サティヤ サイババの御言葉

日付:2004年9月15日
場所:プラシャーンティ ニラヤムのサイ クルワント ホール
学生に向けた御講話より

若者には高潔な人々の教えが不可欠

苦行によっても、聖地巡礼によっても、
聖典の学習によっても、ジャパ〔唱名〕によっても、
人は輪廻の海を渡ることはできない
それは敬虔な人々に奉仕することによってのみ、成し遂げられる

(サンスクリット語の詩)

さまざまな高潔な人々が、さまざまな方法で神を崇拝してきました。苦行をしたり、慈善を行ったり、あるいは、自らの命さえ犠牲にした人もいます。世界中を行脚して聖典を教え広めることに身を捧げた人もいました。にもかかわらず、彼らは神の恩寵と愛を手に入れることができませんでした。なぜでしょうか?

サムサーラ サガローッタラ サッジャナ セーヴァナム ヴィナー
(高潔な善人に奉仕せずして輪廻の海を渡ることはできない)

高潔な善人や偉人に奉仕することによってのみ、人は苦行の力を獲得できるのです。無私の奉仕以外のどんな修行も、人に神性を獲得させることはできません。

愛は解脱のための王道

本校の学生たちのプンニャ(功徳)は実にすばらしいものです。学生たちはさまざまな高潔な人物のダルシャン〔姿を見ること〕、スパルシャン〔触れること〕、サンバーシャン〔会話を交わすこと〕を得て、その人物の恩寵を得ることができています。実際、バーラタでは多くの人がそうしたダルシャンとスパルシャンとサンバーシャンによって自らの人生を清めました。彼(アサラム バプー氏)は、遠路はるばるグジャラート州から我が校の学生に話をしに来るために、多くの困難を経験しました。この機会は学生たちの幸運です。彼は優しく愛に満ちたハートを持っています。彼の教えは本校の学生たちにとってとても重要なものです。カリの時代(最悪の時代/カリユガ)の影響により、信仰と帰依心が蝕まれ、不敬が昨今の風潮となってしまった時、そうした教えは最も必要とされるものです。とりわけ学生たちに正しい道を歩ませる上で、それは必要です。

普遍的な愛を育てなさい

親愛なる学生諸君! 高潔な人物のダルシャン〔姿を見ること〕、スパルシャン〔触れること〕、サンバーシャン〔会話を交わすこと〕のいずれかを得るだけでは、人生で成就を得ることはできません。これら三つすべてを獲得した時、あなた方は平安と至福を手に入れるでしょう。

人としての生涯を清めるためには、ナヴァヴィダ バクティ(九つの信愛の道)が不可欠です。それは、シュラヴァナム(神の栄光を聴くこと)、キールタナム(神の栄光を歌うこと)、ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)、パーダセーヴァナム(神の蓮華の御足に奉仕すること)、ヴァンダナム(神を崇敬すること)、アルチャナム(神仏の像を礼拝すること)、ダースヤム(神の召し使いとして奉仕すること)、スネーハム(神の親しい友人になること)、アートマニヴェーダナム(真我への全託)です。

人は自分の人生を、シュラヴァナム(傾聴)、マナナム(聴いたことの要点の反芻)、ニディディヤーサナム(聴いたことの憶念)によって、清めることができます。現代の学生の世代は非常に知的です。しかし、その知性を正しく使ったときにのみ、学生たちは自分の人生を救うことができるのです。そして、霊性は人生を清めることのできる唯一の道です! しかしながら、今の学生は知性を誤用して自分の時間を無益な論争に費やしています。

神の恩寵は愛を通してのみ獲得できるのであって、その他の方法では得られません。愛こそが王道(ラージャ マールガ)です。学生たちは、その王道を歩むことによって人生は清められる、という信念を持つべきです。

愛する学生諸君! 教育というのは単に本を読むことではありません。本を読むことで得ることができるのは、机上の知識だけです。どのような知識を手に入れようとも、それを実践しなければなりません。

もし神の恩寵を手に入れたいのなら、愛が王道です。人は、愛によってさまざまな力を獲得することができます。愛によってのみ、他者の心を勝ち取ることができます。人は、愛によって自然を制御することさえできます。霊性修行も、愛を通してのみ実り豊かなものにすることができます。心は決して、悪い性質、悪い思い、悪い仲間によっては制御できません。人間性は、神聖で無私無欲の愛によってのみ清めることができます。

どのような人においても決して減少することのない唯一の財産と力は、愛です。あなたが何人に愛を分け与えても、愛は減少せずに増大し続けるでしょう。ここで言及しているのは世俗の愛のことではなく、超越的な愛のことです。実の父親や母親を愛するのと同じように神を愛さなければなりません。愛はとても自然で自発的なものであるべきです。こうした愛に匹敵するものを見つけることはできません。

ですから、誰も皆、床から起き上がった瞬間から、再び床に就くまで、自分の生活を愛で清めるよう懸命に努力しなければなりません。人類同胞を愛し、自分の友人として扱わなければなりません。そうした普遍的な愛を育てることで、全世界は一つの家族として団結することができます。それは他の方法によっては不可能です。ですから、普遍的な愛を育てなさい。

親愛なる学生諸君! あなた方は教養を身に付けるために大変な努力をしています。その教養によって、あなた方はおそらく何冊かの教科書を読み、試験に行って合格し、学位を取得するかもしれません。けれども、その教養はすべてネガティブなものです。あなた方は、自分の中に隠れている神聖な愛、平安、慈悲、堪忍寛容といった性質を開花させる、ポジティブな教養を身に付けなければなりません。絶えず実践することで、それらの性質を熱心に養わなければなりません。

古い世代には、そうした高潔な性質を育てることによって自分たちの人生を清めた人たちもいました。もし人間の心(マインド)が変容されるとすれば、それは他の方法ではなく、ただ愛によってのみ可能です。心、心、心。皆さんは心がどのように機能するかを知っていますね。心は、常に変わり続け、非常に強力です。心は、愛以外のいかなる力によっても制御することは不可能です。

神は愛によってのみ獲得できる

親愛なる学生諸君! あなたの愛を神だけに捧げなさい。この世には、さまざまな目的のために愛を捧げる人たちがいます。たとえば、教育を習得するため、種々の芸術やスポーツや試合に熟達するため、特定の個人のために、愛を捧げている人などです。彼らは神性を獲得できたでしょうか? いいえ、できていません。あなた方は、一意専心の信愛で絶え間なく神を憶念することによってのみ神性を獲得することができる、という真理を悟らなければなりません。

それゆえ、愛する学生諸君! 愛というサイエンス〔学問の分野〕以外のいかなるサイエンスによっても神は獲得できない、という真理を悟りなさい。神は、愛には簡単に自らを与えます。ですから、愛によって神を手に入れなさい。この世には、愛よりも大きな力は存在しません。

この世のすべては悩みの種

生まれることは悩みの種、地上に生きるは悩みの種
この世は悩みの原因であり、死もまたしかり
幼年期はすべて悩みの種、老年期もまたしかり
人生は悩みの種、失敗は悩みの種
あらゆる行動と困難は悩みを引き起こす
幸福ですら、不可解な悩みの種

(テルグ語の詩)

もし神の恩寵を獲得することができたら、あなたの悩みの種はすべて取り除かれるでしょう。あなた方は世俗の教育を追求するかもしれませんが、それは何も間違ったことではありません。しかし、永続的で、不変で、永遠なる神聖な愛を獲得するには、自分の人生を犠牲にする覚悟がなければなりません。

何人かの偉大で高潔な人々は、世界中を行脚して、神聖な教えによって世界を向上させようと努力しました。もし、そうした偉人たちが生まれていなかったら、バーラタの国の運命はどうなっていたことでしょう! ですから、あなた方一人ひとりが、そうした偉人や年長者たちの理想を見習うべきなのです。彼らが言うことは何であれ、経典の引用として受け取らなければなりません。あなた方はおそらく、自分は英語を流暢に話すことができると考えて、自分は何でも知っている、と誇りに思っているかもしれません。うぬぼれと傲慢は最も忌むべき性質です。うぬぼれと傲慢はあなたを底知れぬ深みに陥れます。愛という性質によってのみ、人間は偉大になれるのです。

親愛なる学生諸君! ですから、愛を育て、神の恩寵を獲得しようと努力し、謙虚さ、信愛、神への信仰によって人生を聖なるものとすべきです。愛は、人間にとって唯一の避難所であり、人間を神へと連れていきます。幾人かの年長者は、ただ愛のみによってゴールに到達しました。彼らの手本に従いなさい。決して愛という富を失ってはなりません。愛をあなたの人生の第一の目的としなさい。あなた方にとって、愛はとても単純なものに見えるかもしれません。けれども、愛よりも大きな力は存在しないのです。愛は神です。神は愛です。ですから、愛に生きなさい。これが、あなた方が学ばなければいけないことです。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.37 Ch17