サティヤ サイババの御言葉

2000年11月23日
75歳の御降誕祭におけるスワミの御講話

愛こそは私の唯一の財産です

愛の化身である皆さん!

 神の性質を分析し、研究する人はたくさんいますが、それを本当に理解できる人はほとんどいません。それがわかる人は、まことに幸運な人です。実際、神を完全に理解することは不可能です。しかしながら、自分の内に経験するのと同じアートマ(真我)の原理を、他者の中にも見る人は、たとえ家長であっても隠遁者であっても、神を理解することができます。そのような人の中には、神がしっかりと確立されています。彼は、神そのものになるのです。

 たとえ億万長者であっても、食べることができるのは、黄金ではなく、食物のみです。これは人類平等の原理です。神は万人に内在しています。神は、善・悪、正・不正、聖・俗を問わず、あらゆるものに等しく内在しています。太古の昔より、賢者たちはこの神秘を追求しようと努めてきました。ヴェーダを伝えた賢者は、『私は、十億もの太陽の輝きを持った、闇の届かぬ 普遍的存在を知っている』と宣言しました。現代においては、学者たちが、自らの知覚に基づいて神の性質を調べ、様々な理論を提唱しています。

 神は全宇宙に浸透しています 宇宙は、創造・維持・破壊という三つのプロセスに支配されています。誰もこの真理を否定することはできません。科学者でさえもそれは否定できません。これは誰にもわかる真理です。生まれたものは養われ、最後には破壊されます。これは、神の存在を直接的に証明するものです。皆さんが、この三つの根本的な事実を探求して行けば、神の存在が明らかになります。日常生活においても、人々は神を経験しています。例えば、皆さんはマレーシアの獅子舞をご覧になりました。(2000年11月23日、ヒルビュー・スタジアムで、スワミの御講話の前にマレーシアの一団が伝統的な獅子舞を披露しました。)ところが、あれは本物の獅子(ライオン)ではありませんでした。しかし、それを見ると、皆さんは獅子と呼ばれる実際の生き物がいるのだと推測することができます。同じように、日常生活のほとんどすべてのものが、神を指し示しています。サトウキビの甘さ、唐辛子の辛さ、タマリンドの酸っぱさ、ニームの苦さなどは、すべて神の存在を示すものです。空の星、太陽の明るさ、月の涼しさ、寄せては返す海の波の動きなどもまた、神の原理を指し示しています。それらはどれも、神そのものを直接に見せてくれるものではありませんが、神の原理が存在することを示す証拠となるものです。
  社会には、教育の大臣や、税務局の長官や、法と秩序を守る警察などのような様々な機関があり、そのすべての上に首相がいます。同様に、宇宙には、創造を司るブランマ神、維持を司るヴィシュヌ神、破壊を司るシヴァ神がいます。しかし、これらすべての機能を最終的に統括しているのは至高神(主神)です。回教徒はこの原理をアッラーと呼びます。すべての宗教に、神を表す独自の言葉があります。バーラタ(インド)の人と西洋人には、ゴッド(God)という共通 した英語の単語があります。この単語の中で、は生成(generation)すなわち創造を、は秩序(organization)すなわち維持を、は消滅(dissolution)すなわち破壊を表しています。このように、ゴッド(GOD=神)という言葉の中に、創造、維持、破壊という三つの側面 のすべてが暗示されています。人々は、このような証拠を取り上げて、神の原理を説き広めています。言葉で表現するかどうかは別 として、真理は真理です。神は存在します。神はどこにいるでしょうか? 神は遍在です。神はあらゆる姿の中にいます。人間に神が内在することは自明の理です。何十万人もの皆さんが、今日ここにこうして集まっているという事実そのものが、皆さんが神を愛しているという証拠です。愛は神が存在していることの証しです。皆さんの心には、バガヴァンへの愛があふれています。これに勝る至福はありません。

皆さんの内的実在を経験しなさい

愛の化身である皆さん!
  自信を持って取り組んだ仕事には、成功が約束されます。ですから、すべての人にとって、自信は絶対に欠かせません。もし皆さんが、他の人々から尊敬され、愛されることを期待するのであれば、まず皆さんが彼らを尊敬し、愛さなければなりません。他者を尊敬し、愛することなしには、それに類似した感情を彼らから期待することはできません。同様に、もし皆さんが神を愛すれば、神も皆さんを愛するでしょう。人生は、反作用、反響、反映によって構成されています。皆さんには、自分が他者に対して行うこととまったく同じことが返ってくるのです。

 今日という日のために、私はどのようなメッセージを皆さんに伝えることができるでしょう? こうして皆さんを見ていると、私の心には愛があふれてきます。(拍手)これほど多くの皆さんが、私への愛を表現しているのを見て、私の喜びは限りがありません。私は皆さん方の誰にも招待状を送っていません。私の愛が皆さんをここに引き寄せたのです。皆さんの神に対する愛と、神の皆さんに対する愛こそが、真のメッセージです。人は、メッセージとしてどんなことを言うことができるでしょうか? 私が与え、皆さんが受け取り、そして皆さんが与え、私が受け取るのです。このやり取りこそが、人間と神の真の関係です。幸せで、至福に満ちていなさい。皆さんの霊的領域を拡大しなさい。すべてのものに同じ一つの神が住んでいるという、ゆるぎない確信を持って生きなさい。どうして政府は、警察や軍隊などのような、法の施行を強化する機関を設けるのでしょう? それは、国を守るために他なりません。警察は罪人を罰します。法律を犯す人が一人もいなければ、警察はまったく要りません。それと同じで、皆さんの悪い行為が罰を引き寄せ、善い行為が報酬を引き寄せるのです。これがカルマの理論です。ところが、人は罰せられると、それを神のせいにします。これは大きな誤りです。自分の中に、悪のかけらもないように注意しなさい。そうすれば、皆さんは罰を恐れる必要はありません。皆さんを罰するためにやってきた人さえも、皆さんを守ってくれるでしょう。

 私は、人間はアートマ(真我)の化身であると言いました。私はまた、アートマは不滅であるとも言いました。この永遠のアートマは、皆さん自身が不滅であることを示しています。創造・維持・破壊は、すべて神が定めるものです。神はあらゆる元素の中に現れています。このようなゆるぎない確信を持っていれば、皆さんがどこに行っても、どこの国に旅をしても、成功を手に入れるでしょう。霊的な道は、「自分に自信を持ちなさい」と強く教えます。それはつまり、まず自分自身を知ることです。誰もが、「あなたは誰ですか?」と尋ねます。「私は誰ですか?」と尋ねる人はいません。「あなたは誰ですか?」と聞かれたとき、自分は何という名前ですとか、どこから来て、どんな仕事をしていますと返事するのは、正しい答ではありません。「私はアートマです」という答が、唯一の正しい答なのです。肉体も心も移ろい行くものです。自分が肉体や心であると想像することは、重大な過ちです。自分は肉低や心であるという感覚を取り除き、アートマを知りなさい。アートマのみが、肉体にも心にも動く力を与えることができるのです。あらゆる人が、アートマの現れです。アートマの現れがあらゆる所に広がっています。このすべてに浸透しているアートマの原理こそが、宇宙の普遍原理なのです。皆さんはこの宇宙的力を知る努力をすべきです。皆さんは、それが非常に難しいことだと感じるかもしれませんが、それはとても簡単なことなのです。それを難しく見せているのは、皆さんの肉体執着です。『あらゆる生き物に対する、心を込めた挨拶は、最終的には神に届く』と言われますが、それはすべての人に神が内在しているからです。バガヴァッド・ギータの中で、クリシュナ神は『万物に内在する永遠のアートマは、私の存在の一部である』と言っています。

 鳥が、全面を鏡で張った部屋に入ると、自分の姿が映った多くの映像を見ます。鳥は、そこには多くの鳥がいて、どれもが自分の競争相手だと想像します。そこで、その鳥は鏡に向かって体当たりを続け、鏡が割れて幾つもの破片が生じます。するとその鳥には、鏡の破片と同じ数だけの鳥が見えます。鏡がすべて粉々に砕けてしまうと、鳥の映像は見えなくなり、鳥はどこかへ飛んで行きます。これは無知の状態です。
  反対に、英知の人が部屋に入ると、その人は、そこに見えるすべての姿は自分自身の映像であると感じて、幸せになります。同様に、自分以外のあらゆる人の中に自分を見て、彼らを自分自身の姿と見なす人こそが、本当の人間です。外の世界に現れる、目に見える原理は、一人ひとりの内に存在している原理と同じものです。名前や姿や能力は、個別 のもののように感じられますが、それらは単なる映像に過ぎません。本当は、皆さんと私は同じなのです。神は皆さん自身の内にあり、皆さんと神は分離した存在ではありません。また神は、神殿やモスク(回教寺院)などのような礼拝の場所だけに特別 に存在しているのでもありません。皆さんがモスクや神殿の中に見ようとしているものは、皆さんの中にあります。すべての霊性修行は、この内的実在を体験するために行われるのです。
  すべての人が誕生と死を通ります。誕生から死までの期間が人の寿命です。人間は成長し、衰えて行きますが、内なる魂には何の変化もありません。変化するのは肉体だけです。子供は成長して大人になり、お爺さんになります。その人を説明する言葉は異なりますが、その人自身は同じです。同様に、神は多くの名前と姿を持っていますが、神は一つしか存在しません。『真理は一つであるが、学者はそれを多くの名前で呼ぶ』という諺があります。この真理に気付いて、皆さんはすべての人を尊敬し、愛して、みんなに喜びを与えるべきです。そうすれば、皆さん自身が神になります。すべてに内在する神が同じ存在であるという事実を認識すれば、二元性の感覚は消えてしまいます。皆さんは、それは非常に難しいと考えるかもしれませんが、とても簡単なことなのです。皆さんがこの真理を認識できないのは、皆さんのものの見方が誤っているためであり、世界に欠陥があるからではありません。皆さんは、自分の誤ったものの見方を正すことをしないまま、世界を責めます。世界には欠陥はありません。世界には一体性が存在しています。二元性は、皆さんの知覚の中にあるのです。

自信は人生における成功の鍵

 自信を持って行えば、いかなる任務の遂行にも成功を収めることができます。ひとつの小さな例があります。アブラハム・リンカーンは、アメリカの非常に貧しい家に生まれました。彼の父は大工でした。母親のナンシーは、彼に教育を受けさせるために懸命に働きました。リンカーンが学校に行くと、他の子供たちは彼の着物や貧しさをからかいました。彼はこれが我慢できずに、母親に言いました。「お母さん。僕は他の生徒たちにひどくからかわれるんだよ。お願いだから、僕に良い着物を着せておくれよ」母親は、彼を近くに引き寄せて言いました。「いいですか、まず私たちの状態を良くごらんなさい。私たちは裕福じゃありません。自分たちが食べていくだけでも精一杯なのですよ。こんな状態で、どうしてお前が立派な着物が着れると想うのですか? 自分の置かれた状態にあったように振舞いなさい。いつか必ず、お前という人間にふさわしい状態が与えられるはずです。他の人々の嘲笑にひるんではいけません。自信を持って生きなさい。自信こそが、すべての成功の源なのですよ。」彼女はこのようにして彼を勇気付けました。そのときから、リンカーンは大いなる自信を持った人間になり、正直な努力を重ねて勉強その他の活動に励みました。彼はどんなことがあっても心を乱しませんでした。自信が彼を守る鎧(よろい)になりました。物質的な富も快適さもなかったにも関わらず、彼には、大いなる自信が備わったのです。 そのうちに、彼の母はこの世を去りました。しかし、彼女の英知の言葉は彼の心にしっかりと刻み込まれました。彼の父親は再婚しました。それは西洋人の間ではごく普通 に行われていることです。新しい母親も、リンカーンを非常に可愛がり、彼が実の母親に示された道を忍耐強く進むことを励ましました。彼の一生は、困難に満ちたものでした。彼は何らかの職に就こうと考えました。しかし、他の人に雇われるよりも自立する方が良いと考えて、自分で事業を始めました。彼は、この上なく正しいやり方で事業を経営しました。ところが、困難は増えるばかりで、借金もかさんで行きました。リンカーンは、母親の助言を力として、あらゆる困難を乗り越えていきました。彼は事業で大きな敗北を喫しました。とうとう、すべてを売り払わなければならなくなりましたが、彼は一生懸命働いて、すべての借金を返済しました。

『借金をするよりも重い病気はない。
腹をすかせている人に食べ物を与えることよりも大きな慈善行為はない。
両親に勝る神はない。 慈悲よりも偉大なダルマは存在しない。
良い仲間を得ること以上に素晴らしい収穫はない。怒りよりも手ごわい敵はない。
良い評判に勝る富はない。 悪い評判は死に等しい。
神の御名を唱えること以上の装飾品は存在しない。』

(テルグ語の詩)

 リンカーンは、このような生き方を厳しく守りました。かれの正しい人格を見て、一部の友人たちは、彼が州議会の議員として選ばれることは難しくないだろうと感じました。彼らは、リンカーンに選挙に出馬するよう進言し、助力を約束しました。リンカーンは選挙に立候補し、圧倒的多数で勝利を収めました。彼は、持ち前の正直さと勤勉さで、アメリカ合衆国の大統領にまで上り詰めました。大統領に選ばれたとき、彼は、母親から聞かされた言葉を思い出しました。彼は、自信の重要さを、身をもって学んだのです。 その当時、奴隷たちは白人によって実にひどい扱いを受けていました。アブラハム・リンカーンは、彼らの待遇を改善して人間としての平等の権利を保証して上げたいと願いました。彼は、すべての人間は平等であり、肌の色や人種による差別 は不当であるという堅い信念を持っていました。彼は、奴隷たちのためにたゆみない努力を重ね、ついには米国における奴隷制度を廃止することに成功しました。リンカーンは、この崇高な仕事により、今日に到るまで人々に深く尊敬されています。

 世の中には、善と悪の間に絶えざる戦いが続けられています。他者を妬んで、非難・中傷をする人々がたくさんいます。しかし、私たちは、そのような非難をまったく重要視すべきではありません。賞賛や非難は、人類にはつきものです。バーラタ(インド)の国においても、その種の困難を経験し、忍耐によってそれを乗り越えた有名な人物が何人もいます。もし皆さんが真理と愛に生きているのであれば、決して危害を受けることはないでしょう。肉体はいつかは滅びます。ただ単に肉体を安全に守るために、悪いことを行ってはなりません。肉体は滅びますが、魂は永遠です。ですから、真理を求めなさい。真理よりも偉大なものは存在しません。

『宇宙は真理から生じ、真理へと帰融する。
はたして、真理が存在しない場所がどこかに存在するだろうか?
これのみが絶対の真理である。』

(テルグ語の詩)

 中には、自分たちの欲が満たされないと、善の道を離れて神に反抗し始める人々がいます。しかし、過ちは彼らにあるのであって、神にあるのではありません。神に反抗する人間には四つの種類があります。第一は、神は存在しないと主張する無神論者です。第二に、他の人々が自分たちよりも良い境遇にあるために、妬みの心から神に反抗する言葉を語る者がいます。第三は、自分たちには名声を手に入れる力がないのに、他者が名声を博していることを嘆く者たちです。そして四番目は、自分の欲望が満たされないときに幻滅を感じる者たちです。彼らは、不正で低劣な手段に訴えて自分たちの目的を果 たします。彼らは訴えます。「スワミ、私は新しい学校(あるいは団体)を始めようとしています。私にはたくさんのお金が必要です」私は彼らに真実を語ります。「いいですか、ここはあなたの国とは違います。この国の通 貨をあなたの国に持ち込むことはできません。もしあなたが不法な手段に訴えて政府を騙すようなことをするならば、私は決してそのようなやり方を許しませんよ」と。そのような状況において、彼らは、自分たちのところに帰って、私に関するありとあらゆる虚偽の告発をするのです。他の人々がたとえ何と言おうが、私は決して真実の道を離れません。賞賛や非難に対して、一切注意を払ってはなりません。神は信仰を基盤としています。信仰は、他者があなたに与えることのできないものです。すべての人が自分自身の信仰を持っています。

『神は存在しないと言う人々がいます。
信じることを拒む者にとっては、神は存在しません。
信仰を持つ人にとっては、神は存在します。
「イエス」と「ノー」は他の人々に属します。
バガヴァンの場合は、常に「イエス、イエス、イエス」です。』

(テルグ語の詩)

 各人の良心こそは、自分自身の証人です。否定的な批判にエネルギーを消耗してはなりません。皆さんは決して、信仰と自信を手放してはなりません。一部の人は、他の人々の成長や繁栄を妬ましく感じます。妬みは危険な害虫です。もし、葉や、果 実や、花がたくさんついている樹木の根に害虫が入ると、樹木全体がたちまち枯れてしまいます。害虫は外からは見えませんが、知らないうちに害が広がります。妬みを持った人は、自分の妬みを隠して、害虫のように他者に害を及ぼします。これは邪悪なやり方です。しかしながら、私の考えでは、邪悪な人間は一人もいません。すべての邪悪な振る舞いは、遅かれ早かれ変化します。バガヴァンの真実は一つです。すべてがバガヴァンのものであり、バガヴァンはすべてのものです。私の唯一の財産は愛です。私はすべての人を愛で包みます。心に憎しみを持って私のところに来る人さえも、私は愛しく感じます。私は皆さんの欠陥を探すことはしません。私は愛の原理に基づいています。すべての人が、バガヴァンの平常心に注目し、一体性の原理に従うべきです。純粋さは一体性によって生じ、純粋さから神に到達することができます。神に到達するためには、純粋さを培わなければなりません。純粋さを育てるためには、すべての人と調和して生きなければなりません。そうしてはじめて、皆さんは良い結果 を得ることができるのです。

バガヴァンの最大の関心事は人類の幸福

愛の化身である皆さん!
 今日は、この肉体の75歳の誕生日です。私は年齢には関心がありません。私の関心事は、人類の幸福のみです。中でも特に、私は困っている人や貧しい人々の幸福のことを気にかけています。私の人生の最大の目的は、寄る辺のない人々の困難を取り除くことです。人々が賞賛しようと非難しようと、私の決意は変わりません。皆さんも、このような方向で決断をすべきです。

『つかむべきものをつかんだら、成功するまでその手を放してはならない。
望むべきものを望んだら、あなたの望みがかなうまでそれを手放してはならない。
願うべきことを願ったら、その願いが聞き入れられるまで、
それをあきらめてはならない。
考えるべきことを考えたら、成功するまでその考えを捨ててはならない。
神があなたの祈りに負けるか、あなたが心を込めてより熱心に祈るか、
ふたつにひとつ。
これこそが、真の帰依者のたどるべき道である。』

(テルグ語の詩)

 あなたの決断がかなえられるまで、根気強くありなさい。これが帰依者の誓いです。これこそが、真の苦行(タパス)と呼べるものです。苦行とは、森の中で生活したり、逆立ちや瞑想などをしたりすることではありません。それは、自分の言葉を守り、真実を守り、感謝すべき相手には感謝を表現し、しっかりと自信を保つことです。これは、善人の持つ本当の性質です。もし皆さんが、これらの信条を守るのであれば、自分に降りかかってくる障害を容易に克服することができるでしょう。自信と自らを敬う気持ちを大切にして、いかなる犠牲をも払う覚悟でいなさい。すでに私が繰り返しお話ししたように、すべての人に内在するアートマは同一のものです。ですから、誰が取るに足りない人間で、誰が偉大な人間であるなどという考えに振り回されてはなりません。自信は年齢には関係ありません。量 は人によって異なるかもしれませんが、質は変わりません。

一体性は独立を守ります

愛の化身である皆さん!
  もしバーラタ(インド)が正しい方向に進歩しようとするのであれば、国民の間に完全な一体性がなければなりません。我が国の偉大な指導者たちは、大いなる犠牲を払って、我々のために自由を確保してくれました。我々は、独立を勝ち取ることはできましたが、まだ一体性は手に入れることができないでいます。一体性がなければ、独立が何の役に立つでしょうか? この国の人々が惨めな状態に陥っているのは、一体性が欠如しているからです。いたるところに憎しみが存在しています。一つの政党の内部に、十もの派閥があります。同じ屋根の下に住む者同士が、四つの異なった方向に進みます。もしこの種の不一致がいつまでもなくならないとすれば、どうして自由を守ることができるでしょう? 人々は正しい道を歩んでいません。皆さんは、完全なる一体性の道を選んで、『これが私の愛する祖国です。これが私の母国語であり、私の宗教です』と、すべてのバーラタ人が胸を張って言えるようにならなければなりません。

 今日の人々は信仰を失っています。信ずる心のない人間は、何も見えません。もし皆さんが自分以外の誰かを信ずることができないのであれば、少なくともあなた自身を信じなさい。あなた自身を信ずる心と、神を信ずる心を育てなさい。これが偉大さの秘訣です。そうして初めて、皆さんは神を経験することができるのです。神は他と分離した特定の姿を持ちません。「私」、すなわちアートマが神なのです。皆さんは、このような信仰心を持たなければなりません。そうして初めて、霊的な成長を遂げることができるのです。 バーラタの地は神聖です。

 世界中どこに行っても、このような神聖さは、ほとんど見ることができません。だからこそ、これまでに多くのアヴァター(神の化身)がこの地に降臨したのです。バーラタは、他の国々にとって母親のような存在です。ラーマは『母親と母国は、天国よりも偉大である』と言いました。皆さんは、この真理に気付かなければなりません。ラーマの御名を唱える人はたくさんいますが、はたして、ラーマが象徴している美徳を実践する人がいるでしょうか? 人々は、御名を唱えることにかけては英雄ですが、実践に関してはゼロです。ヴェーダは、タットワマシ(Tattwam Asi あなたはそれである)、プラジュニャーナム ブラムハー(Prajnanam Brahma 絶えざる統合意識が神である)、アハム ブラフマスミ(Aham Brahmasmi 私は神である)、アヤム アートマ ブラフマ(Ayam Atma Brahma このアートマは神である)という、四つのマハーヴァキヤ(大格言)を与えてくれました。

 皆さんは絶えずこれらの言葉を唱えていますが、それを実践していません。行動をせずにただ唱えるだけであれば、それは単なる自己宣伝に過ぎません。すべてが神だと言いながら、あなたは他者を憎みます。これはまったくの偽善です。もし皆さんが誰かに対して反感を抱いているのであれば、黙ってその人から離れていなさい。その人を憎んではいけません。その人に対する愛を養うように努めなさい。誰をも批判したり憎んだりしないことです。これが今日の私のメッセージです。これこそが、皆さんの取るべき道です。私はすべての人を愛しています。私は誰をも嫌いません。すべての人が私の帰依者であり、友であり、子供です。私にとっては、すべてが一つです。この宇宙は広大な書物です。良心こそが皆さんのグルです。神は皆さんの友です。時間もまた、神の姿そのものです。ですから、時間を無駄 にしてはいけません。時間を無駄にすることは命を無駄にすることです。皆さんの時間を純粋なものにすることこそが、真のサーダナ(霊性修行)です。

愛の化身である皆さん!

  皆さんの内にある愛と、私のうちにある愛とは、同じ一つのものです。しかし、皆さんの愛は、物質的なものへの欲望によって汚染されています。私には、物質的な富に対する欲望はまったくありません。私の愛はこの上なく純粋です。皆さんの内にある愛は、欲望に汚染されて否定的なものに変わります。私の中には、まったく否定的な性質はありません。それはすべて肯定的なものです。ですから、皆さんの内の否定的な『私(自我意識)』と、バガヴァンの肯定性とを組み合わせて、一体性を手に入れなさい。このように理解していれば、皆さんは言いようのない至福を経験することができるでしょう。それはどのような至福でしょうか? それは、ブラフマーナンダ(神の至福)に他なりません。このブラフマーナンダを経験すると、皆さんは神(ブラフマン)と一つになります。この段階に達すれば、皆さんはいかなる霊性修行(サーダナ)も必要なくなります。皆さんが行うすべてのサーダナは、皆さんの心を満足させるために行うものです。すべてを一つと見なし、すべてを愛しなさい。それが真の霊性修行です。『神には多くの名前があるが、神は一つ』です。皆さんは、神の1008の御名を唱える儀式をするとき、ケーシャヴァ、マーダヴァ、ナラヤナ、ゴーヴィンダといった、様々な名前を唱えますが、捧げ物は、同じ姿の神像や写 真に対して捧げます。 皆さんは、アンガ・プージャという儀式を行うとき、花を目に押し当ててから、「ネートラ プシュパーム サマルパヤーミ」(私の目そのものである花を捧げます)というマントラを唱えながら、それを祭壇の神に捧げます。これは、自分の目の代わりとして、象徴的に花を捧げているのです。皆さんは、目と言いながら花を捧げます。これは、神に対するごまかしと言えましょう。神自身からいただいたものを神に捧げることに、いったい何の意味があるでしょう? 皆さんは、「おゝ神様、すべてはあなたのものです。この体全部があなたのものです。手も足も、すべての器官もあなたのものです。私はあなたのものであり、あなたは私のものです」と祈るべきです。神とあなたの間に、このような同一性が確立されれば、それ以上目に見える形での礼拝をする必要はなくなります。しかし、いまだにこの崇高な状態に到達していない人々にとっては、ジャパ(神の御名やマントラを繰り返し唱えること)や、タパス(苦行)や、瞑想などのような、肉体を動員する形の様々な霊性修行が適しているのです。これらは、どれも絶えざる実践を必要とします。すべての否定的な想念を徐々に取り除き、肯定的な想いを植付けていきなさい。マイナスの想念をプラスの想念に変えていきなさい。

  たとえ誰かがあなたをののしったとしても、気にとめてはなりません。というのも、悪口を言う人は、あなたの真我をではなく、肉体をののしっているだけだからです。たとえば誰かがあなたを悪い人だと言ったとすれば、そう言われただけで、あなたが悪い人になるのでしょうか? もし実際に、あなたの中に悪い点があるとすれば、それをなくすように努めなさい。このカリの時代には、自分の望みがかなえられないという理由で、神を悪く言う人がたくさんいます。これは、あらゆる国に共通 した普遍的な習慣です。皆さんは、そのような清らかでない低劣な想いに負けてはなりません。例えば、ティヤーガラージャは、あなたが神に近付いた分だけ、またその近付き方に応じて、神はあなたに自分の姿を見せるのだと言っています。あなたがどのように考えようとも、神はあなたが考えるのと同じ姿をとります。もしあなたが良い感情を持っているのであれば、良い結果 を得ることでしょう。

愛の化身である皆さん!

  私は、このように盛大に誕生日を祝いたいという願いは、微塵も持っていません。私がこれらの祝典に参加しているのは、そうすることによって帰依者たちが喜ぶからです。私は、いかなるものにも、特に魅了されることはありません。帰依者たちの幸せは私の幸せです。皆さんの人生を神の愛に捧げなさい。

『愛は神の姿そのものである。愛を愛に融合させる努力をしなさい。
もしあなたにゆるぎない愛があれば、あなたは究極の融合を達成し、
真の不二一元性に到るであろう。』 

(テルグ語の詩)

 最近は、憎しみ、妬み、見栄が蔓延しています。これらのものをすべて取り除き、愛の道をたどりなさい。あなたの望みが満たされても、そうでなくても、起きていることはすべて、あなたにとって良いことだと考えなさい。あなたが困難に遭遇したときは、常に、そのうちもっと良い日が来るのだと考えなさい。善と悪は常に隣り合わせです。ですから、善と悪の両方を同じ心で受け取りなさい。ギータは、『幸せも悲しみも、損も得も、勝利も敗北も、完全なる平常心を持って扱いなさい』と言っています。楽しみは、苦痛と苦痛の間の期間です。あなたの世俗的な欲望を減らしなさい。神を求める気持ちを育てなさい。神への愛を高め、それによって、さらに幸せになりなさい。もし欲望が大きくなると、あなたの苦しみもその分だけ大きくなり、幸せもそれに反比例して減っていきます。

 皆さんは、財産によって神に到達することはできません。神には、帰依によってのみ到達できるのです。サッティアバマは慢心のあまり、自分の財産によってクリシュナ神を独占したいと考えました。彼女は、自分が持っていた大量 の金塊とクリシュナを量りにかけようとしました。しかし彼女は失敗しました。ナーラダは、ルクミニが真の帰依心をもって捧げた、たった一枚のトゥルシの葉が、サッティアバマの持つすべての財宝の重量 を超えたことを示して、彼女に自分の愚かさを気付かせました。サッティアバマは欲望を象徴しており、ルクミニは帰依を象徴しています。クリシュナは、一枚の葉、一つの花、一個の果 物、あるいはわずかな水の捧げ物でも、喜ぶと言っています。この言葉を文字通 りに受け取ってはなりません。肉体が葉であり、花はあなたのハートの花です。あなたの心が果 実であり、喜びの涙が神に受け入れられる捧げ物としての水なのです。

愛の化身である皆さん!

 もし皆さんの内に愛があれば、人生においてすべてを手に入れることができます。誰をも憎んではなりません。これを、皆さんの人生における最大の理想とすべきです。これが私から皆さんへのメッセージです。愛は私の唯一の財産です。ここに見える様々な立派な建物は、バガヴァンのものではありません。これらはすべて帰依者のものです。バガヴァンが持っている唯一の財産は、皆さん方全員に対する限りない愛です。皆さんがそれを望みさえすれば、バガヴァンは、皆さんに無限の愛を降り注ぎます。バガヴァンは、帰依者たちのためであれば、自分の肉体さえも犠牲にする用意ができています。皆さんは、幸福に生きて、至福の状態で日々の生活を送りなさい。バガヴァンは皆さんの愛のみを望んでいます。皆さんの愛はバガヴァンを幸せにします。バガヴァンの愛は、皆さんにとっての最大の財産であり、皆さんにとっての幸運です。これは、皆さんにとって、バガヴァンからの最大の贈り物です。この貴重な贈り物を大切にしなさい。これが、今日バガヴァンが皆さんに与える祝福です。皆さんが、ゆるぎない帰依心を持つことができますように。そして、長生きをして、神聖で幸福な人生を送りますように! 皆さん方が、これらのすべてに恵まれますように! 皆さんのあらゆる困難が取り除かれますように! 皆さんが、混じり気のない純粋な至福を経験しますように!

 

サイババ述

訳:サティア サイ 出版協会
出典: http://www.srisathyasai.org.in/