日付:2007年9月4日
場所:プラシャーンティ ニラヤム
クリシュナ神御降誕祭の御講話より
万物は真理より出現し、真理に融合する
宇宙に真理が存在しない場所があろうか?
この純粋で穢れなき真理を見よ
テルグ語の詩
人はシュッダ サットワ(純粋意識)とは何を意味するかを認識しなければなりません。皆さんは私が何度かヒランニャガルバ リンガを創造したのを目撃しています。ヒランニャガルバ リンガは純粋意識の象徴です。ヒランニャガルバ リンガは遍在です。
(ここでスワミは手を回してヒランニャガルバ リンガを一つ創り出し、その場にいた人皆に見せてくださいました。)
ごらんなさい、これはまさしくシュッダ サットワ(純粋意識)です。
この世に、欲望をもっていない人間はいません。人は皆、あれやこれやの欲望をもっています。この宇宙に、純粋意識が存在しない場所はありません。それゆえ、遍在なる純粋意識を特定の一つの姿に限定するのは間違いです。すべては純粋意識の具現です。純粋意識は原子のような極めて小さい形をとって、すべての人間の中に存在しています。
純粋意識は、アヴァター(神の化身)としてさまざまな時代にさまざまな姿をまといました。純粋意識は、クリタ ユガ(黄金時代、正法の時代)にはナラシンハ(人獅子)やヴァーマナ(小人)等々として顕現しました。それと同一の純粋意識が、トレーターユガ(銀の時代、正法の四分の一が欠ける時代)にはシュリ ラーマの姿をまとい、ドワーパラユガ(正法の半分が欠ける時代)にはシュリ クリシュナの姿をまといました。
トレーターユガのとき、シュリ ラーマは、妻としての理想的な生涯を送って人類に貞節の模範を示したシーターに付き添われました。シーターは、追放の身となって生活していたとき、そして、ランカーで10ヶ月の間とらわれの身になっていたときに、多大な困難に直面したにもかかわらず、決して平静を失うことがありませんでした。シーターはひとすじの信愛でラーマナーマ(ラーマという御名)にしっかりとしがみついていました。シーターは一瞬たりともぐらついたことはありませんでした。食べることも眠ることも完全に放棄して、シーターは絶えずラーマナーマを黙想していました。エーカートマ サルヴァ ブータンタラートマ(すべての生き物に宿っている唯一なるアートマ)であったシュリ ラーマ以外の姿を見ることなど、シーターにはできませんでした。シーターは鳥や獣にさえシュリ ラーマの姿だけを見ていたのです。
この唯一なるアートマ原理はヒランニャガルバと称されています。ヒランニャガルバは純金です。純金は常に24金と称されます。
神は16の側面を表すと常に言われてきました。それゆえ、神はプールナ タットワ(満〔まん〕の具現)と称されるのです。
プールナマダハ プールナミダム
プールナート プールナムダッチヤテー
プールナッスヤ プールナマーダーヤ
プールナメーヴァーヴァシシヤテー
(あれは満〔まん〕、これは満
満から満が生じ、満から満を取っても、常に満が残るのみ)
イーシャーヴァースヤ ウパニシャッドの一節
欲望は人を神に近づけさせない
ラーマが森に追放されていたとき、シーターを誘惑するために、羅刹のマーリーチャが金色の鹿の姿をとりました。シーターは、この世に金色の鹿などいるわけがないことを、よくわかっていました。けれども、シーターは『ラーマーヤナ』という神の劇での自らの役を負い、金色の鹿を手に入れたいという欲望を示して、シュリ ラーマに鹿をつかまえてほしいと頼んだのです。そこで、ラーマはシーターを喜ばせるために金色の鹿を追いかけて行かなければならなくなりました。このようにして、シーターがこの世のものへの欲望を募らせるやいなや、シーターは、ラーマ、すなわち神と離ればなれになりました。この世のものへの欲望を募らせれば募らせるほど神から離れていくというのは周知のことです。荷物を少なくして身軽になれば、旅は楽しいものとなります。ですから、私たちは欲望という荷物を減らさなければなりません。ラーマのそばにいるために、シーターは初めからずっと欲望を減らしてきました。ところが、金色の鹿への欲望を募らせたとたん、ラーマはシーターから離れて行きました。
シーターは別離の苦しみに耐えられませんでした。明けても暮れても、シーターはただひたすらラーマを黙想していました。シーターの心にはラーマ以外浮かびませんでした。このようにして、シーターは偉大なパティヴラター(貞淑な妻)となったのでした。最終的にラーマがラーヴァナを殺してシーターをとらわれの身から解放すると、ラーマはシーターを受け入れる前にシーターに試練を与えました。ラーマはシーターに、火の中に入って無傷で出てくるよう命じたのです。それから火の神がラーマの前に現れて、「シーターは偉大なパティヴラターである。シーターは、ただひたすら御身の御名を黙想し続け、他のことは一切何も考えなかった」と証言しました。なぜ、ラーマはシーターにそのような試練を負わせたのでしょう? それはただ、世界にシーターの貞操を知らしめるためでした。
後にラーマがアヨーディヤーの都に帰還して、王国を統治するようになったとき、一人の洗濯夫が、「シュリ ラーマは、十ヶ月間ランカーでラーヴァナのとらわれの身となっていた妃のシーターを引き取った。俺はそれほど愚かじゃない」と批判して、妻と口論になりました。その噂はラーマにも届きました。このときもやはりラーマはシーターを捨てることによってシーターを試しました。ラーマはシーターが偉大なパティヴラターであることを知っていましたが、シーターの貞節を世に知らしめるという決定を下したのです。シーターほど貞淑な者はいません。ラーマはシーターの貞節と信愛を世に証明したかったのです。
クリシュナは人格者だった
それに続くドワーパラユガでは、シュリ クリシュナがたくさんのリーラー(神聖遊戯)を行いました。けれども、クリシュナの神聖な性質を認識することのできた者は誰もいませんでした。ゴーピカー(牛飼い女)たちはシュリ クリシュナよりもだいぶ歳が上でした。クリシュナがゴーピカーを同行して神のリーラーを行ったとき、クリシュナは7歳の幼い少年でした。それらのリーラーには下心があるとか、みだらであると考えることなど、いったい誰にできるでしょう? クリシュナは、普通の7歳の少年が母親と戯れるのと同じようにゴーピカーたちと戯れただけでした。この真実を認識できないまま、人々はさまざまな誤解を生み出し、クリシュナに「ゴーピカーローラ」(乳搾りの女性との悪い戯れにふける者)というレッテルを貼りました。人々は、クリシュナの行動に下心があると考えて、クリシュナを侮辱しようとしました。実際には、前のアヴァター(ラーマ神)と同様に、クリシュナ神もさまざまな機会にリーラーを通して自らの神性を現して、模範的な人間性を立証していました。シュリ クリシュナは常に自らの人間性を保ち続けていました。ゴーピー(牧女)たち、そして、サティヤバーマーらクリシュナの八人の配偶者たちは、世界に神性と神のリーラーの栄光を言明するよう運命づけられていました。彼女たちを普通の女性と見なすべきではありません。クリシュナは自らが模範的な人格者であり、気高い性質の人でした。
信者を守護し、信者の心を変容させるという目的のために、神はさまざまな姿で化身します。ドワーパラユガには、神はデーヴァキーとヴァスデーヴァの祈りに応えてクリシュナとして化身しました。クリシュナはナンダとヤショーダーの家で育ち、絶えず二人を守護しました。クリシュナは悪魔のカムサを滅ぼし、幼なじみの信者クチェーラの切なる望みをかなえました。クチェーラはクリシュナ神の幼なじみでしたが、深刻な貧困に苦しんでいました。クチェーラは妻子に十分な食べものも与えられずにいました。そのため、クチェーラは、妻の勧めで、貧困からの救いを求めてクリシュナ神のもとに行きました。ところが、クリシュナ神を見るや、クチェーラは自分の訪問の目的を忘れて、こう言いました。「ああ、クリシュナ! 私は何も要りません。あなたは私のみならず、全宇宙を守護してくださっていることを私は承知しています。ダルマを確立し、人類を守護するという目的のために、あなたは化身なさったのです」
クチェーラは、次のようにクリシュナ神を激賞しはじめました。
あなたは、どんな描写も、人間の理解も超えています
あなたの栄光と輝きを測ることなどできましょうか?
私はずっと、あなたの恩寵を待ち続けてきました
おお、主よ! 私の祈りを聞いて、私をお救いください
あなたはご自分の師の亡き息子を蘇らせたお方です
あなたは大蛇カーリヤを退治し、ヴァスデーヴァとデーヴァキーを解放し、
ドラウパディーを辱めから救ったお方です
あなたはクチェーラの願いをかなえ、醜いクブジャーを美しい姿に変えました
あなたはパーンダヴァ兄弟を守護し、1万6千人のゴーピカーたちを救いました
あなたは、どんな描写も、人間の理解も超えています
クリシュナよ! ブラフマー神でさえ、あなたの栄光を表現することはできません
私はずっと、あなたの恩寵を求めて祈り続けてきました
テルグ語の歌
神を一つの名と姿に限定してはならない
神はエーカートマ スワルーパ(唯一にして不可分なる神聖原理の化身)です。神に匹敵するものは存在しません。神はあらゆる姿をまとい、すべての体に浸透しています。
イーシュワラ サルヴァ ブーターナーム
(神は万物の内在者)
イーシャーヴァースヤム イダム ジャガット
(全世界は神で満ちている)
神を一つの特定の名と姿に限定して、さまざまに描写しはじめるのは、実のところ、人間の弱さです。たとえば、シュリ ラーマとして化身した神聖原理の話を取り上げてみましょう。ラーマの父親の名はダシャラタでした。ダシャラタという名前の内なる意味は何でしょう? ダシャラタは、10(ダシャ)のインドリヤ(5つの感覚器官と5つの行動器官)という馬にひかれる馬車(ラタ)を意味します。
カウサリヤーはダシャラタ王の第一王妃でした。ダシャラタには他にスミトラーとカイケーイーという二人の妃がいました。カウサリヤーは女児を産み、シャーンターと名づけられたその子は、別の王のところに養女に出されました。その後、カウサリヤーには子どもができませんでした。当時の家訓では、夫は第一夫人が承諾しなければ次の妻をめとることはできませんでした。そのため、ダシャラタ王はカウサリヤーに第二夫人としてスミトラーを娶る許可を得ました。スミトラーという名前には、「あらゆる人にとって良い友人」という意味がありました。スミトラーは清らかな心をもっていました。ダシャラタ王のために男児を産むことは、スミトラーにもできませんでした。そこで、ダシャラタ王は、娘のカイカー(カイケーイーの別名)を妃にもらいたいという要望を携えて、ケーカヤ国の王のもとに行きました。すると、王は、カイカーが産んだ息子がアヨーディヤーの王として即位することを約束するよう、ダシャラタに要求したのです。王はこう求めました。「ああ、ダシャラタ王よ、あなたにはすでに二人の妃がいらっしゃる。今、あなたは三度目の結婚をお望みだ。いったい何のために? それは王国を統治することのできる息子をもうけるためではありませんか? そうであるなら、私の娘に生まれた息子をアヨーディヤーの王にすると約束していただけますか?」
ダシャラタ王は約束を交わすことを躊躇して、後で返答すると言いました。ダシャラタ王はすぐに二人の妃のもとへ行き、こう尋ねて意見を求めました。「そなたらは、私が今めとりたいと思っているカイカーに生まれた息子をアヨーディヤーの王にさせるという条件をのむか? 二人共この条件に同意するか?」
カウサリヤーとスミトラーは共に快くそれに同意しました。二人はダシャラタ王に告げました。「王国を統治することができる息子をあなたがもうけるのなら、私たちは幸せです」 そこで、ダシャラタ王はケーカヤ国の王に条件をのむことを伝え、王の娘のカイカーと結婚しました。ダシャラタ王はカイカーを連れて王国に戻ってきました。
ダシャラタ王は、息子に恵まれるようプットラ カメーシティ ヤグニャ(男児を授かるための供犠)を行いました。すると、ヤグニャクンダ(護摩壇)からヤグニャプルシャ(供犠を受け取るお方)が現れて、ダシャラタ王の妃たちに食べさせるようにと、神聖なパヤサム(米の甘いミルク煮)の入った器を王に手渡しました。ヤグニャプルシャはダシャラタ王に、パヤサムは三人の妃に均等に分け与えるようにと指示しました。ダシャラタ王はパンディット(学僧)たちの立ち会いのもと、それを均等に分配しました。
カウサリヤーとカイケーイーはパヤサムを受け取ることをとても喜びました。カウサリヤーはダシャラタ王の妃の中で一番年上だったので、カウサリヤーに生まれた息子がアヨーディヤーの王になるのはもっともなことでした。また、カイカーに生まれた息子を将来の王にさせるという約束を、ダシャラタ王が結婚前に父王と交わしていたので、カイカーにも王位継承を主張する資格がありました。一方、スミトラーにはそのような要望はありませんでした。スミトラーは自分に分け与えられたパヤサムを受け取ると、それを自分の館のテラスの城壁の欄干の上に置きました。スミトラーはちょうど頭を洗ったばかりだったので、髪を(太陽で)乾かしてから食べようと思ったのです。当時は今と違って電気扇風機もドライヤーもありませんでした。その間、一羽の鷲が空から急降下してきて、スミトラーの分のパヤサムが入った容器を奪っていきました。鷲はその器をアンジャナー女神(風の神の妃)の住む山の上に落としました。アンジャナーはその器を拾い、喜んでパヤサムを食べました。その結果、アンジャナーにハヌマーンが生まれたのでした。
パヤサムの器を失ったことで、スミトラーは大変気落ちしました。スミトラーはテラスから降りてカウサリヤーに事の次第を報告しました。すると、カウサリヤーはこう助言しました。「おお! 愛しい妹よ! みじめに思う必要はありません。私のパヤサムを分けてあげますよ」
カイカーも同じように、自分のパヤサムを分け与えると約束しました。当時の妻たちの間には、これほどの愛があったのです。カウサリヤーとカイケーイーはそれぞれ自分のパヤサムをいくらかスミトラーの器に盛りました。それから三人は、プローヒタ(司祭僧)のところに祝福をもらいに行きました。プローヒタは、「パヤサムを食すのは、そなたらにとって最も吉兆な瞬間である」と述べて、三人の妃を祝福しました。三人の妃はプローヒタの言うとおりにパヤサムを食べました。
ダシャラタ王の第一王妃、カイケーイーは息子を一人産み、その子はラーマと名づけられました。カイケーイーも息子を一人産み、その子はバラタと名づけられました。一方、スミトラーはというと、二人の妃、カウサリヤーとカイケーイーから分け与えられたパヤサムのおかげで、二人の息子を産みました。ほどなくして、スミトラーは自分に二人の息子が生まれたわけを理解しました。
その名のとおり、スミトラーは高潔な品性の女性でした。スミトラーは、カウサリヤーに分けてもらったパヤサムから生まれた息子、ラクシュマナは、常にラーマに従うべきだと決めました。同じように、カイケーイーから分けてもらったパヤサムから生まれたもう一人の息子、シャトルグナは、バラタに仕えるべきものとしました。スミトラーは二人の息子をそばに呼んで、それに応じるようにと指示しました。母親の祝福をもって、それ以来、ラクシュマナはラーマの誠実な追随者となり、シャトルグナはバラタに従いました。このようにして、四人の兄弟は幸せに時を過ごしていました。ラクシュマナは一時もラーマから離れられませんでした。シャトルグナも同じで、バラタと共にいることを切に望んでいました。
ダシャラタ王の命令によってラーマが森へと歩を進めはじめたとき、自分の意志でラーマについて行こうと最初に決めた人物は、ラクシュマナでした。バラタとシャトルグナはそのときアヨーディヤーにいませんでした。
あるとき、ラーマとラクシュマナがダンダカーランニャ(ダンダカの森)を歩いていると、ラクシュマナが急に気落ちして、ラーマに言いました。「愛しい兄上、どうして我らが森に追放されることなどあるでしょう! どうして我らに、アヨーディヤーを離れて、この森で数々の困難に遭う必要があるのですか? さあ、アヨーディヤーに戻って、心地よい暮らしを送ろうではありませんか」
ラクシュマナのこの奇妙な言動のわけを知っていたラーマは、愛情深くラクシュマナの手を取って言いました。「ラクシュマナ、結論を急いではいけない。さあ、私といっしょに来なさい」 そう言うと、ラーマはいくらかの距離を歩いてラクシュマナをその場から連れ出しました。すると、ラクシュマナは平静を取り戻しました。ラクシュマナは自分の過ちに気づき、ラーマに許しを請いました。するとラーマは、ラクシュマナをなだめて言いました。「いいかい、あれはおまえの考えではなかった。あれは我らがたった今通ってきた場の影響によるものだ。この森にはラークシャサ(羅刹)が何匹もうろついている。羅刹たちの悪魔的な性質がおまえに入り込んだのだ。私はおまえの心がとても神聖で清らかであることをよく知っている」
さて、ラーマとラクシュマナとシーターが、川岸の森の、果実のなる木々に囲まれた美しいパルナシャーラ(小屋)で生活していたときのことです。辺りを金色の鹿が往来しはじめました。シーターはその美しさに魅せられて、金色の鹿を手に入れて飼いたいという欲を募らせました。シーターは、鹿をつかまえてパルナシャーラに連れてきてほしいとラーマに頼みました。ラーマはその頼みを聞き入れて鹿を追い、シーターを守るようにとラクシュマナを置いていきました。鹿はラーマとかくれんぼをするかのようにして、ラーマを森の奥深くに連れていきました。もはやそれ以上鹿が逃れられなくなったとき、ラーマは鹿に矢を放ちました。その金色の鹿は、シーターからラーマを引き離すために鹿の姿をとったマーリーチャにほかなりませんでした。マーリーチャは死に際にラーマの声を真似て、「おお! ラクシュマナ! おお! シーター!」と大声で叫びました。
その言葉を聞いたシーターは動揺し、行ってラーマに何が起こったのか見てくるようにとラクシュマナに言いました。ラクシュマナは、ラーマには何の危険も降りかかってはおらず、安全だと説明し、シーターを納得させようとしました。けれども、シーターは納得しませんでした。シーターは、すぐに行ってラーマを捜してほしいとラクシュマナに懇願しました。シーターは辛らつな言葉さえも使いました。「ああ! ラクシュマナ! おそらくあなたは、ラーマが死んだら私を自分の妻にしたいと望んでいるのでしょう」
ラクシュマナは、シーターの吐いた言葉に耐え切れず、ラーマを捜しに行くことに決めました。しかし、出て行く前に、ラクシュマナはパルナシャーラの周りに線(結界)を引いて、シーターに言いました。「ああ、母様! 私はラーマを捜しに行きます。ラーマも私も、あなたを守るためにこのアシュラム(庵)にいることはできなくなりました。それゆえ、私はあなたに、どんな状況においても決してこの線を越えないようお頼みします」
シーターはそれに同意しました。ラクシュマナがその場を離れるやいなや、ラーヴァナがやって来て、とても空腹なのですと言って食べ物を請いました。シーターは「空腹」という言葉を聞くと、とてもかわいそうに思いました。シーターは空腹な人に食べ物を施すのは自分の義務であると判断しました。そうして、シーターはラーヴァナを招き入れました。けれども、ラーヴァナはラクシュマナ レカー(ラクシュマナの結界)を越えることを非常に恐れました。ラーヴァナは危険を冒して線を越えることはせずに、「空腹だ、空腹だ」と叫び始めました。そのため、シーターは自らがラクシュマナ レカーを越えることを強いられ、ラーヴァナに食べ物を施すために出て行きました。そのとたん、ラーヴァナはシーターをさらい、自分の馬車に乗せました。
ラーマとラクシュマナがパルナシャーラに戻るころには、シーターはどこにも見えなくなっていました。そこで、ラーマはラクシュマナに、どうしてシーターを独り置いて自分を捜しに来たのかと尋ねました。ラクシュマナは答えました。「おお、兄上、シーターは私にひどい言葉を浴びせ、私はその毒舌に耐えることができませんでした。ラーマが死んだときにはシーターを自分の妻にしようという考えを抱いているといって、シーターは私を非難したのです」
シーターが口にしたその辛らつな言葉を聞いて、ラーマは深く傷つきました。ラクシュマナが自分の母親同然に接しているシーターが、ラクシュマナにそのような毒舌を浴びせることができるなど、ラーマにはとても信じることができませんでした。ラクシュマナはその当てこすりに耐え切れず、それだけのためにシーターをアシュラムに独り残してラーマを捜しに出かけたのだと、ラーマは理解しました。実際、ラクシュマナがアシュラムを離れた後、シーターもラクシュマナへの自分の言動に深く心を痛めて、嘆き悲しみました。
ああ! ラクシュマナ! 私の愛しい義理の弟よ!
私はあなたにひどい言葉を言いました
ああ! 高潔な品性をもつ者よ!
あの言葉に耐え切れず、
あなたは深く傷ついて、私から離れて行ったのですか?
テルグ語の詩
シーターは自分にふさわしからぬ言動を許してほしいと請いました。けれども、哀しいかな、起きたことは、すでに起こってしまいました。もはや損傷は与えられてしまいました。ラーヴァナはシーターを誘拐し、さらって行きました。
その後、シーターをとらわれの身から救うため、ラーマはラーヴァナと戦いました。激しい戦いが続きました。ある日、戦いの最中にラクシュマナが倒れて意識を失いました。蘇生(そせい)の薬草でラクシュマナの意識を取り戻すことができるよう、ハヌマーンがサムジーヴィンという草を採ってくる任務に就きました。ハヌマーンは山のどこにその薬草があるのか探すことができなかったので、山ごと持ち上げて、戦場に戻っていきました。
ランカーに戻る道中、ハヌマーンはアヨーディヤーの都の上を通りました。都の住人は、山を丸ごと運んでいる猿はいったい何者なのかと驚きました。そのとき、バラタは兄のラーマのこと、森での生活のことを心配して、独り憔悴していました。バラタはハヌマーンが手のひらに山を載せて空を移動しているのを見て、ラークシャサが邪悪な任務を遂行しているところに違いないと推察しました。バラタは弓をつかみ取り、ハヌマーンめがけて矢を撃ちました。たちまちハヌマーンは、甲高い声で「ラーマ」と叫びながら落下しました。バラタはハヌマーンに駆け寄って、ハヌマーンの任務と、それが急を要するものであることを聞きました。ハヌマーンはバラタにこう告げました。「おお、気高きお方よ! ラーマ様はシーター様をとらわれの身から解放するために、ラーヴァナと戦っている最中です。ラクシュマナは戦場で倒れて意識を失い、その息を吹き返させる可能性を求めて、ラーマ様の指令により、私が戦場にこのサムジーヴィンの山を運んでいるところです。どこに蘇生の薬草があるのか探し出すことができなかったので、私は山ごと運んでいるのです」 バラタは自分の性急な行為を悔やみ、ハヌマーンは再度任務に就きました。
ラクシュマナの母、スミトラーもその出来事を知ることとなりました。それは少しの間スミトラーを悲しませましたが、すぐにスミトラーは平静を取り戻しました。スミトラーはとても気高い女性でした。これまで誰も『ラーマーヤナ』のスミトラーの品性を説明しようとする者はいませんでした。スミトラーは自らを慰めたのみならず、カウサリヤーにこう助言もしました。「ああ、姉上、ラーマがラーヴァナとの戦いの最中だということを悲しく思う必要はございません。シュリ ラーマは並の人間ではありません。ラーマは全世界を征服して治めることのできる偉大な戦士です。ですから、ラーマはご自分でラクシュマナを守ることでしょう」
そうしている間に、ラクシュマナの妻、ウールミラーも出来事を知ることとなり、夫がラーマの神聖な配慮と守護のもとにいることを嬉しく思いました。ウールミラーも、気高く勇気ある女性でした。ラクシュマナがラーマに付き添って森に向かったとき、ウールミラーはラクシュマナにプラナーマ(平伏)を捧げて、こう助言しました。「私のことを考えて時を無駄にしてはなりません。終始ラーマへの奉仕に従事していてください。わずかでもご自分の義務を怠ってはなりません」 そのとき、ウールミラーはラーマの戴冠式のスケッチを描いているところでした。ウールミラーの高潔はそれほどのものだったのです。
このように、ラクシュマナの母スミトラーと、妻のウールミラーは、どちらも偉大で気高い女性でした。もっぱら、そのような気高い女性のおかげで、ラーマ、ラクシュマナ、バラタ、シャトルグナの四兄弟は、幸せで安全でいたのです。
ハヌマーンは、その場に集まっていた人々とバラタに、こう言って別れを告げました。「近いうちに、ラーヴァナは戦場で負かされて、私たちは皆、無事にアヨーディヤーに帰還するでしょう」 バラタはラーマとラクシュマナとシーターの所在に関する知らせをアヨーディヤーの都の全員に広めました。誰もがラーマとラクシュマナとシーターの無事を喜び、その知らせを運んできたハヌマーンに感謝しました。
ハヌマーンは高く上げた手のひらの上にサムジーヴィンの山を載せて運び、すぐに戦場の上空に現れました。ハヌマーンは着地し、ラクシュマナは蘇生の薬草の助けで息を吹き返しました。その後、ラーマとラクシュマナとヴァーナラ(猿)族の長が戦場に集まって、ラーヴァナとその軍隊を打ち破る戦略を練りました。
争いの最中、ラーヴァナの息子のメーガナーダ(インドラジットの別名)も勇ましく戦いましたが、後に殺されました。さあ、ラーヴァナの番がやってきました。ヴィビーシャナの助言により、ラーマはラーヴァナの臍のすぐ下に一本の矢を放ち、その二分後にラーヴァナは息絶えました。それがラーマ対ラーヴァナ大戦の終焉でした。
ラーヴァナが倒されたという知らせは、ハヌマーンによってシーターに伝えられました。シュリ ラーマの指令により、シーターはヴァーナラたちの敬意と敬愛の中、ラーマの御前に連れて来られました。シーターを一目見ようと、ヴァーナラたちは互いの肩の上を跳びはねていました。それから、ヴァーナラたちはシーターの前にひれ伏して、とても幸せな気持ちになりました。
いよいよ、シーターが最愛の主に会う時がやってきました。シーターはゆっくりとラーマのほうに歩いていきました。シーターがすぐ近くに来たとき、ラーマは、火の中に入って無傷で出てきてからでなければ、シーターを受け入れるわけにはいかないと宣言しました。ラーマの指令により、ヴァーナラたちはその儀式で火をつけて燃やすために、乾燥した木切れと燃料を集めてきました。
さあ、火がつけられました。シーターは火のまわりを回り、それから、火の中に入る前にこう言って誓願を立てました。「ああ、神聖な捧げものの受け取り手よ! 私は思いによっても言葉によっても行動によっても、私の主、ラーマ以外の者を心に抱いたことはありません。私は大地の娘であり、ラーマの貞淑な妻です。もし、そうであるならば、私を無傷でこの火から出させ給え」
そう言うと、シーターは火の中に入りました。すると即座に火の神がシーターを連れて現れて、ラーマの御足にシーターを捧げて言いました。「おお、ラーマ、あなたは全知なる主、シーターの清らかな心をよくご存知だ。なのにどうしてシーターの純潔がわからなかったのか?」
ラーマは宣言しました。「いかにも、私はシーターがどれほど清らかで貞淑であるかを知っています。それでも、私には世界にシーターの清らかさを知らしめる責任があるのです。シーターの穢れなき人格を世界に証明するためだけに、私はシーターに火の中に入って無傷で出てくるよう命じたのです」
シーターが無傷で火の中から出てくると、そこに集まっていたヴァーナラと他の者たち、そして天上の神々は拍手喝采し、天の太鼓とラッパを響かせて喜びを表現しました。シーターはすべての人に敬意を示すお辞儀をしました。ラーマは何歩か歩み出てシーターの手を取り、シーターを自分の近くに引き寄せました。
その後、プシュパカという空飛ぶ馬車(ヴィマーナ)が運び込まれ、バラタがラーマとシーター、ラクシュマナ、スグリーヴァ、ヴィビーシャナをそのヴィマーナに座らせて、アヨーディヤーに連れて行きました。アヨーディヤーの人々は、十四年という長い間見ることのなかった親愛なる主ラーマと愛情深いシーターを、大喜びで迎えました。人々は一行を歓迎するために花輪を持ってきましたが、どこにラーマがいるのかわからずに、まごついてしまいました。御者として目の前に座っていたバラタが、14年という年月、絶えずラーマを黙想していたために、どこもかしこもラーマそっくりだったからです。
ヤッド バーヴァム タッド バヴァティ
(思いのとおりに、結果は生じる)
バラタはすぐに人々の注意をラーマ本人へ向けさせました。アヨーディヤーの人々はラーマにいくつもの花輪を掛けて、喜んでラーマを都に迎え入れました。人々は歓喜して踊り歌い、「ラーマ! コーダンダ ラーマ!」という歌をうたいました。そして、ついに、シュリ ラーマはアヨーディヤーの王に即位しました。
これが『ラーマーヤナ』の物語です。ラーマナーマ(ラーマの聖なる御名)のエッセンスは、並ぶもののない類まれなものです。これは無比なる真理です。ラーマは決して自分の言葉に反しませんでした。ラーマの言葉は真実でした。ラーマの言葉とラーマが歩んだ道はとても吉兆なものでした。アヨーディヤーの人々は良心的にラーマの言葉に従い、ラーマが示した道を歩み、自分たちの人生を神聖化しました。皆さんはラーマの物語が何万年も前の時代のものだということを知っていますね。それほど長い時が過ぎたにもかかわらず、人々はなおもラーマナーマを唱えています。バーラタ(インド)にラーマ寺院のない村やラーマナーマが唱えられていない村はありません。ラーマナーマは普通の名前ではありません。ラーマナーマはとても神聖です。
親愛なる学生の皆さん! 皆さんはさまざまな物語を読みました。それらはどれも単なる物語です! 一方、ラーマの物語は非常に神聖です。ですから、皆さんはいつもラーマナーマを唱えていなさい。これが今日、私が皆さんに手渡したい贈り物です。
今日は神聖なクリシュナアシュタミの日(クリシュナの誕生日)です。この日にラーマナーマを唱えることもまた、とても重要です。ラーマ アヴァターとクリシュナ アヴァターの神性は違いません。どちらのアヴァターも同じ神聖原理を表しています。ですから、どんな御名を選んでもかまいませんから、絶えずその御名を唱えていなさい。「ラーマ クリシュナ」と唱えることもできます。あるいは、スワミ(サティヤ サイ ババ)への愛を込めて、「サイ ラーマ」や「サイ クリシュナ」と唱えることもできます。皆さん何らかの学問を追及し、高い学位を取るかも知れませんが、神の御名を唱えることをやめるべきではありません。神の御名を忘れるべきではありません。ただ神の御名を唱えるだけで十分です。それは皆さんにサムサーラ(輪廻)の海を渡らせてくれるでしょう。それは皆さんをあらゆる悲しみと困難から救ってくれるでしょう。御名は橋のようなものであり、それを渡ればどんな場所にも行くことができます。
サイババ述
翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.40 C17