サティヤ サイババの御言葉

日付:2004年1月15日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
サンクラーンティの御講話より

教育の目的は人格

学生の皆さん、少年少女の皆さん! 現在の副学長、元副学長 、セントラル・トラストの事務局長、そして二人の学生は、美しい語彙を用いて素晴らしいスピーチをしました。この広い世の中では、内なる存在を目覚めさせ、ハートを大きな至福で満たしてくれる、この上なく素晴らしい、喜びに満ちた行事の数々が、至る所で行われています。本校の学生たちも、卓越した技能や知性、スポーツや競技や音楽の分野における専門的な技能を養い、自分たちの才能を発揮して、あらゆる人を喜ばせました。学生たちは、着手する活動が何であれ、それを一時的な幸福のためではなく、スワミを喜ばせるために行っています。

教育は内なる視力を育てなければならない

生まれた時から、人間のすべての活動は、学んで知恵を獲得する過程に中心が置かれます。自分のハートを愛で満たし、万人を幸せにすることができるよう、本校の学生たちに理想主義の精神を教えることは絶対に必要です。今日、世界中に数多くの教育機関が存在していますが、教育とは本当は何を意味しているかを理解している人は誰もいないようです。学生たちは、単なる書物上の知識で頭を満たし、試験の答案を書き、合格点を取って、自分たちは教育を身につけたと主張しています。

身につけた教育や知力にもかかわらず、
愚かな人間は、自らの真我を知ることがないだろう
心の卑しい人間は、自らの悪い性質を捨てないだろう

テルグ語の詩

現代の教育は、論争だけをもたらし、
完全な英知をもたらさない
不滅へと導くことのできない教育を身につけて、
いったい何の役に立つだろう?
あなたを不滅にしてくれる知識を手に入れなさい

テルグ語の詩

ヴィッディヤー〔光を照らす知識〕とはグニャーナ(英知)を意味します。グニャーナは、世俗的な知力のことではありません。真の教育は、内なる視力〔霊的な目〕を育み、永続的な至福を体験させてくれます。学生は、現代の教育制度からどのように恩恵を受けているでしょうか? 学生たちは、ただ学位を手に入れて、権威者たちから高い評価を得てはいますが、教育というものの真の意味を理解していません。

現代の学生は、スポーツや文化の行事に参加することの背後にある真の精神を理解することができていません。スポーツや競技といったあらゆる行事には、勝者と敗者がつきものです。人々は競技の結果だけに関心を持ち、スポーツの精神を享受することがありません。スポーツや競技の目的は、勝負の決着をつけることではなく、参加者にスポーツマン精神を教え込むことにあります。人生はゲームです、プレイしなさい。人生は夢です、それに気づきなさい。人生は愛です、楽しみなさい。これらの言葉の趣旨を理解し、日常生活でそれを実現する人だけが、真の学生です。

現代の教育制度は、学生の識別力を育てる代わりに学生を狭量にしています。真の知識を与えることもなければ、学生たちが広い心を持つのに役立つこともありません。現代の教育は意味のないものになっています。学生たちに指定された教科書には、真の教育の核心が含まれていません。なぜ政府がそれほど無価値な教科書を奨励するのか、私は不思議に思います! おそらく、政府でさえその実態に気づいていないのでしょう。それは、低い地位にいる人が高位の関係当局に相談しないまま決定したかのように見えます。それは政府に悪名をもたらしていますが、誰もそのことを憂慮しているようには見えません。このような不健全な傾向が増加しています。

古代の教育制度と結びついている神聖さを理解しようと努めている人は誰もいません。学生は、教育の核心にではなく、書物の知識だけに関心を抱いています。実践的な知識ではなく、教科書の知識だけがテストされています。学位は生計を得るための手段であると学生たちは考えています。教育は、生計を立てるためにではなく、人生のためにあるのです。ところが、学生も親もこの真理に気づいていません。親は、自分の子供が試験で良い成績を取れば嬉しく思います。親は、子供が得た悪い所見の山については、何の心配もしません。所見に関心を持ちさえすれば、親は子供たちが受けている教育がどんな類のものなのかをきちんと理解することができるでしょう。現代的な教育が進出してきたせいで、ヴェーダとシャーストラ〔天啓経典〕の学習は衰退してしまいました。このような状況下で、どうやって現代の教育が皆さんに真の英知を授けることができるのでしょう?

親と教師はもっと責任を負うべきである

学生の皆さん! 皆さんは、あまねく社会と世界に恩恵をもたらすような教養を身につけるべきです。社会の現状はどうでしょう? 私たちはどのような方法で社会を理想的なものにすることができるでしょう? 人はどのようにして社会の進歩のために働くべきなのでしょう? 誰もこの種のことは考えていないようです。さらに、現代の教育制度は社会奉仕を重視していません。もし誰かが教育制度の改革について話をしても、学生たちはそれを無視します。学生たちは、教科書の知識が教育のすべてであり、目的であると考えています。年長者たちは学生に正しい教育を施す責任を持つべきです。学生たちは社会の名誉を守るべきです。私たちは教育の真の意味を伝えてくれた古の聖者や先覚者の教えに従うべきです。

ただ単にいくつか学位を取得したからといって自惚れるのは、愚かさのしるしです。社会が必要としているものを理解し、自分の受けた教育を社会の発展のために生かすべきです。人々は、自分は社会に奉仕をしていると言っていますが、社会が何を必要としているかを本当には理解していません。そのような奉仕はサマージャ セヴァ(社会奉仕)ではなく、サマーディ セヴァ〔墓奉仕〕、つまり、生気のない、機械的な行為です。教育制度が正しく整えられたとき、社会は初めて発展するでしょう。

西洋の教育への熱狂が増したために、ヴェーダ聖典の学習はおざなりにされています。親は子供が幼いころから、何が善で何が悪かを教えるべきです。親は、子供が大学の入学許可を手に入れて学位を取得することで満足してはいけません。親は、子供が自分の受けた教育を国への奉仕に活用することを確実にすべきです。この点について、政府はあまり多くのことはできないでしょう。子供を正しい方向に沿って導くのは親の責任です。親は、国の発展のために働くよう子供を奨励すべきです。しかし、昨今の親はそのような寛大な心を持ち合わせていません。教師でさえ、国家の安寧に関心を抱いていません。

教師は、学生に書物の知識を教えることで自分の責任は終わりだと感じています。教師は、教科書に載っている情報は社会の役に立つものか、そうでないかを調べることさえしていません。教師は、その問題を政府に持ちかけようとしません。たとえ教師がそれを持ちかけても、政府は返答しません。彼らは、教育機関を学位保持者の生産工場にしています。この現状について、学生だけが責められるべきではありません。この情けない現状には、親と教師と政府に等しく責任があります。

学生は、教室で良い順位を得て良い評判を手に入れたとしても、それだけでは不十分です。社会と国家の発展のために働いて、そうすることで親に良い評判をもたらすべきです。親は、折に触れて子供の進歩を観察し、子供に繰り返し功徳を説き聞かせ、責任ある市民に育て上げるべきです。親は、子供が良い点数を取ったからといって満足してはいけません。親は、子供が家でどんな種類の本を読んでいるかにも注意を払うべきです。無益な小説を読んでいる学生もいます。しかし、親はそれを矯正することに時間をかけようとはしません。逆に、親たちは、「小説を読むことに何か間違いがあるのですか? 子供が喜んでいるなら構いません」などと言う始末です。このようにして親は子供を駄目にしているのです。親たちは、自分の留守に子供がどう振る舞っているかを気にかけません。子供の振る舞いを正さず、ただ教育を受けさせるだけでは意味がありません。親たちは、最も理想的な方法で子供を育成した祖先たちの模範を見習うべきです。

学生に世俗と霊性の融合した教育を施す

愛の化身である皆さん! 現代の教育制度は改革を必要としています。現代の親たちは、自分の子供が英語を媒体とする学校で学び、英語の詩を朗唱できることを自慢に思っています。彼らは、その現代的な教育が子供にどのような種類の打撃や影響を与えているかをわかっていません。幼稚園の小さな幼児たちは「バーバー、ブラック シープ」〔メーメー、黒い羊(厄介者)さん〕といった童謡を教えられています。このような教育のせいで、最終的に、子供たち自身が黒い羊〔厄介者〕になってしまうのです。学生たちの人生をすっかり台無しにしている現代の教育制度を見ると、私は本当に胸が痛み、うんざりしてしまいます。だから私は、学生の人格形成のために、何千万ルピーもかけて教育機関を設立したのです。

私は教科書でさえ学生たちに無料で支給しています。今日の世界は状況が大変悪いため、小学校に入学するのにさえ、あらかじめ寄付として何千ルピーも支払うことで、上手いこと手続きをしなければなりません。親たちは、自分たちが良い学校だと思っている学校に子供が入学許可を得ると嬉しく思い、そのような教育制度のために生じる成果については気にかけません。子供は、親が子を教育するために窮乏に耐え忍ばなければならないことに対して、感謝をしていません。親たちは、子供を教育するために借金し、まともな食事や睡眠すら取っていません。結局のところ、子供たちはこの教育制度から恩恵を受け取っていないのです。

子供は自分にとって何が良くて何が悪いのかを理解できません。今、教育の質がこれほど「チープ」〔低級〕になってしまったというのに、どうやってそんな教育が人を「チーフ」〔長〕にすることができるでしょう? 親も教師も学生も、現代の教育制度によって社会や国家がどのような恩恵を受け取るかを理解できていません。ですから、社会に完全な変革をもたらすために、親と教師と学生が皆、手を取り合って、一致団結して働くべきです。

現在、学生たちの不安が増大しつつあります。しかし、それは学生の責任ではありません。学生たちは非常に良い素質を持っています。過ちは、教師と年長者と政府にあります。現代の教育制度が学生の人格を形成するように計画されていないことが、決定的な要因です。良い学生がたくさんいるのに、親と教師と教科書が学生たちを正しく導いていないのです。今は、親が目を開いて現状を理解する潮時です。親は、子供が適切な教育を受けることで子供の人生を向上できるようにすべきです。親は子供に、そうした、不滅をもたらしてくれる教育を受けるよう勧めるべきです。もちろん、世俗に関連した教育も必要です。しかし、学生の人格を形成して国家のより良い市民にするためには、世俗に関連した教育は霊的な教育と調和しているべきなのです。

教育の目的は人格であるべき

学生の皆さん! 自分が高等教育を追求していることを自慢に思ってはなりません。高度な教養と共に、高潔な性質を養うべきです。美徳を欠いた教養は無益です。教育の目的は人格です。今日、多くの学生が、無益で、不道徳ですらある小説を読んでいます。関係当局は、そのような本が市場で販売されないことを確実にすべきです。学生は、自分の人格を向上できるような本だけを読むべきです。学生は真の精神でスポーツや競技に参加すべきです。

このアドバイスは女子学生にも当てはまります。女子学生たちは、「男子がオートバイに乗っているのに、なぜ私たちは同じことができないのですか?」と尋ねます。このようにして、彼女たちは議論をして時間を無駄にしています。誰も女子はオートバイに乗るべきではないなどとは言っていません。しかし、人は時と状況に応じて行動すべきなのです。若い人の二輪車での死亡事故の件数が増加しています。親は子供を育てるために多くの犠牲を払っています。それなのに、その大切な命がオートバイの事故で失われたとしたら。私にはそのときの親の苦悶が分かります。

今、女子たちは、あらゆる分野で男子と競争したがります。名声と評判も熱望しています。彼女たちの主張はこうです。「どういう点で私たちは男子より劣っているのですか? どうして私たちは男子と同じ種類の教育を身につけることができないのですか?」。しかしながら、人はそれぞれ、自分に見合った、適切な種類の教育を身につけるべきです。家族の面倒をよく見て、理想的なしつけで子供の人格を形成することは、女性にとって必要不可欠です。

子供に美徳を教え込むのと同時に、適切な教育も施すべきです。現代の教育は、学生を誤った方向に導いています。親は、これに関して、ある程度の責めを負うべきです。親は、子供が高い資格を取得すること、高い資格を持つ相手と結婚することを望んでいます。縁談をまとめようとする時、次のように尋ねる親もいます。「うちの娘は大学院を修了しました。娘は器量が良いのです。お宅の息子さんはどうですか? 大学院を修了されましたか? 息子さんの顔立ちは良いですか?」。実のところ、美しさは人格と結びついたものであり、身体的な容姿と結びつくものではありません。人格の美しさこそ、人が切望すべきものです。大学院を修了した花嫁が、必ず大学院を修了した花婿を得ることは可能でしょうか? 現代の教育は不健全な競争と対立をもたらしています。私は、女子は高等教育を追求すべきではないと言っているのではありません。もし私が女子の教育に不賛成であれば、なぜ女子大学を設立しなければならないのでしょう? 私は、学生に美徳を教え込むという唯一の目的を持って、さまざまな教育機関を設立しました。私は無料で教育を提供しています。受験料さえありません。私のもっぱらの目的は、学生が正しい教育を身につけて、理想的な市民となり、両親を幸せにすることです。

学生の皆さん! 私の言葉を誤解してはなりません。私は皆さんの安寧と繁栄のために、これら一切を話しているのです。皆さんは、自分に良い評判をもたらしてくれるような教養、家族の名声を守ってくれるような教養を得るべきです。自由の名の下に利己的になって、誤った道を歩んではなりません。私は、道を歩いている時はあちこちよそ見をしないようにと、たびたび男子学生に警告しています。中には、猛スピードでオートバイを運転しながらすれ違う若い女性を見続けている男子もいます。彼らは注意がそれて事故を起こす羽目に陥ります。もし、あなたの人格が善良であれば、あなたは常に守られるでしょう。自分の五感をいつもきちんとコントロールしているべきです。自分の見るもの、聞くこと、話すことを、いつもチェックしているべきです。仏陀は、五感を支配する目的でさまざまな霊性修行に着手しました。

なぜ、あなたに目が与えられたのか?
それはあちこち見るためか? 否
目は神の美しい姿を見るために与えられた
なぜ、あなたに耳が与えられたのか?
それはつまらぬ噂話を聞くためか? 否
耳は神の栄光を聞くために与えられた

テルグ語の詩

耳は善い言葉を聞き、それらを実践し、そうすることによって有徳な人生を送るために与えられているのです。仏陀は、神が有徳な人生を送る目的で感覚器官を授けたことに気づいたため、儀式化したあらゆる霊性修行を捨て、自分の五感を神聖な使い方で用いました。仏陀は、自分が人生で獲得しなければならないのは美徳であって、五感の喜びではないことを確信しました。仏陀は、自分の良心が自分の真の導師〔グル〕であることを悟り、目や舌といった感覚器官を制御する努力をしました。この二つの感覚器官が制御されるなら、他のすべての感覚器官は自動的に制御できるようになります。こうして、人生における自分の目標を定めた仏陀は、妻と一人息子を捨て、広い世間に足を踏み入れました。

しかし、私は皆さんに、仏陀のように妻子を残して森へ入るよう勧めているわけではありません。皆さんは、妻子の面倒をよく見て、妻子に対する責務を果たしなさい。自分の子供に高潔な性質を教え、世の中で子供を育てなさい。有徳の人生を送りなさい。これが仏陀の教えたことです。もしあなたが仏陀のようにサムヤク ドリシティ〔正見/サムヤク ドルシティ〕を養うなら、全世界はあなたの配下に入ることでしょう。

有徳の人生のために懸命に努力せよ

他の人の誤った助言に注意を払ってはなりません。高潔な性質を育てなさい。もしあなたが自分の五感を制御することができれば、叙事詩バーガヴァタの精髄を悟ることになります。叙事詩バーガヴァタの学習は、人を有徳の人に変えることを意図しています。ですから、自分の五感を制御して、この世の主人となりなさい。これこそ、皆さんが目下、懸命に努力しなければならないことです。両親にも人生における自分の優先事項について説明しなさい。両親にこう言いなさい。「お母さん! お母さんは私が高給をもらえる仕事を選ぶことを期待しています。でも、高い給料は有徳の生活ほど重要ではありません。もし高潔な生活よりもお金を優先するなら、人生そのものが台無しになってしまうでしょう」

自分の五感を制御し続ければ、あなたは高潔な性質の人となるでしょう。人格の強さも手に入れるでしょう。主ラーマの傑出した召し使いであるハヌマーンは、そのような高潔な性質の模範です。ハヌマーンは、「サントゥドゥ」(穏やかで落ち着いている者)、「グナヴァントゥドゥ」(有徳の者)、「バラヴァントゥドゥ」(大きな力強さを持つ者)と称えられています。ハヌマーンは、自らの高潔な性質のゆえに、偉大な導師〔グル〕となりました。私たちはハヌマーンの高潔な性質を見習うべきです。

愛しい学生の皆さん! 皆さんは純金のようです。皆さんは高潔な性質の数々を持っている人たちです。皆さんは貴重です。ところが、皆さんの中には、悪い要素によって、誤った方向へ導かれる者もいます。たとえ他の人々が皆さんを誤った方向へ導こうとしても、自分が選んだ道からそれてはなりません。しっかりと踏ん張りなさい。そうして初めて、あなたは名声と良い評判を手に入れるでしょう。これは学生への私のアドバイスです。

皆さんは、現代の教育を通して、職業で出世することのできる技能を教えられていますが、誰も皆さんに道徳教育を教えてはいません。道徳は、教育の最も重要な側面です。お金は入っては出ていきますが、道徳は入ると育ちます。ですから、道徳を養いなさい。それはあなたに社会からの尊敬をもたらすでしょう。

あなたがどこにいようとも、
森の中であれ、空中であれ、都会であれ、村であれ、
山の頂上であれ、深海の真ん中であれ、
神が、あなたの唯一のよりどころ

テルグ語の詩

高潔な性質を養いなさい。私があなたにすべてを与えましょう。それどころか、高潔な性質を養う人、そして、それらを教える人には、私自身を与えましょう。実際、私はそのような人々のためだけに生きているのです。私は彼らから何のお返しも求めません。徳のある高潔な生活を送りなさい。両親と母校とスワミに良い評判をもたらしなさい。

愛しい学生の皆さん! 皆さんは全員、高潔な性質を備えた人たちですが、ある程度、現代社会の影響を受けています。ですから、心を乱す影響力に打ち負かされてはなりません。何よりもまず、自分の五感を正しく使いなさい。あなたが出会う年長者全員を、自分の父や母として敬いなさい。あなたの思いと言葉と行動によって、良い評判を得なさい。

善良な仲間に加わり、善い言葉を話し、サムヤク ドリシティ〔正しい見方〕を養い、あなたの人徳を形成する善良な教育を受けることを追求しなさい。それこそが、私が学生の皆さんに期待していることです。実際、これは皆さんの両親も望んでいることです。子供が台無しにされるのを期待する父親や母親はいません。しかし、親は一種の遠慮から、子供に適切な助言を与えたり子供をきちんと正したりすることができずにいます。もちろん、私にはそのようなためらいはありません。ですから私は、私が命じていることを強調して、皆さんに、善いものを見なさい、善くありなさい、善いことをしなさい、と助言します。高潔な性質を養いなさい。ボーガ(享楽)ではなく、ティヤーガ(犠牲/手放すこと)こそが、あらゆる性質の中で最も高潔なものです。実際、ボーガ(享楽)は、あなたをローガ(病気)へと導きます。ヴェーダは次のように宣言しています。

ナ カルマナー ナ プラジャヤー ダネーナ
ティヤーゲーナイケー アムルタットワマーナシュフ

(行為によっても、子孫によっても、富によっても、
不滅の命は手に入らない。
不滅の命は犠牲によってのみ手に入る)

それゆえ、バンガール〔黄金〕たちよ! ティヤーガ(犠牲/手放すこと)といった高潔な性質を養いなさい。私は皆さんのためなら何でも犠牲にする覚悟です。しかし、皆さんも私の恩寵を受け取るにふさわしい立場にいなければなりません。私は皆さんのものであり、皆さんは私のものです。それが私たちの間にある関係であるべきです。スワミの愛を理解しようと努めなさい。この一切は、正しい道を歩むようにと、皆さんに助言しているのです。両親の願いに背いてはなりません。もし万が一、あなたの意見が親の意見と違ったら、愛をもって自分の見解を親に説明しなさい。両親も、あなたが親の気持ちを尊重してくれていることを嬉しく感じるでしょう。

ヴェーダは宣言しています。

マートゥル デーヴォー バヴァ、ピトゥル デーヴォー バヴァ
アーチャールヤ デーヴォー バヴァ、アティティ デーヴォー バヴァ

(母を神として敬いなさい、父を神として敬いなさい、
霊性の師を神として敬いなさい、客人を神として敬いなさい)

親に優しく穏やかに話しなさい。もし必要であれば、親を説得しなさい。私は、そのような学生のためなら、何でも犠牲にする覚悟があります。さまざまな学生が私たちの教育機関に入学してきます。中には学費を払えない学生がいるかもしれません。そのため、私たちは、サティヤ サイの学校ではすべての教育を完全に無料化すべきであり、学生からは一銭も徴収しないことに決めたのです。皆さんは、あらゆる心配から解放されて平安を楽しむべきです。善良な振る舞いをすることによってこそ、平安を手に入れることができます。今、いく人かの学生は、人生で良いことを味わいたいと願いながら、間違った方法に従っています。彼らは、砂糖を食べたいと望みながら、苦い丸薬を飲んでいるのです。彼らは、言っていることと別のことをしています。だからこそ、次のように言われているのです。

マナッスィエーカム ヴァチャッスィエーカム カルマンニェーカム マハートマナム
マナッスヤンニャト ヴァチャッスヤンニャト
カルマンヤンニャト ドゥラートマナム

(思いと言葉と行動が完全に一致している人は、高潔な人間であり、
思いと言葉と行動が一致していない人は、邪悪な人間である)

私は、思いと言葉と行動が完全に一致している学生が好きです。彼らのためなら、私は何でも犠牲にする覚悟があります。それどころか、そのような人々には私自身を与えるでしょう。

愛しい学生の皆さん! 皆さんは、間違っていると知りながら、あるいは、そうとは知らずに、過去に過ちを犯してきたかもしれません。しかし、少なくともこれからは、善良な性質を養い、いつも両親とスワミを幸せにし続けるよう努めなさい。

(スワミは小学校と中高等学校と三つのキャンパスから来た学生をお呼びになり、〔前日行われた〕スポーツ文化祭での学生たちの活躍を賞賛して、光り輝く銀のトロフィーを授与なさいました。)

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.37 Ch3