サティヤ サイババの御言葉

日付:2003年10月20日/21日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
アーンドラ プラデーシュ州の青年に向けた御講話より

すべてに内在するアートマ原理は一つ

ああ、愚か者よ!
なぜ神をあちこち探しにいくのか?
神は自らの内にいるというのに
目を内に向けよ
そうすれば、神がそこにいるのがわかるだろう

テルグ語の詩

愛の化身たちよ!

あなた方は、神は自分とは離れたところにいると誤解しています。神のヴィジョンを得るために、あなた方は、ジャパ、瞑想、バジャン等々といったさまざまな道を歩んでいます。神はどこか別の場所にいると思っているうちは、神を見つけることはできません。神はあなたの中にいます。内なる神性を顕現させる努力をしなさい。

世俗的なつながりに別れを告げる

一九四〇年十月二十日、ハンピから戻って学校に行く途中、ババの襟章がなくなり、見つからなくなりました。襟章は世俗的な欲望の象徴でした。その襟章は、バッラーリの市長、ナーラーヤナ ラージュ(ラーマ ラージュ)から私に贈られたものでした。

ハンピにあるヴィルーパークシャ寺院に私たちを連れていってくれたのは、その市長でした。お寺に着くと、シェーシャマ ラージュ(ババの兄)は、自分たちが寺の中に入ってヴィルーパークシャ神のダルシャンを得ている間、荷物番をしているようにと私に言いました。私は快く同意し、お寺の外にいました。一行はお寺の中に入っていきました。すると驚いたことに、一行は、お寺の中のヴィルーパークシャ神の像が安置されているはずの至聖所に私が立っているのを見たのです! シェーシャマ ラージュは、わが目を疑いました。そして、心の中でこう言いました。

「外にいて荷物番をしているようにと、はっきり言ったのに、どうして中に入ったんだ?」

シェーシャマは、至聖所に足を踏み入れるなど、もってのほかだと思いました。それから、すぐに寺の外に出ていって私が外にいるかどうか見てみると、私が外にいるのが見えました! そこで、またすぐに寺の中に入って見てみると、そこにも私がいたのでした! しかし、シェーシャマの疑いは晴れませんでした。シェーシャマは妻に言いました。

「外に行ってサティヤを見張っていなさい。サティヤをどこにも行かせてはならない。その間、私は寺の中にいて、サティヤがまだあそこにいるかどうか確かめる」

妻は言われたとおりにしました。シェーシャマは、またもや、サティヤが至聖所に立ってにっこりと微笑んでいるのを見ました。シェーシャマは、これは夢か誠か幻かと、きつねにつままれたようでした。

襟章を付けるのは、当時の流行でした。ナーラーヤナ ラージュは、いつも自分のことを覚えていてほしいという願いを込めて、私に襟章を贈ったのです。ハンピからウラヴァコンダに戻った後、私が片手に教科書を持って学校に行く途中、その襟章が落ちました。襟章は見つかりませんでした。私は、襟章をなくしたことは、まったく気にしていませんでした。けれども、私は一所懸命に襟章を探しているふりをしました。私の後ろを歩いていた何人かの少年が尋ねてきました。

「ラージュ、何を捜しているの?」

襟章をなくしたと私が言うと、少年たちもそこいら中を捜しはじめました。私は笑って言いました。

「君たちは学校に勉強に行こうとしているのに、どうして襟章のことを心配しなければいけないの? 心配しなくていいよ」

少年たちは、

「襟章をつけた君は、すごくかっこよかったから」

と言いました。

少年のうちの一人が、シェーシャマ ラージュの家に走っていきました。そのときシェーシャマ ラージュは、ナーラーヤナ ラージュといっしょに、私の不可解な行動はいったいどういうことなのか推測している最中でした。その少年が事の次第を報告すると、二人は一目散に私のところに走って来ました。ナーラーヤナ ラージュは、とても愛おしげに私の肩に手を置いて尋ねました。

「私の愛しい子よ、いったい何を捜しているのかね?」

「何かを捜しているのです」と私は言いました。

その答えには何か内的な意味が隠されているということを理解して、ナーラーヤナ ラージュは言いました。

「ラージュ、自分が知らないものを捜すことなどできようか?」

私は、もらった襟章をなくしたのだと言いました。ナーラーヤナ ラージュは言いました。

「襟章なら、同じものを十個あげよう。気にしなくてもいい。さあ、いらっしゃい、家に行こう」

それは変転の日
世俗的な執着が、襟章という形をとって離れていった
ハンピへの巡礼も、目的を果たし終えた
マーヤー(幻力、幻影)はもう自分を縛れないと言って
ババは家を出た

テルグ語の唄

人間には二種類の欲があります。一つは世俗的な欲で、もう一つは霊的な欲です。世俗的な教養はここで生きるためのもので、霊的な知識はこの世の先で生きるためのものであると言われています。しかしながら、人間は世俗的な教養だけを重要視しています。人間は常に世俗的な幸福を求めています。けれども、私はそのような幸福には興味がありません。

私はナーラーヤナ ラージュに、世俗的な執着が襟章という形をとってなくなったのだと言いました。その出来事を知って、消費税査察官のハヌマンタ ラーオ(アーンジャネーユル)が車を飛ばしてやって来て、私に言いました。

「ラージュ、何を捜しているんですか? どうか私といっしょに来てください。何でも望みのものをあげましょう」

ハヌマンタ ラーオは私に強い愛を抱いていました。自分は何も捜していないということを、私は彼に言いました。周りにいた人たちが、

「神を探しているのですか?」

と尋ねました。私は言いました。

「神を探す必要はありません。なぜなら、神はどこにでもいるからです。僕は、襟章のような、ささいなものを捜しているのでもありません」

それから、私はH・S・ラマナという英語教師の家に連れていかれました。彼らは私に尋ねました。

「何が欲しいのだね? 襟章か、それとも神か?」

「襟章は要りません。襟章はいくらでも手に入ります。なぜなら、すべては僕の手の中にあるからです。それに、皆さんは僕が神を探しているなどと思っているのですか? 神はどこにでもいます。神を探す必要はありません」

と私は答えました。

ナーラーヤナ ラージュが尋ねました。

「神はどこにいるのですか? 私たちに神が見られるのですか?」

以前、私は彼に指輪をあげていたのですが、その指輪がナーラーヤナ ラージュの指から消えてなくなったかと思うと、私の指にはまっていました。ナーラーヤナ ラージュは仰天しました。

「どうしてこのようなことが?」

「僕には何でもできます。すべては僕の手の中にあるのです」

と私は言いました。

(スワミはここで手をお回しになり、スワミがナーラーヤナ ラージュにあげたというその指輪を物質化なさいました。スワミはそれを高く掲げて聴衆に見せてくださいました)

その一切を見ていたシェーシャマ ラージュも、同様にびっくり仰天し、自分は私の兄であるという感情を捨て去りました。歓喜と後悔の涙を流しながら、シェーシャマは私に尋ねました。

「私のいとしいお方よ、あなたは全知でいらっしゃいます。すべてはあなたの手の中にあります。そうであるのに、あなたは何をお探しなのでしょう?」

私も、シェーシャマを兄さんとは呼びませんでした。自分はもはや世俗的な関係によって縛られてはいないと、私はシェーシャマに言いました。私はナーラーヤナ ラージュの手を握って尋ねました。

「これは何ですか?」

「私の手です」

とナーラーヤナ ラージュは言いました。私はナーラーヤナ ラージュのポケットからペンを取り出して、尋ねました。

「これは何ですか?」

「私のペンです」

「あなたは、私の手、私のペン、私の体、私のマインド、私の五感、等々と言いますが、『私の』という言葉は、あなたはそれら一切のものとは違うということを示しています。では、あなたは何なのですか?」

と私は尋ねました。すると、皆が考えはじめました。

「ああ、ラージュの言っていることは正しい。私たちは、これは私のもの、あれは私のものなどと言うが、自分はいったい何なのかを知らない」

皆、沈黙していました。皆、自分は本当は何なのか知らないということを認めました。私は皆に、自分はまさに人々に自らの正体を気づかせるために、人間の姿をとって降臨したのだということを話しました。

物を見るのは目であり、考えるのはマインドです。

(ここでバガヴァンは、指輪とハンカチを見て、おっしゃいました。)

あなた方の目にはこの指輪とハンカチが見えます。あなたは何を基準にこれを指輪と呼ぶのですか? 同じように、何があなたにこれをハンカチと呼ばせているのですか? あなた方は、マインドがそれら一切の基準であると言いますが、マインドとは何ですか? マインドは誰のものですか? あなた方はそれを知りません。あなた方は、自分が知っていると思っていることも、実際には知りません。それは、本当の自分についてです。それを知るために努力しなさい。

世界の教師

その日以来、真理を求める多くの者が私のところにやって来るようになりました。彼らはこう言いました。

「ラージュ、あなたのおっしゃることは正しい。しかし、私たちはどうすれば自分の実体に気づくことができるのですか?」

人々は聖典の言葉を引用し、高度な哲学を語りますが、それらの本当の意味を知りません。

「あなた方は、これは私の指輪、私の体、私のハンカチ等々と言います。では、あなたは何なのですか?」

と私は彼らに問いました。彼らは答えませんでした。そこで、私はこのような説明をはじめました。

「二つの重要な側面があります。それについて考えなければなりません。一つは『見られるもの、ドルシャ(ドリシャム)』であり、もう一つは『見るもの、ドラシタ(ドラシトリ)』です。

ヤッド ドルシャム タンナーシャム
見られるものは、すべて消え行く定めにある

それゆえ、何が見えても、それは幻にすぎないのです。あなた方は『見るもの』であり、それがあなた方の実体なのです」

英語教師のH・S・ラマナは高潔な人物でした。ラマナの家は学校に行く途中にありました。ラマナは、よく家の前のベランダに座っていて、私を見かけるや、「ラージュ!」と呼んで私を家の中に連れていき、コーヒーやおやつを出してきました。けれども、私はそういった世俗のものには関心がありませんでした。以前、私は彼を「先生」と呼んでいましたが、その日以来、私たちの間には、教師と教え子という世俗的な関係はなくなりました。私はよく、目に見えるものはすべて「見られるもの」にすぎず、滅びやすいものであり、人はそれを超越して「見るもの」を探さなければならないと、彼に言っていました。その時以来、私はどこに行っても、誰に会っても、こうした高次の原理を説いていました。

その後のある日、ラマナはシェーシャマ ラージュを呼び寄せて、言いました。

「シェーシャマ ラージュ! サッティヤムの振る舞いを理解しようと努めて悩むことはない。この少年は、人生の神秘を、深く深く掘り下げているのだ。彼の本性を推測することは誰にも不可能だ。しばらく待ってから、見てみようではないか」

こう言うと、ラマナは私を家の中に連れていって、おやつやコーヒーや食事などを、大きな愛を込めて出してきました。哀れな男よ! ラマナは、私がそういった世俗的なものにはまったく興味がないということに気づいていなかったのです。私は出された食べ物のどれにも手をつけませんでした。私の目には、それらはどれも世俗的なものであり、常に変化を被り続けるものです。それらは決して永続しません。私はラマナに説明しました。

「あなたは私のためにウプマー(南インドの軽食)を持ってきましたが、この食べ物はどれだけの間、実在しますか? 人に食べられるまでの間にすぎません。人が食べた後にはどうなりますか? 食べた後は、誰にもその形は見えません。ウプマはすっかり消えてなくなっています。あなた方は、そういった実体のない世俗的なものを、実体のあるものと考えているのです」

このようにして、私は二人に高次のヴェーダーンタの概念を説きはじめました。H・S・ラマナはそうした高次の原理に関する私の知識に仰天しました。それまでラマナは、私を「ラージュ! ラージュ!」と呼んでいましたが、それ以来、私を「グルジ!」(師匠)と呼ぶようになりました。私の両足をつかむと、ラマナは私に、

「グルジ! どうか私の家に来てください」

と懇願しました。その場にいた者たちは、年長の紳士で教師でもある人物が、年若い少年の教え子の足にしがみついているのを見て、たいそう驚きました。それから、ラマナはその人たち皆の前でこう宣言しました。

「私のみならず、全世界が彼の御足にひれ伏す日がやって来る」

そのときその場に集まっていた人々は、皆、力があり、社会で高い地位に就いている人たちでした。近所にラーマ ナーラーヤナ シャーストリという名の占星術師が住んでいました。そこで、彼を中に呼んで、私が二人に説明していた高次の真理の一切を評価させました。シャーストリは、ヴェーダーンタの概念に関する年若い私の知識に驚いて、歓喜の涙をこぼしました。その涙の一、二粒が、私の両足にぽとりと落ちました。それ以来、ウラヴァコンダの誰もが、私を「サティヤ サイ ババ」と呼ぶようになりました。それは、私が彼らに、自分はまさに真理(サティヤ)を明かすという目的で来たのだということを話したからでした。私の啓示に関する真理を完全に理解することができなかった何人かは、私にこう尋ねました。

「なぜ、あなたは自分をサイ ババだと宣言できるのですか?」

私は花をいくらか手にとって、それを床に投げました。すると、驚くなかれ! 花がひとりでにサティヤ サイ ババというテルグ語の文字の形に並んだのでした。その奇跡を目撃した彼らは、唖然(あぜん)として口も効けなくなるほど驚きました! それから、皆、声をそろえて、

「サティヤ サイ ババ キ ジェイ! サティヤ サイ ババ キ ジェイ!」

と繰り返しはじめました。私は、その名前は彼らが私に付けたものだということを強調しました。実際、私には名前は一つもないのですから! 私はこう宣言しました。

実は私はサイであると知れ
世俗的な関係は振り払い、
私を拘束しようという努力はあきらめよ
世俗的な執着は、もう私をしばれない
どれほど偉大な人だとて、
誰も私を拘束することはできない

テルグ語の詩

私は立ち上がり、その場を去って歩きだしました。その間、そこに集まっていた人たちは皆、ラマナとシャーストリも含め、私の後について来ようとしました。私は、私を追いかける代わりに、内観と内的変容に努めるよう助言しました。加えて、私は体ではありませんから、誰も私を拘束することなどできませんでした。それゆえ私は、私の理想を追いかけるようにと助言しました。そうして初めて、私の本性を悟ることができるのです。

この広大な宇宙の拡がりの中では、最も小さな原子から最も大きなものに至るまで、すべてのものにアートマの実体が浸透しています。それは、小さなものの中でも最も小さなものとなって顕れ、また、大きなものの中でも最も大きなものとなって顕れています。実際、小宇宙にも大宇宙にも浸透しているその唯一性の原理は、根本的な実体であり、あなた方はそれを探求しなければなりません。だからこそ、ラマナ マハルシは、よくこう言っていたのです。

「探求しなさい、あなたは本当は何者なのか?」

あなたは一人の存在ではありません。あなたは三人が一つになった存在です。

あなたが自分だと思っているあなた(体)。

他人があなただと思っているあなた(マインド)。

本当のあなた(アートマ)。

アートマは良心と呼ばれ、五感でできている体は意識と呼ばれています。チャイタニヤ(覚醒意識)は万人に内在しており、五感をしのぐものです。さらに、その覚醒意識を越えるもう一つの原理が存在します。それは超意識と呼ばれています。

初めのうちは、サイ ババ(シルディ サイ ババ)はどんな人物だったかを知る人は多くありませんでした。サイ ババはイスラム教の聖人だと思われていました。自分はサイ ババであると宣言してから初めてプッタパルティに戻ったとき、人々は私がイスラム教徒の名を名乗ったのだと思いました。しかし、私をヒンドゥー教やイスラム教といった特定の宗教にしばりつけることは誰にもできません。

ヴィシュヌ神の信者は、
ヴィシュヌ神が最も偉大であると言う
シヴァ神の信者は、シヴァ神が最も偉大であると言う
ガナパティ(ガネーシャ神)の信者は、
ガナパティが最も偉大であると言う
学識者は、シャーラダー(サラスワティー女神)が
最も偉大であると言う
イスラム教徒は、アッラーが偉大であると言う
シャクティの信者は、シャクティ(パールヴァティー)
女神が最も偉大であると言う
私の信者は、私が最も偉大であると言う
人々のなかには、すべては一つだと言う者もいる
人は自分の感情に基づいて物を言うかもしれないが、
真実は、一なる神がいるだけであり、
あとは単なる名前にすぎない

テルグ語の詩

アートマの実体に、様々な人が、様々な名前をつけて、様々な方法で定義しようとするかもしれません。しかし、その根底にあるアートマ タットワ(真我の原理)は、一つであり同じです。この真理は、理解可能な言語で人々に説かれなければなりません。皆さんには向こうに何件か家が建っているのが見えるでしょう。家の前にはベランダがあります。その奥にはリビングルームがあり、キッチンがあります。さらに、風呂場とトイレもあります。このように、別の設備には別の名前がついています。そうした名前はどうしてついたのでしょう? それはただ、それらが別の目的のために壁で仕切られているからです。しかし、どれも同じ家の一部であるというのが真実です。それと同じように、別の人には別の名前がついており、それぞれが母親、父親、兄弟などといった別の人間関係を築いています。あなたはそういった関係をどこで得ましたか? すべてはあなたが自分で作っているものです。そのバリアを取り外しなさい。そうして残るものは、巨大な唯一性の拡がりです。神性のことを、ある人はアートマと呼び、ある人はブラフマンと呼び、またある人はヴィシュヌと呼びます。それらは、名もなく、形もなく、属性もない神性に人間がつけた、ただの名前です。ブラフマ タットワ(ブラフマ原理)には、そうした名前はつけられていません。

ブラフマンはどこから生じたのでしょう? 一切の生き物に浸透しているアートマ意識がブラフマンと呼ばれているのです。それは、個別化すると良心と呼ばれます。それはジーヴァ(個々の魂)とも呼ばれています。そのアートマ タットワ(アートマ原理)は、体の中に入れられると個人になります。個人、アートマ、覚醒意識――三つは一つであり同じです。人々は、自分たちには別の名前がついているので、皆、別人だと思っています。名前を取り払いなさい。存在するのは、すべての個人に内在する一なるアートマ タットワのみです。アートマ タットワに姿形はありません。アートマ タットワは、別の人同士が結びつくことによって別の姿形を帯びるのです。あなたがこれ(スワミのハンカチ)にアートマという名前をつけたとしましょう。一般の言葉では、これはハンカチです。けれども、霊的な角度から見れば、これは一つの物体です。(最初は)私はこれを糸と呼びます。しばらくすると、私はこれを木綿と呼ぶようになります。ハンカチと呼ぼうが、糸と呼ぼうが、木綿と呼ぼうが、それは一つの物体を指しています。一つの物体に別の名前がついているだけです。たとえば、ラーマやクリシュナという御名がありますが、ラーマは特定の名前を持って生まれたわけではありません。彼がラーマと命名されたのは、生まれた後です。クリシュナという名前も同じです。彼が至福の権化だったために、クリシュナと呼ばれるようになったのです。

アカルシャティ イティ クリシュナ
魅了するがゆえに、彼はクリシュナなり

しかし、クリシュナの真の性質はアーナンダ(至福)です。クリシュナはアーナンダ スワルーパ(至福の化身)です。アーナンダという同一の原理が様々な名前をとったのです。その単一なるアーナンダの原理とは、

ブラフマーナンダム、パラマスカダム、
ケーヴァラム グニャーナムルティム、
ドヴァムドヴァーティータム、ガガナ サドルシャム、
タットワマッスヤーディ ラクシヤム、エーカム、
ニッティヤム、ヴィマラム、アチャラム、
サルヴァディー サークシブータム、
バーヴァティータム、トリグナラヒタム

神は、永遠の至福の体現者であり、
この上ない歓喜を与え、究極なる叡智の具現であり、
二元性を超えており、大空のようであり、
「タットワマスィ」(あれは汝なり)という大格言によって
示され、一つであり、永遠であり、純粋であり、
不動であり、理知のあらゆる働きの目撃者であり、
あらゆる心の状態を超越し、鈍性・激性・浄性という
三属性を持たない

神性に属性はありません。であれば、どうやって神性に名前を与えることなどできるでしょう? 神性の原理に特定の名前を付与することは不可能であるために、人々はそれをアートマと名づけました。アートマ タットワは万人に浸透しています。それには特定の姿形はありません。

こうした説明をしながら、私は人々に、まさにその原理を悟らせるために自分はやって来たのだと話しました。すると、シェーシャマ ラージュが大きな質問を提示してきました。シェーシャマはテルグの学識者でした。彼が提示する問いにはすべて、確かな価値がありました。シェーシャマは問いました。

「あなたは何者なのですか?」

私は答えました。

「あなたが私をサティヤと呼ぶなら、私はサティヤです。弟と呼ぶなら、私はあなたの弟です。生徒と呼ぶなら、生徒です。あなたが私をどんな名前と姿だと言おうとも、私はその名前と姿をまといます。実に、誰もこの真理に気づけずにいます。私は誰ともどんな関係ももっていません。どんな名前ででも私を呼びなさい。私はそれに答えます。もしあなたが私を『サイ』と呼んでも、私は答えます。どんな名前で私を呼んでも、私にとってはどれも同じです。そうした名前の一切は、私のものだと見なされているにすぎません。実に、私はあなた方にこの真理を気づかせるためにやって来たのです」

古き良き日々

教室では、三人で一つの机を使っていました。私が真ん中に座り、両脇にはラメーシュとスレーシュが座っていました。皆、とても幼く、一人は八歳、もう一人は九歳で、私は八歳半でした。ラメーシュとスレーシュは、あまり勉強がよくできませんでした。二人が先生に指されたときには、いつも私がこっそりと教え、二人はそのとおりに答えていました。

それはESLC(八年生までの勉強が終わった生徒が受けることのできる小学校卒業資格試験)という共通試験のときのことでした。試験会場では受験番号の順に席が決まっており、三人は離れて座らなければなりませんでした。お互いの距離はだいぶ離れていました。二人が私の助けを得ることは、まったく無理でした。二人はとても心配しました。私は二人にこう言って勇気を吹き込みました。

「君たちは何も書かなくてもいい。ただ試験に出さえすればいい。残りは僕が引き受ける」

私は何分かで自分の解答用紙を埋めました。それから、試験管のところから追加の解答用紙を取ってきて、ラメーシュの筆跡で答えを書きました。それが終わると、また解答用紙をもらってきて、スレーシュの筆跡で答えを書きました。解答用紙には二人の名前も書きました。終了のベルが鳴り、生徒全員が立ち上がりました。私は無言で三枚の解答用紙を試験管の机の上に置きました。

試験結果が発表され、優等を取ったのは私たち三人だけでした。教師たちは、ラメーシュとスレーシュが優等を取れたことに驚いていました。数学の教師だったティルマル ラーオが私たち三人を呼び出し、ラメーシュとスレーシュに自分で解答を書いたのかと尋ねました。その前に、私はラメーシュとスレーシュに、どんなことになっても本当のことを明かしてはいけないと注意していました。私は二人にこう言いました。

「もし何か聞かれたら、あの時は答えを覚えていたけれども、今は忘れてしまいましたと言うんだよ。僕の言うとおりにするなら、僕は君たちのもので、君たちは僕のものだ」

二人は私の言うことを聞き、答えは自分で書きましたとティルマル ラーオに言いました。疑いの余地はありませんでした。私たちは離れて座っていたので、二人が私の答えを写すことは不可能でした。解答はそれぞれの筆跡で書かれていました。

地元の人たちは大喜びで、三人を肩に担いで大勢で街を練り歩きました。

コッテ スッバンナという商人がいました。スッバンナは、どこからか私がよい詩を書くということを聞きつけて、ある日、私のところにやって来て、こう頼みました。

「ラージュ、うちの店に『バラ バースカラ』(光を作り出すものの力)という新しい薬が入ったんだ。その薬の効き目を歌にしてくれないか。そうすれば、いい宣伝になる。何でも君の好きな物をあげるよ。お金はいくらでも払う用意がある」

私はスッバンナに言いました。

「僕は詩を売るためにここにいるんじゃありません。その薬のことを詳しく教えてくれれば、もちろん、あなたのために歌は作ります」

そうして、私は次のような歌を作りました。

あるよ! あるよ!
さあ! 子どもたち! おいで、おいで!

バラ バースカラという薬があるよ
胃のむかつき、足の腫(は)れ、関節痛にも
お腹の張りにも
知ってる病気、知らない病気、どんな病気も
すぐに治したかったら
このバラ バースカラを飲むといい!

どこで手に入るか知りたいならば
コッテ スッバンナの店がある
薬はその店で手に入る

ここにおいで、少年たち! ここにおいで!
かの有名なゴーパーラチャールヤ医師が作った
すごい強壮剤だ

ここにおいでよ、少年たち! ここにおいで!

テルグ語の歌

この歌を十人の子どもに教え、その子たちが歌をうたいながらプラカードを持って通りを歩いてまわりました。薬は皆の知るところとなり、在庫はすぐに売り切れました。コッテ スッバンナはとても有名になりました。スッバンナは際限なく喜び、感謝を示すために私のために服を二着誂えて持ってきましたが、私は受け取るのを断りました。

そのころ、校長のラクシュミーパティ シャーストリが転任になりました。生徒は皆、それを残念がりました。さらに、シェーシャマ ラージュもウラヴァコンダからカマラープラムに転任になりました。そのため、私もウラヴァコンダを離れなくてはならなくなりました。ラメーシュとスレーシュは私に強く執心していましたが、その愛の強さは親兄弟にも見られないほどのものでした。私がウラヴァコンダを離れるとき、学校の子どもたちは慰めようもないほど悲しみました。ラメーシュとスレーシュは、涙は見せませんでしたが、私との別れに耐えられずにいました。当時の私はとても幼かったので、シェーシャマ ラージュの言うことに従うほかありませんでした。ですから、私はバスに乗り、ウラヴァコンダを離れました。ラメーシュはすっかり気落ちして、井戸に身を投げて死にました。もう一人の少年は、「ラージュ、ラージュ、ラージュ・・・」と言い続けて、ついには気がふれてしまいました。いくつかの精神病院に連れていかれましたが、よくはなりませんでした。とうとう、父親が私のところにやって来て、こいねがいました。

「一目だけでもあなたを見れば、スレーシュは狂気から回復するでしょう。どうか会いにいってやってください」

私はスレーシュに会いに精神病院に行きました。スレーシュはずっと「ラージュ、ラージュ、ラージュ・・・」と繰り返していましたが、私の姿が目に入ると、涙が頬を伝い、息をひきとりました。

のちに、ラメーシュとスレーシュは二匹の犬となって生まれ変わり、バンガロールの役人の手で私のところに連れてこられました。私が旧マンディールにいたころは、二匹はいつも私といっしょにいました。二匹はジャックとジルと名づけられました。

ある日、マイソールのマハーラニー(藩王女)が私のダルシャンを受けにきました。彼女は立派な帰依者で、宗教の正統的慣行を重んじる女性でした。いつも他人とは距離を置いていました。他人が触れたものには、決して触ろうとはしませんでした。彼女の正統さは、牛の乳をしぼるときには、必ず牛に水浴させるほどのものでした。プッタパルティまできちんとした道が通っていなかったので、マハーラニーはカルナータナーゲッパリで車を降りて、そこから旧マンディールまでの残りの距離は歩いてきました。どうやって来たのでしょう? マハーラニーは他人が歩いた道は自分の足で直接踏みたくなかったので、四枚の厚い板を持参してきて、二枚ずつ交互に足を載せて板の上を伝って歩き、マンディールにたどり着いたのです。そして、その夜はマンディールで休むことにしました。夕食を終えると、運転手は車を停めてあるカルナータナーゲッパリに戻っていきました。その夜は激しい雨が降っていたので、運転手は車の中で眠り、ジャックはその車の下のタイヤのそばで眠りました。翌朝、運転手はジャックが下で寝ているのを知らずに車を出しました。ジャックは車にひかれて、背骨を折りました。ジャックは身を引きずって、ずっと哀しげに鳴き声を上げながら川を渡ってきました。旧マンディールでは、スッバンナという名の洗濯夫が、昼夜番をしていました。スッバンナが私のところに走ってきて、言いました。

「スワミ、ジャックが事故に遭ったようです。痛みに鳴きながらこちらにやって来ます」

私はすぐに外に出ました。ジャックは私のそばにやって来ると、大きな鳴き声を上げ、私の足に倒れこんで息を引き取りました。ジャックは旧マンディールの裏に埋葬され、そこにブルンダーヴァナム(神目(かみめ)箒(ぼうき)の植木を植えた神聖な花壇)が作られました。ジャックが死ぬと、ジルは食べ物を受けつけなくなり、数日後に死にました。ジルはジャックの隣に埋葬されました。

このように、ラメーシュとスレーシュは、いつも私と共にいるために、苦行をしたのでした。そして、二人は死んだ後も、私と共にいるために犬となって生まれてきたのでした。

子ども時代、私は深い意味のある歌をいくつか作り、それを村人たちに歌わせることで、彼らに喜びを与えていました。ある日、共産党のリーダーだったナーラーヤナ レッディーという人物が、ブッカパトナムから私のもとにやって来て、自由の闘士を鼓舞するような歌を作ってほしいと言ってきました。

舞台の上に揺りかごを置いて人形を寝かし、私は子守唄の形式でその人形に向けた歌を作りました。

泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
泣けば、おまえは勇ましいバーラタ(インド、神を愛するものの意)の息子とは呼ばれない
お眠り、我が子よ、お眠り

おまえがすくんでいるのは
恐ろしいヒトラーが無敵のロシアに侵入したから?
お眠り、我が子よ、お眠り

泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
スターリンのもとで赤軍が前進しているのだから
赤軍はヒトラーに終わりをもたらすでしょう

なぜ泣くの? 我が子よ
母国が外国の支配に苦しんでいるから?

泣くのはおやめ、我が子よ、泣くのはおやめ
全国民が一致団結し、
自由を勝ち取るために戦いますよ
お眠り、我が子よ、お眠り

テルグ語の歌

村人たちは、感謝と驚きをもってこの歌に聞き入りました。多くの人が、どうしてこの小さなサティヤ ナーラーヤナ ラージュ少年がヒトラーとスターリンのことを知っているのかと、不思議がりました。その地方の人たちには、ヒトラーやスターリンの名前は知られていませんでした。歌詞はパンフレットに刷られて、村人たちに配られました。他の政党の人たちも私のところにやって来て、歌を作ってほしいと頼んでくるようになりました。シェーシャマ ラージュは私を叱り、政治には関わるなと言いました。私は言いました。

「僕は政党とは何の関係もありません。僕はどの政党にも属していません。すべての政党は私のものです。私はすべてに属しています」

その歌は村でとても有名になりました。政党の人たちが私にズボンやシャツやタオルを持ってきましたが、私はそれを受け取らず、彼らの目の前でそれを他の子どもたちに配りました。

「僕はあなた方を勇気づけるために歌を作ったんです。金銭的な報酬のために作ったのではありません」

その日から、私はそういった歌を作るのをやめました。

最近では、私はバジャンさえ作りません。サナータナ サーラティ誌にさえ寄稿していません。カストゥーリはよく、私に記事を書いてくださいと懇願してきたものでした。彼はよくこう言ったものです。

「スワミ、あなたの名前が載っていないと、サナータナ サーラティは価値がなくなるのです」

学校の生徒は皆、私のことが大好きでした。私も彼らに大きな愛情を抱いていました。家でヴァダやパコーダ(南インドの軽食スナック)といったような料理を特別に作ったときには、私はいつもそれを学校に持っていって、他の子どもたちに配りました。私は皆に友好的でした。私は誰にも敵意はもっていませんでした。私の高潔な行いを見て、ラメーシュとスレーシュは私への強い執心を抱き、ついには自分の命を私に捧げました。二人の愛と帰依心ゆえに、私は試験で二人を助けたのです。あれ以来、私が試験に関することに首を突っ込むことはなくなりました。あるとき、政府の役人が私に尋ねました。

「スワミ、どうして二人の代わりに試験に解答なさったのですか?」

「なぜ、いけないのかね? ラメーシュもスレーシュも私の名前です」

と私は答えました。

このように、私は自分の生涯の出来事をいくらでも話すことができます。話は尽きません。実のところ、私の物語を語るには言葉では不十分です。

私はいつも、学生たちに特別な愛を抱いています。それと同じように、学生たちも私に強い愛を抱いています。何か問題を抱えると、いつも学生たちは私の指導を仰ぎます。つい昨日も、ある研究生が論文の準備のことで私の指導を願いました。彼は『マハーバーラタ』に関する論文を書き、ビーシュマやビーマやダルマラージャといった登場人物のことで私にいくつか質問をしてきました。私は彼に、答えは自分で見つけなさいと言いました。今、その研究生がベランダの向こうに座っているのが見えます。私は彼に、正しい答えを見つけるには自分の内面を探求しなさいと言いました。

学生たちはスワミへの愛でいっぱいです。学生たちは、スワミを、自分の母であり、父であり、すべてであると思っています。学生たちは、私に「サイ マータ」(サイ母)と言って呼びかけます。そして、「私たちはサイ マータの子どもたちです」と歌います。彼らが私を母だと思っているのに、私がその祈りに応えないことなどできますか? ですから、私も彼らに母の愛を注ぐのです。

ヤッド バーヴァム タッド バヴァティ
感情のとおりに、結果は生じる

それは学生たちの私への愛の反映にすぎません。スワミと学生たちの間にある愛は、母と子の愛です。人には言いたいことを言わせておきなさい。スワミはあなた方の母親です。スワミを自分の母親だと思っている人には、スワミはその人の母親であり、スワミを自分の父親だと思っている人には、スワミはその人の父親です。私はあなた方の感情に従って反応します。実の母親でさえ、スワミがあなたに注ぐほどの愛をあなたに与えることはできないでしょう。

学生諸君!

一所懸命に働いて、よく勉強しなさい。私の脇に座っている二人の青年が、スワミが長い時間立っていることを心配しています。二人はずっと、私が座るよう祈っていました。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.36 Part2 C7