったいどうなってしまうんだ?」

と泣き出しました。スワミへの生徒たちの愛情はそれほどのものでした。

翌朝、11人の生徒たちは、見送りをするために、スワミとスワミの兄と共にブッカパトナムのバス停まで歩いて行く計画を立てました。私たちはブッカパトナムからダルマヴァラムに行き、ダルマヴァラムからカマラープラムに行くことになっていました。生徒たちは餞別を贈りたいと思い、お金を集めました。一人半アナ献金し、合わせて六アナ近くになりました。生徒たちはスワミにお金を差し出しましたが、スワミは「こんなに要りません。自分たちで取っておいてください」と言って固辞しました。当時の物価はとても安く、ひざ下丈ズボンは半アナで、シャツは1アナで買うことができました。スワミはシャツ一枚とひざ下丈ズボン一本に必要な分と、縫い賃の2パイサだけ受け取りました。けれども、仕立て屋はとても心優しく、スワミへの愛にあふれていたので、

「ラージュ、君はただでいいよ!」

と言いました。ここで皆さんが注目しなければならないことは、誰もがスワミへの愛を抱いていたということです。その理由は何でしょう? スワミが話していた言葉が、穏やかで甘美だったからです。誰もがスワミを慕ったのはそのせいです。生徒たちは仕立て上がった服を受け取り、スワミに送りました。

そのころ、シェーシャマ ラージュが結婚しました。結婚式の後シェーシャマ ラージュは、もっと勉強して研修を受けるために、アナンタプルに行かなければならなくなりました。シェーシャマ ラージュの妻はカマラープラムに残され、スワミが家事をすべてやらなければならなくなりました。当時は、早朝に一本の汽車が走っていました。その汽笛が聞こえると、町の人は皆、水瓶を持って5マイル(約8キロメートル)離れた池に水を汲みに行きました。スワミは朝4時に水を汲みに出かけました。それは第二次世界大戦の最中でした。ある日、特殊な軍用列車が夜の11時に通過したことがありました。その汽笛を聞いた人々は皆、今何時なのかに気づかないまま、いつものように池へと向かいました。スワミも他の人たちと一緒に行きました。とても寒かったのですが、それでも行かなければなりませんでした。夜が明けると、さらにしなければならないことがたくさんありました。家の人たちが沐浴をするために、井戸から水を汲んでこなければなりませんでした。その後は、たくさんの家事をしなければならず、それから家中の掃除が待っていました。これらの仕事をすべてやり終えてから、やっとスワミは学校に行くことができました。

学校に、メーブーブ カーン〔アラビア語読みだとマフブーブ カーン〕というイスラム教徒の教師がいて、スワミをとても好いていました。ある日、深い思いやりと心遣いから、カーン先生は、

「ラージュ、君はいつもとても忙しく働いている。私は君の家のすぐ向かいに住んでいるから、家の窓から君が何をしているかが見えるのだ。君は大量の水を運び、たくさんの家事もこなしている」

と言いました。スワミは、

「先生、身体は仕事をしなければならないものです。実際、身体は仕事をするために授けられているのです。もし何も仕事がなかったら、怠け心が起こって、身体は病気にかかってしまうでしょう。働くことは何も大変なことではありません」

と返答しました。次第に、スワミに対するメーブーブ カーン先生の愛は強くなっていきました。カーンは英語を教えていました。授業は易しかったので、スワミはすぐに内容を理解しました。

学年は6年生でしたが、教室には大きな少年もたくさんいました。中には18歳や20歳の者もいました! 教室で少年たち全員が起立すると、スワミの姿は見えなくなってしまいました。スワミの背が一番低かったからです。スワミが椅子の上に立ち、他の生徒が床の上に立っても、スワミは隠れてよく見えませんでした。スワミはそれほど小さかったのです。今でも、スワミはかなり小柄です。だから、当時スワミがどれほど小さかったか想像してごらんなさい!(笑)

メーブーブ カーン先生は私たちのクラスで授業をするのをとても楽しみにしていました。ある日、テルグ語の授業が行われていた時のことです。その授業はコンダッパ先生が受け持っていました。鐘が鳴り、授業の終わりを告げました。次の授業はメーブーブ カーン先生の担当でした。しかし、コンダッパ先生は授業を続け、

「みんな、私の授業でノートを取っていたか?」

と尋ね、

「ノートを取っていなかった者は、椅子の上に立ちなさい」

と言いました。スワミは、

「先生、僕はノートを取っていませんでした」

と言いました。スワミにはノートを買うお金がなかったのです! スワミはそこで話をやめるべきだったのですが、話を続けてしまいました。

「ノートを取っていなくても、僕には答えが全部わかっています。お望みでしたら、質問して僕をテストしてくださってもかまいません。」

コンダッパ先生は腹を立て、

「おまえは口答えをする厚かましさを備えているのか? 椅子の上に立ちなさい!」(椅子の上に立たせるのは生徒に対する当時の罰)

と言いました。教室の生徒たちは声を揃えて、

「やめてください! やめてください!」

と叫んで抗議しました。このことがコンダッパ先生をさらに怒らせました。コンダッパ先生は、

「これから三時限の間ずっと立っていなさい!」

と言いました。

コンダッパ先生が教室を出る時間になりました。コンダッパ先生は椅子から立ち上がろうとしましたが、椅子がくっついていて、一緒に持ち上がってしまいました。(笑) コンダッパ先生は、立ち上がった時に椅子が持ち上がったのは、ドーティーに釘が引っ掛かったためだと思いました。あるいは椅子の上にチューインガムが落ちていたのではないかと思いました。コンダッパ先生は、椅子にガムがついているかどうかを調べさせるために、掃除夫を呼びました。掃除夫は、ガムはついていないと言いました。そうこうしているうちに、メーブーブ カーン先生が急いで教室にやって来ました。スワミのいるクラスだったので、できるだけ早く来たかったのです。カーン先生はスワミが椅子の上に立たされているのを目にしました。カーン先生の目から涙がこぼれ落ちました。カーン先生は涙をぬぐいながら、コンダッパ先生に尋ねました。

「どうしてラージュを椅子に立たせているのですか? これは間違っています。今は私の授業なのですから、あなたにラージュを立たせる権限はありません。」

カーン先生は私の方を向いて、

「座りなさい!」

と言いました。そこでスワミは、

「先生、先生方はどちらも私の先生です。コンダッパ先生は私に次の三時限の間、椅子の上に立っているよう命じました。どうして僕がそれに背くことができるでしょうか? コンダッパ先生が僕に許可を与えてくださるまで、僕は着席できません」

と言いました。教師に対して、人はこのように振る舞うべきです。メーブーブ カーン先生はコンダッパ先生に、

「ラージュはとても良い子です。着席するように言ってください」

と言いました。コンダッパ先生もそのことは知っていましたが、

「ラージュは口答えをした。私は口答えを好まない」

と言いました。メーブーブ カーン先生は、

「あなたは気づいていない。この少年には真理という大きな力が内在しているのです。彼の名前自体もサッティヤム(真理)です! 彼には常に真理がついています。だからこそ、彼は大きな力を意のままにできるのです」

と答えました。コンダッパ先生はしぶしぶ

「座りなさい!」

と言いました。スワミが腰を下ろした瞬間に、コンダッパ先生から椅子が離れたのです!

このニュースはすぐに広まり、コンダッパ先生に椅子が貼りついたことは学校中の噂になりました。教師の中には、スワミを呼んで、

「サティヤ、君は本当にコンダッパ先生を椅子に貼りつけたのかね?」

と聞いた者もいました。スワミは、

「先生、僕はそのようなことはしていません。行いのとおりに、結果は生じるのです」

と返答しました。この出来事の結果、ラージュは有名になりました。

その後、スワミは7年生〔日本での中学1年生〕に上がりました。休みが来て、シェーシャマ ラージュがスワミをハンピ(カマラープラムの近くにある古都で世界遺産の一つ)に連れて行きました。ハンピに着くと、シェーシャマ ラージュはスワミに、

「私と家内が行ってダルシャンを受けて(ヴィルーパークシャ神〔三つ目の姿をとったシヴァ神〕の像を拝見すること)いる間、おまえはここで荷物を見張っていなさい」

と言いました。スワミは、

「どうぞ、そうしてください。僕は荷物を見ています」

と言いました。常に助けることがスワミの性分です。するとシェーシャマ ラージュは、

「私たちが戻ったら、おまえも行ってダルシャンを受けなさい」

と言いました。

スワミは、兄と兄嫁が寺院に入ってヴィルーパークシャのダルシャンを受けている間、荷物のところにいました。中で二人が見たものは、ヴィルーパークシャではなくスワミでした! シェーシャマ ラージュは、

「見ろ、ラージュがいる! 誰が荷物を見ているんだ?」

と言いました。シェーシャマ ラージュが寺院から走って出て来ると、スワミが荷物のところにいるのを目にしました! 再び寺院の中に戻ると、そこにもスワミがいました。シェーシャマ ラージュと妻は話をし始めました。

「サティヤの中には何か不思議な力がある。サティヤの輝きは尋常でない。私たちはサティヤにふさわしい扱いをしていない」

と二人は言いました。同じ時、ヴィルーパークシャのダルシャンを受けるため、市長もそこに来ていました。市長もヴィルーパークシャの神像があるべき所にスワミを見ました。市長は驚いて、寺院の僧侶に、

「あの少年は誰ですか? どこから来たのですか?」

と尋ねました。寺院から出てきた市長らは、荷物のそばにスワミがいるのを目にしました。そして、

「我々が寺院の中で神像が安置されているはずのところに見たのは、この少年だ! まさしく、この子は普通の少年ではない。この子の中には並外れた力が備わっている」

と感嘆の声を上げました。市長はシェーシャマ ラージュに私を誰かと尋ねました。シェーシャマ ラージュは

「私の弟です」

と答えました。翌日、市長は私たち全員を自宅のお茶に招きました。

私たちは市長の家に行きました。スワミはコーヒーを出されましたが、

「結構です。ありがとうございます」

と答えました。すると市長は、牛乳やココナッツジュースなどを出してきました。しかしスワミは全部断りました。スワミはそういった飲み物を口にしません。この身体が生まれてからずっと、この身体は一度も紅茶やコーヒーのような飲み物には手をつけたことがありません。スワミは他に出されたものも断りました。市長たちはこの時、ラージュが他の少年たちとは異なる存在であることを完全に理解し、

「この少年には何か並外れた力がある」

と言いました。市長たちはスワミに何かを―たとえば服を―贈りたくなりました。しかし、そのような贈り物をしたら兄のシェーシャマ ラージュが腹を立てるかもしれない、あるいは、兄が怒ると思ってスワミが断るかもしれないと迷っていました。最後に、市長は金の襟章を持ってきて、スワミの手を握りながら、スワミの手のひらの中に襟章を忍び込ませました。襟章を渡しながら、市長は、

「どうか受け取ってください。私は市長で、この土地では尊敬を受けている者です。私の言葉を心に留めてください。私は実の息子にするように、愛の心からあなたにこれを差し上げるのです。どうか断らないでください」

と言いました。同じ調子で、シェーシャマ ラージュの妻も、

「市長は目上の方ですし、愛の心からくださったものを断ってはいけません」

と言いました。スワミはしぶしぶ襟章を受け取りましたが、嬉しくはありませんでした。他の人からの贈り物として物質的な品物を受け取るのが、スワミは好きではないのです。

ハンピ訪問は終わり、私たちはバスでウラヴァコンダに帰りました。翌日、スワミは学校に行きました。スワミが家を出てから10フィート〔約3メートル〕進んだ所で、襟章が落ちました。大勢で探しましたが、見つけることはできませんでした。そしてスワミは言いました。

私がサイであることを知れ。
私にはもはや世俗的なしがらみはない。
私には何のしがらみもない。
誰にも私を拘束する力はない!

襟章は世俗的な執着の象徴です。襟章がなくなった時、それは、「ラージュの側面」とそれに伴う執着が終わったことも象徴していました。もはや誰とも世俗的な関係はないことを宣言し、スワミはアーンジャネーユルの家に走って行きました。アーンジャネーユルは当時の税監査官でした。アーンジャネーユルの家の前には小さな岩がありました。スワミはそこに行き、その岩の上に座りました。

そうこうするうちに、シェーシャマ ラージュとその妻と子供たちがやって来ました。皆スワミのいるところに走ってきました。そして、

「家に戻りなさい」

と言いました。スワミは、

「私に家はありません」

と答えました。するとシェーシャマ ラージュは厳しい声で、

「そのような哲学はやめて家に戻りなさい。私はそんな無意味な話は聞きたくない」

と言いました。スワミは、

「これは無意味な哲学ではなく、真理です! 私はどこにも行きません」

と答えました。シェーシャマ ラージュはスワミを引っ張って行こうとしましたが、一寸たりとも動かすことはできませんでした! その場にアーンジャネーユルがやって来て、

「なぜ君は強制しようとするのかね?」

とシェーシャマ ラージュに言いました。シェーシャマ ラージュは、

「私は強制しているのではありません。ただ、この子が何も食べないで出て行ったので」

と答えました。するとアーンジャネーユルは、

「大丈夫だ。今日は私の家で食べられる」

と言いました。

アーンジャネーユルはスワミを家の中に連れて行き、皿にたくさんの料理を盛り合わせて供しました。食べる前にいつも全部の料理を混ぜてしまうのがスワミの習慣でした。これはシルディ アヴァターの習慣でもありました。シルディではラクシュミー バーイーがたくさんの料理を供し、ババはそれらを全部混ぜてから食べていました。このアヴァターにおいても、スワミは同様の習慣に従っています。

さて、スワミはアーンジャネーユルの家で食事をするようになり、岩の上に座って時を過ごしました。アーンジャネーユルの子供たちは、

「ラージュ、どうしてそんなことをしているの? 勉強が遅れちゃうよ。時間の無駄だよ。勉強するのをやめてはいけないよ」

等々と言いました。しかしスワミはそうした話には何の注意も払いませんでした。

人々はよく、

「あなたは誰ですか? あなたの名前は?」

と尋ねてきました。スワミは、

「私の名前はサイです」

と答えていました。当時は誰もサイ ババの名前を知っている人はいませんでした。人々はサイ ババをイスラム教徒という意味の「サヘブ」のことだと誤解していました。その時、市長の息子が家の中に走ってきました。そしてカメラを持ってきて写真を一枚撮りました。その写真には、スワミの前にシルディ サイが写っていました。それ以来、税監査官のアーンジャネーユルがスワミにサイ ババという名前をつけ、その後もその名前が残りました。

それより前、スワミがまだカマラープラムの学校にいたころのことです。スワミは祈りの先導を担当していました。校長のカメーシュワラ ラーオ先生は熱心な帰依者でした。校長先生はスワミのことを、

「サッティヤムは人々が思っているようなピッラヴァードゥ(普通の少年)ではない。サッティヤムはピドゥグ(落雷)だ!」

と言っていました。スワミに学校での祈りを先導するように指示したのは校長先生でした。スワミが、

「どの祈りを唱えたらよいですか?」

と尋ねると、校長先生は、

「君が独自の祈りを作りなさい」

と答えました。スワミはその場で、仏教やシク教やジャイナ教など、たくさんの宗教の言葉を反映した祈りを一つ作りました。

(ここでスワミは、60年前、年若いサティヤだったころに作った祈りの歌を美しくお歌いになりました)

イスラム教など、他の宗教の名前を入れるべきではないと言う人もいました。そのような異議を唱える人は、その人自身の狭い心を反映していたにすぎません。学校の生徒たちは皆、その歌を気に入りました。ある夜、兄のシェーシャマ ラージュがスワミに質問しました。

「おまえはどうやってあんな歌を作ったんだい? 自分で作ったのかい? それとも何かを真似したのかい?」

シェーシャマ自身もテルグ語の詩人でした。当時、詩人といえば、変わり者として知られていました! そのため、シェーシャマはそのような質問をしたのです!!

後日、シェーシャマはスワミに、寸劇を書いて、それを演じるようにと言ってきました。そこでスワミは『自分の言葉どおりに行動しますか?』という劇を書きました。あなた方は皆この劇のことを知っていますね。スワミは劇を演じ、その演技で大きな賞を受賞しました。

校長先生は、校舎の建設資金を集めたいと思っていました。そこで、有名な舞踊家であるリシェンドラマニの公演があると発表しました。パンチャーヤト(村の長老会)の会長であるラーマ スッバンマの手から賞が授与されることになりました。リシェンドラマニは素晴らしい技術と才能を持つ舞踊家として評判でした。頭の上に水差しを載せて、水差しを落とさず、水もこぼさずに踊ることができました。ところが、リシェンドラマニは来ないことになってしまいました。そしてスワミが代役を務めることになったのです!

校長先生が発表したことを守るため、スワミはリシェンドラマニのような衣装を身につけて舞台に立ち、同じようなダンスを踊らなければなりませんでした。そのため、スワミは頭の上に水の入った瓶を載せ、瓶の上にお皿を置き、お皿の上に2つのランプを載せました! それだけではありません!! 踊っている最中に、頭上の物を落とさないまま、まぶたで1本の縫い針を拾わなければなりませんでした! リシェンドラマニはこのすべてを行うことができたので、スワミにもその妙技を真似することが求められていました!! 誰もがその技に息を呑みました。踊ったのはリシェンドラマニではなくサティヤであったことに気づいた人は誰もいませんでした。シェーシャマ ラージュもそのショーを見ていました。ショーがあまりにも見事だったので、シェーシャマは目を疑うほどでした。

授与式の時間になりました。ラーマ スッバンマがステージに上がり、リシェンドラマニの素晴らしい演技を絶賛しました。それから、

「私の感謝の気持ちを表すため、これから、リシェンドラマニさんにメダルを進呈いたします」

と宣言しました。誰もがステージに注目し、リシェンドラマニの登場を今か今かと待っていました。すると、リシェンドラマニではなく、ひざ下丈ズボンをはいたスワミがステージに走って来ました! ラーマ スッバンマは、

「このメダルはあなたにあげるものではなく、リシェンドラマニさんにあげるものなのですよ」

と言いました。すると校長先生がやって来て、ラーマ スッバンマに、

「ダンスを踊ったのはリシェンドラマニではありません。この少年が、リシェンドラマニのような衣装を着て踊ったのです!」

と言いました。ラーマ スッバンマはたいそう驚いてメダルを落とし、スワミを抱き締めました! これがカマラープラムでの体験です。

やがて、スワミは8年生〔日本の中学2年生〕になりました。ラガヴァンという教練の教師がいました。ラガヴァン先生はがっしりした身体と善良な人柄の持ち主でした。そのころ、カダパの近くにある村〔プシュパギリ〕で家畜市が開かれることになっていました。ラガヴァン先生は、学校のボーイスカウトのメンバー全員を家畜市に行かせて、奉仕活動をさせようと思いました。そこで誰をスカウトのリーダーにするかという問題が生じました。6年生から12年生〔日本の高校3年生〕まで、全クラスの男子たちがリーダーを志願しました。しかし、ラガヴァン先生の心は決まっていて、リーダーにふさわしいのはラージュだけだと言いました。スワミはラガヴァン先生に言いました。

「先生、どうして僕がリーダーになれるでしょう? 僕はその務めが果たせるほど大きな人間ではありません」

と言いました。ラガヴァン先生は、

「君がリーダーになれることはわかっている。君にはできるよ!」

と応じました。そこでスワミは穏やかに、

「先生、リーダーは制服、笛、棒、靴などを持っていなければなりませんが、僕にはそれらを買う余裕がありません。ですから、僕はリーダーとしての責任を担うことはできません」

と言いました。人は常に現実的でいなければなりません。自分ができることとできないことを正直に言わなければなりません。その一方で、すべての生徒が、ラージュをカダパのスカウト キャンプのリーダーにしてほしいと要望しました。ラガヴァン先生はなぜそれができないかを説明しました。つまり、リーダーは正規の服や笛、靴、棒などを持っていなければならないけれども、ラージュにはそれらを用意することができないということを説明したのです。

学校では、ラメーシュとスレーシュという二人の少年がスワミと同じ机を使っていました。一人はその地域のシラスタダール〔州政府の税務官〕の息子で、もう一人はタシルダール〔州政府の所得審査官〕の息子でした。スワミは真ん中に座り、二人の少年は両脇に座っていました。三人は同じ背丈で、ラメーシュは一人っ子でした。ラメーシュは父親のところに行き、

「お父さん、僕はボーイスカウトの制服が二着欲しいんです。とても気に入っているので」

と言いました。ラメーシュは二着の制服を手に入れました。そして一着をきれいに包装し、手紙を書きました。

「ラージュ、どうかこの服を受け取ってください。もし受け取らないなら、僕は命を絶ちます!」

ラメーシュは制服と手紙を机の中に入れました。スワミは手紙を読んで破り、返事を書きました。

「友情は、ギブ アンド テイクに基づくことはできません。また、そのようなことがあってはなりません。もしそのようなやり取りがあったら、それはもはや友情とは呼べないのです。ですから、君が僕に贈り物をするのは良いことではありません。君は僕をとても愛しているし、僕も君を深く愛しています。もし僕が君からの贈り物を受け取ったら、僕たちの間にある愛はだめになってしまいます。だから、君が渡そうとしている物を受け取ることは、僕にはできません。もし僕たちの友情を壊したくないのなら、渡そうとした物を持ち帰ってください」

ラメーシュは主張しました。

「僕たちの友情が壊れたってかまわない。僕が渡す物を受け取っておくれ。僕はお父さんにだって、僕が何をしようとしているかを話してないんだ。これは僕の服で、僕はこの服を君と共用したいんだ!」

しかし、スワミは優しく、かつ毅然として、ラメーシュにその贈り物を持って帰らせました。

やがて、スワミが素晴らしい詩や歌を作るというニュースがコッテ スッバンナの耳に届きました。この人物は薬を売って生計を立てており、ぎっしりと薬が並んだ大きな店を持っていました。ある日、スッバンナからラージュに、家に来るようにという伝言が届きました。スワミは、

「どうして僕なんですか? 僕がそこでする仕事は何もありません。僕はねずみや猫のように、目的もなく家から家へとうろついたりはしません!」

という返事を送りました。学生諸君はこのことを知っておくべきです。あなた方には皆、部屋から部屋へとうろつき回る傾向があります。これは良い習慣ではありません。そのようにうろつくのは猫やねずみだけです。皆さんは猫でもねずみでもありません。自分の場所に留まりなさい。

スワミが自分のところへは来ないとわかったので、スッバンナは自分からスワミのところにやって来ました。皆さんがいったん真理に従い、固く決意し続けるなら、どんなに立派な身分の人でも、自分から皆さんのところに来なければならなくなるでしょう。スッバンナは、食べ物の入った小さな袋をスワミの手の上に置くと、こう言いました。

「聞いてくれ、私はバラ バースカラという新しい特効薬を手に入れたんだ」

それからその素晴らしい効能を説明し続けました。そして最後に、

「君にちょっとした手助けを頼みたいんだ」

と言い添えました。スワミは、

「手助けならいつもしています。それが僕の理想です。どういう助けが必要なのですか?」

と答えました。スッバンナは新薬の効き目を称賛する歌が欲しいのだと言い、

「もし夕方までに準備できたら、とてもありがたいんだがね!」

と付け加えました。

スワミはその歌を作りました。歌を受け取るため、スッバンナは学校にやって来ました。スワミの家には来ないほうがよかったからです。スッバンナは校門の近くで待っていました。スワミは作った歌を渡しました。スッバンナは、

「歌詞はいいが、メロディーのほうはどうかね? それに誰が歌うんだ? 私にはどうしたらよいかわからない」

と言いました。スワミは、

「あなたがお金を払うなら、全部やってくれる人たちがいます。プラカードも用意してください。そして、歌を歌っている間、小さな少年たちにプラカードを持たせてください」

と言いました。スッバンナは、

「それは全部私が手配するから、君は歌い方を教えてやってくれ」

と言いました。夕方までにスッバンナは何人かの少年をかき集め、スワミは彼らに歌を教えました。歌は大当たりし、宣伝は大成功しました。そしてコッテ スッバンナは大儲けをしたのです!

(ここでスワミは、60年前、バラ バースカラという特効薬の効能を宣伝するために作った歌を、美しくお歌いになりました。)

先ほどスワミが話した家畜市の話はまだ終わっていません。学校のボーイスカウトのメンバーたちは、奉仕に出発する準備をしていました。少年たちは、スワミも一緒に行ってほしいと思っていました。もしスワミが行かなければ、少年たちはとてもがっかりし、悲しんだでしょう。しかし、スワミにはスワミの事情がありました。正規の服がなければ、行くことはできません。そこでスワミは急にお腹が痛くなったふりをすることにしました。もし熱があるということであれば、体温計で測ったり、身体を触ったりすれば、見破られてしまいます。腹痛は簡単には見破れません! そうこうするうちに、少年たちが列を作って家にやって来ました。そして、スワミがうめいたり、うなったりしているのを見て、

「ラージュ、もしラージュが行かないなら、僕たちも行かない」

と言いました。教練教諭のラガヴァン先生は、

「どうしてこんなことになったんだ? まったくついてない」

と言いました。スワミは、

「先生、どうかみんなで先に行っていてください。僕は痛みが治まってから後で合流します」

と答えました10日間のキャンプの間に、少なくとも5ルピーが必要でしたが、スワミは5パイサも持っていませんでした! 皆が帰った後、スワミは床から起き上がって計画を練りました。

それは、スワミがちょうど6年生の勉強を終えたばかりの時でした。6年生の時に使った教科書がスワミの手元にありました。当時のクラスでは毎年同じ教科書が使われていました。そのため、6年生になったばかりの生徒に、スワミの教科書を譲ることができました。スワミは、町のハリジャン〔不可触民〕の少年に、教科書を譲ることに決めました。スワミは少年の家に行って、少年を呼び、

「僕が去年使っていた教科書を見て。公民も歴史も、全教科分があるよ」

と話しました。少年は教科書を調べました。必要な教科書は全部揃っていました。その上、本の状態もとても良かったのです。当時の生徒たちは教科書を大切に扱っていませんでした。走り書きをしたり、あらゆる類の絵や漫画を落書きしたりしていました。教科書が損なわれれば、ハートも損なわれます。教科書は常に良い状態にしておかなければなりません。これはナポレオンも主張していたことです。スワミが持ってきた教科書を調べた後、そのハリジャンの少年は、

「ラージュ、この教科書には20ルピーの価値があるだろうけど、僕には15ルピーしか出せないよ」

と言いました。スワミは、

「15ルピーもいらないよ。5ルピーでいい」と言いました。

当時、紙幣はまだあまり流通していませんでした。そのためスワミは小銭で代金を受け取りました。バスの運賃に2ルピー、食費に3ルピー必要でした。スワミは3ルピー分の小銭を取り分け、残りを古びた布切れに包んで縛って結びました。スワミが家に入ると包みの布が破けて小銭が散らばり、大きな音を立てました。家の女性(兄シェーシャマの姑)がやって来て、怒りながら、

「おまえはどこからこのお金を手に入れたんだ? 盗んだに違いない!」

と言いました。スワミは、

「盗んでいません。これは古い教科書を売って手に入れたお金です」

と説明しました。女性は、

「おまえの言うことは信じない」

と言い返しました。そこでスワミは証言をしてもらうため、教科書を買ってくれた少年を連れてきました。女性の足元にひざまずきながら、少年は、

「お母さん、ラージュには盗みなんかできません。ここに散らばっているお金をラージュに渡したのは僕です」

と言いました。女性は、

「おまえたち二人はぐるになっているんだろう! おまえはラージュの言いなりになって調子を合わせているだけだ。二人ともここから出ておいき!」

と怒鳴りました。そう言うと、女性は散らばっていた小銭を全部拾い集めたのです。

スワミは夜スカウトに合流すると約束していました。夕方五時に食事をとってから、スワミはカダパまで歩き始めました。スワミは早朝、およそ午前2時半ごろに、目的地に到着しました。スワミはとても喉が渇いていましたが、周りに飲み水はありませんでした。しかし、家畜を洗うための水溜めが近くにありました。スワミはその水を飲まざるを得ませんでした。辺りはしんと静まり返っていて、誰一人いませんでした。周囲を見回すと、ビーディー〔インドの手巻き煙草〕の束と1アナ硬貨が水溜めのそばの石の上に置いてありました。スワミはビーディーが大嫌いです。ですからビーディーをぐしゃっと潰して砂の中に埋めました。それが済むと、1アナを取って歩き始めました。すぐに夜明けになりました。

スワミが持っていたのはその1アナだけでした。1アナで9日間過ごすことなど可能でしょうか? それを考えていると、家畜市でちょっとした賭け事が行われているのに気づきました。スワミは賭けに加わることに決めました! 賭けるたびに、スワミが勝ちました。賭け始めた時の1アナは、すぐに12アナになりました。その時点でスワミは賭けをやめました。キャンプをまかなえるだけの金額に達したと思ったからです。スワミが連勝していたので、多くの人が賭けをやめないで続けるよう促しました。スワミは、欲望には上限を設けないといけません、と言って、立ち去りました。

スワミは多くのゲームをしましたが、賭け事をしたのはこの時だけです。人は決して賭け事をすべきではありませんが、その時スワミが賭けをしたのは、お金がなかったからでした。しかし、スワミは考え直して、賭けをしなければよかったと思い、稼いだお金を全部返そうと、賭けを催していた男のところに引き返しました。しかし、男は自分が負けて支払ったお金を受け取ることを拒みました。そして他の人たちに、

「変わった少年だ。あの子がどこから来たのかはわからない。しかし、これだけは確かだ。それはあの子はとても良い子だということだ!」

と話しました。

家畜市が終了し、スカウトの奉仕も終わって、スワミはカマラープラムに帰りました。スワミはいくらかの果物と花を義理の姉(シェーシャマ ラージュの妻)へのお土産に持って帰りました。家の人たちは激怒していました。スワミが長いこと留守にしていたため、普段スワミがしていた仕事を自分たちでしなければならなかったからです。そのため、家に戻ったスワミはとても冷ややかに迎えられました。愛を込めて差し出した花と果物は放り投げられました。そして、スワミは厳しく罰せられました。その結果、腕がひどく腫れ上がってしまいました。何ができたでしょう? スワミは忍耐と辛抱をもってすべてに耐えなければなりませんでした。

隣の家には老女が住んでいました。老女は、それらを全部見ていて、一人静かに泣きました。サティヤが痛めつけられる様子を見るのに耐えられなかったからです。その翌日シェーシャマの息子が死に、プッタパルティに電報が送られました。その当時、電報はブッカパトナムで受け取られ、それからプッタパルティまで手で運ばれました。その時ちょうど、週に一度開かれる市への買い出しのため、ペッダ ヴェーンカマ ラージュ〔サティヤの父〕はブッカパトナムまで来ていました。誰かがシェーシャマが打った電報を手渡し、ペッダ ヴェーンカマ ラージュは、すぐにカマラープラム行きのバスに乗りました。家にやって来たペッダ ヴェーンカマ ラージュは、スワミの腕がひどく腫れているのを目にしました。そして、何があったのか、何が原因で腫れてしまったのかと尋ねました。スワミは化膿したせいだと言いました。その時スワミは何も言いませんでした。しかしその間に、隣家の老女が、起きたことのすべて――ひどい仕事量のこと、虐待のことなど――をペッダ ヴェーンカマ ラージュに話して聞かせました。

その夜、ペッダ ヴェーンカマ ラージュはスワミを外に連れ出しました。暗かったのでスワミはランプを持って行きました。私たちは村境を越えました。ペッダ ヴェーンカマ ラージュはそこで立ち止まりました。ランプは地面に置かれました。ペッダ ヴェーンカマ ラージュは、スワミの手を自分の手に取ると、泣きました。それから、

「息子よ、私はおまえを食べさせることができないからここに送ったのか? 私は何でもする。おまえを養うためなら塩の密売人にさえなろう。なぜ、おまえはここでそんなに苦しい目に遭わなければならないのか? おまえの父であっても、私がおまえに手を上げたことは一度もない! おまえはここであまりにもひどい仕打ちを受けている。今すぐ一緒に家に帰ろう」

と言いました。スワミは穏やかに言いました。

「あの人たちは今、多くの助けを必要としています。突然出て行くのは正しいことではありません。お父さんは今ここでお帰りください。僕は後で、時を見計らって帰ります。」

スワミが兄や兄の家族のことを悪く言ったことは一度もありません。父は不本意ながら家に戻りました。家に戻ると、「すぐに戻ってこい」という葉書を書き続けました。それから、すぐにスワミを帰って来させようとして、「母危篤」(ハハキトク)というメッセージを送りました。スワミにはそれが事実でないことがわかっていました。スワミは試験が終わるまで兄の家に留まりました。

スワミがこのようなことを全部話しているのは、年長者や先生に対して若者はどう振る舞い、身を処すべきかを、学生たちに理解させるためです。皆さんは世界についてたくさんのことを知っています。皆さんは偉大な聖者たちでさえも多くの問題に直面したことを知っています。問題を乗り越えるための最善の方法は、神聖な思いを培うことです。いつも、常に助け、決して傷つけてはなりません。これはスワミが従っている金言であり、スワミはそのようにして成長しました。

今、年若い少年たちは、ズボン10本、シャツ10枚、ブッシュシャツ〔アウトドア用シャツ〕10枚等々、たくさんの服を持っています! スワミはそのような贅沢はしません。スワミは一年に1枚のシャツと1本のひざ下丈ズボンだけで満足しなければなりませんでした。人は必要最低限の所有物でやりくりすることを学び、簡素でいなければなりません。スワミはよく、荷物が少なければより快適になる、と言います。皆さんは獲得する物と所有する物を減らさなければなりません。欲望も減らさなければなりません。そうすることで何かを失うと思いますか? いいえ、何も失いません。逆に、真理を固く守ることで、皆さんは望むものを何でも手に入れることができます。ですから、常に真理の道に従いなさい。

このように、「サッティヤム ヴァダ、ダルマム チャラ」(常に真実を話し、常にダルマを固く守る)という二つの格言が、バーラタ文化の根源を形作っているのです。ですから、真理の道に従い、神への愛を育てなさい。ひとたび神への強い愛を持ったなら、この世でどんなことも成し遂げることができます。世界に愛よりも偉大なものはありません。若い皆さんは決して愛を忘れてはなりません。愛があれば、皆さんはどんなことも達成することができます。大きくて高価な品物でさえも手に入れることができます。

(ここでスワミは大きなダイヤモンドを物質化なさいました。ダイヤモンドの創造は大きな拍手で歓迎されました。ダイヤモンドを掲げて、スワミは聴衆に「これが見えますか?」とお尋ねになりました。それから、通訳をしていたアニル クマール教授にそのダイヤモンドを見せて「どうですか?」とお尋ねになりました。驚嘆した教授は「スワミ、すばらしい輝きです!」と返答しました)

こういった品物も皆さんの手に入るでしょう。ひとたび真理を得たなら、すべてが皆さんのところにやって来ます。ハリシュチャンドラ王はすべてをやり遂げることができました。どのようにしてでしょう? 真理を固く守ることによってです。王は妃を失いました。息子は死にました。王国も失いました。しまいに王は、火葬場の管理人にまで身を落としました。しかし、そうしたすべての苦難にもかかわらず、王は決して真理に背きませんでした。妃は王に言いました。

「私も固く真理を守ります。二人で共に、あらゆる苦難の大海を進んでいきましょう。さもなければ、二人で海に沈みましょう。しかし、私たちが真理を捨てることは決してありません。」

(スワミはここで御講話を中断し、先に創造したダイヤモンドを指差して、クマール教授に「輝いていますか?」とお尋ねになりました。教授は、「スワミ、素晴らしく光り輝いています!」と答えました)

もし真理を固く守るなら、皆さんは何でもすることができます。ある時、コダイカーナルでのことです。多くの人がそれを見ていたはずです。

(スワミは聴衆の何人かにコダイカーナルでスワミが何を物質化したかを尋ね、御講話をお続けになりました。)

スワミはコダイカーナルでスヤマンタカマニ〔不思議な力を持つ天界の宝石〕を物質化したことがあります。この並外れた宝石はサティヤバーマー〔クリシュナの妻の一人〕の持ち物でした。スワミはその宝石をそこにいた人すべてに見せました。それは後に、元あった場所に戻されました!

皆さんの欲しがるものはすべて、この両手の中にあります。普通の人と同じように動き回り、皆さんに話しかけているというだけで、スワミを過小評価してはなりません。すべてはスワミの手の中にあります! 皆さんにはそのことがわからないかもしれませんが、ただその日が来るのを待っていなさい。このダイヤモンドのように、全世界はこの手の中に収まるでしょう。

(そう言って、スワミは手の中のダイヤモンドを指差され、大きな拍手が沸き起こりました。)

今日から、あなたたち学生は皆、真理と結びつかなければなりません。常に公正でありなさい。そうすれば自然と敬われるようになるでしょう。両親と教師を尊び、敬いなさい。スワミが自分の先生にどれほどの敬意を表したかわかりますか? スワミには皆さんがわかっているとは思えません。

先日、スワミはクシャマ〔人が生来持っている堪忍や寛容、あらゆる点で真理と等しいもの〕について話しました。ただの忍耐とクシャマには大きな違いがあります。人はそれをしばしば取り違えます。あらゆる苦難・困難・障害・損失・苦しみ・災害などに、落ち着いて立ち向かうことを可能にする、黄金の美徳がクシャマです。世界は気がついていませんが、スワミに対するあらゆる悪事をスワミが寛大に許し、大目に見ているのは、クシャマのおかげなのです。(拍手) クシャマがなければ、周りで起こっていることに対して、一瞬たりとも我慢することはできません! さらにスワミは、とても大きな過ちを含めて、あらゆる過ちを容認するほど寛大です。これはクシャマがあってのみ可能なことです。全世界をスワミのもとに連れてくるのは、スワミのクシャマです。サティヤとダルマを固く守りなさい。そうすれば、何についても心配する理由はなくなります。そうした時に初めて、皆さんは望むことを何でも成し遂げることができるでしょう。学生諸君は常に謙虚でありなさい。謙虚さとクシャマは共にあります。

(スワミはここで話をやめて「あまりにも長く」話しすぎているのではないかと優しくおっしゃいました。全学生が同時に大きな声で「いいえ、スワミ!」と言いました。スワミは笑って「君たちはもう嘘を覚えたのかね!」と冗談を言い、御講話をお続けになりました。)

スワミにはもう一つ話したいことがあります。ある日、スワミがブッカパトナムから戻る途中で、子供の頭髪からシラミを取り除いている年配の女性のそばを通りかかりました。この女性はキンマの葉を噛む癖があり、しょっちゅうそれを吐き出していました。スワミが前を通った時、女性がキンマを「ぺっ」と吐き出し、スワミの服に赤い唾液が飛び散りました。もちろんそれはまったくの偶然で、決してわざとやったわけではありませんでした。何が起こったかを目にした女性は、たいそう落ち込みました。そして、

「ラージュ、私は何ということをしてしまったんでしょう!」

と嘆きました。それから、服に付いたしみをキンマの汁で落とそうとしました。スワミはその女性に心配しないでくださいと言って、家に帰ってすぐにシャツを洗いました。もしシャツを洗濯夫に渡したら、半アナ程度は請求されたでしょう。しかし、スワミは決してそのようなことにはお金を使いませんでした。お金はごくわずかしかなく、とても貴重だったのです。スワミは自分で服を洗い、容器に燃えさしの炭を入れた間に合わせの道具を使って、アイロンをかけていました。

スワミはそれほど倹約していたのです。スワミは決して両親に金銭的負担をかけませんでした。スワミは決して借りを作らず、両親に不満を抱くこともなく、いつも家の名誉を守っていました。このようにして、スワミは学生時代を送っていたのです。皆さんもこのようにして、両親に名誉をもたらさなければなりません。両親は皆さんを育てるために苦労をしているのですから、皆さんは両親に感謝という大きな恩を返さなければなりません。家からお金がもらえるからといって、好きなように使ってよいというわけではありません。お金の無駄使いは良くありません。お金の誤用は悪です。

良い行動と振る舞いは、皆さんに良い評判をもたらすだけでなく、シュリ サティヤ サイ大学への名誉ももたらします。もし皆さんが良い評判を得るために努力するなら、スワミは必ず、どこまでも皆さんを助けるでしょう。スワミがあらゆる成功を保証します。スワミの教えをただ聴くだけでは十分ではありません。積極的に実行しなさい。もしそうするなら、それは将来皆さんに多くの良い結果をもたらしてくれるでしょう。純粋性は皆さんに平安をもたらすだけでなく、良い評判ももたらします。

(スワミはここで学生たちにバジャンを歌うようにとおっしゃいました。学生たちは「ゴーヴィンダ ムラハリ マーダヴァ」、「バジョレー バイ サイ ラム」という二曲のバジャンを歌いました。スワミはどちらの歌もたいそう楽しまれました。それからスワミは「誰かこのダイヤモンドを欲しい人はいますか? 言えばあげますよ。欲しい人は誰ですか?」とお尋ねになりました。その後、バガヴァンは聴衆の中にダイヤモンドを放り投げられました。するとダイヤモンドは消えてしまいました! この奇跡は大きな拍手で歓迎されました)

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Summer Showers in Brindavan 2000 C14

サイラムニュース121号(2008年7・8月号)p.2-17
122号(2008年9・10月号)p.14-27に掲載