日付:2008年11月22日
場所:プラシャーンティ ニラヤム、サイ クルワントホール
サティヤ・サイ大学第27回卒業式における御講話
バーラタ(インド)の国は、さまざまな国で名声を得た偉人たちの母国
バーラタの国は、外国の戦士たちが退散し外国の統治からの自由を得た戦場
バーラタの国は、学識において高名を得た
バーラタの国は、音楽、芸術、文学、諸科学において偉大な知識人を輩出した神聖な国
これほど偉大な国に生まれたのだから、
ああ、青年男女よ、この国の正義を守り貫く責任を負う責任はあなた方にあるのだよ
(テルグ語の詩)
バーラタの名声と幸運は本当に大きく、世界のいくつかの国がさまざまな災害に直面している中、バーラタはびくともせずにいます。バーラタは多種多様な富を豊かに授かっている国です。
忍耐は、この神聖な国バーラタの真の美
あらゆる供犠の中でも、真理を貫くことは最も偉大な苦行
この国にある甘美な思いは、母親への愛の思い
命そのものよりもはるかに高い価値が、人格に置かれている
人は、この偉大な文化の根本原理を忘れ去り、西洋文化の模倣をしている
ああ、哀しや! 巨象がおのれの強さに気づいていないように
バーラタ人は自らの文化遺産の偉大さに気づいていない
(テルグ語の詩)
有史以来ずっと、バーラタは物質と知識の豊かさにおいて卓越しています。バーラタは偉大な王や高潔な支配者によって統治されました。貞節で知られる幾人かの女性たちはこの国で生まれました。サーヴィトリーは死んだ夫サティヤヴァンタ〔サティヤヴァット〕を貞節の力で
このバーラタの国は、あまたの気高い女性を生んできた
亡き夫を甦らせたサーヴィトリー
真実の力で野火を鎮火したチャンドラマティー
燃え盛る炎から無傷で現れ
貞節の力で
この敬虔で高潔な国が、豊かさと繁栄を遂げ、世界のあらゆる国の教師となったのは
このような貞節な女性のおかげ
(テルグ語の詩)
ところが、悲しいことに、今、この偉大なバーラタの国に生まれた多くの人々が、些細なことに屈し、そそのかされています。人々は分別がなく、悪いことに耳を傾け、振る舞いまでも悪いのです。何という堕落でしょう! 今のバーラタ人は自分の強さに気づいていない象と同じです。象は尻尾を一振りするだけで、人を払いのけて何メートルも飛ばすことができます。象はそれほど強いにもかかわらず、象使いの命令に謙虚に従います。象は象使いの望みどおりに行動します。それと同じように、今のバーラタ人は部外者の指図に身を任せ、部外者の奴隷となっています。バーラタ人の生き方は、
サッティヤム ヴァーダ ダルマム チャラ
(真理を話し、ダルマに従う)
というヴェーダの指示にのっとった、真理と正義に条件付けられたものです。実に、真理と正義はまさにバーラタ人の宝です。残念なことに、今、バーラタ人はこの偉大な価値を忘れ、それゆえ自国の中で奴隷になってしまいました。バーラタ人の生活様式は変化を被り、真理と正義の居場所がありません。本当のことを言いますが、この世にバーラタを征服できるものはいません。バーラタ人は偉大な人間的価値、すなわち、
一人ひとりが、「私は誰か?」と自分の本性を探求しなければなりません。内から生じるその答えは「私は人間だ」というものです。この答えに加えて、「私は動物ではない」と自分に言い聞かせなければなりません。それが皆さんの本性です。自分を人間と見なすなら、人間性を示さなければなりません。人間性とは何でしょう?
まず第一に、
サッティヤンナースティ パロー ダルマ(ハ)
(真理を貫くこと以上に偉大なダルマはない)
と言われています。
ナーヤマートマ バラヒーネーナ ラビャフ
(アートマの意識は弱い心のためのものではない)
と言われています。人はこの世のあらゆるものを信じていますが、自分自身を信じていません。真我への信頼があれば真我への満足が生じ、真我への満足があれば、真我への犠牲と真我の悟りが生じます。土台がしっかりしていれば壁は安全であり、壁が安全であれば屋根は安心だというのは周知のとおりです。そのような家で、初めて人は無事に暮らすことができます。今、土台がしっかりしていません。それでどうやって壁が安全な状態を保っていられるでしょう? 人間の土台は真我への信頼であり、真我への満足が壁であり、真我への犠牲が屋根であり、真我の悟りが人生です。ですから、これら四つは完全無欠であるべきなのです。
見境なく技術を使うことで、空気も水も食べ物も、世界中のすべてが汚染され、毒されています。幸いにも、バーラタの国はこの世界規模の汚染を免れています。私たちは科学や技術を追いかけるべきではありません。人間性を欠いた科学は人間の存在そのものに対する大きな危機をはらんでいます。人間の力よりも大きな力はありません。中には「神はどこにいるのか?」と問う人々もいます。答えは簡単です。人間自身が神であり、あなたは神に他ならないのです。ヴェーダは宣言しています。
チャンドラマー マナソー ジャータハ
(月は至高の存在の心から生じた)
チャクショーッ スールヨー アジャーヤタ
(太陽は至高の存在の目から生じた)
〔「プルシャ・スークタム」より〕
本当の強さは私たちの内なる自己から生じます。この強さは無比のものです。
教育や知能があるにもかかわらず
愚かな人は真の自分を知らず
卑しい心をもった人は
自らの邪な性質を手放そうとしない
現代の教育は人を論争へと導くだけで
完全な英知へとは導かない
不滅へと導くことのない教育を身につけて何の役に立つのか?
自分を不滅の存在にしてくれる知識を得よ
(テルグ語の詩)
今の教育は、英知へと発達する真の知識を提供していません。ただ生計を立てるのに役立つだけです。今の教育は、ものを得ることと富の誤用を助長します。さまざまな方法で得たお金で、人々は高い教育を受けさせるために若い青年を外国に送ります。その目的のために何十万ルピーも使います。自国に帰ってくるまでに、子どもたちは完全に駄目になっています。以前ちょっとした出来事がありました。学問を修めに外国へと旅立つ息子をインド人の両親が寺院へ連れて行き、こう助言しました。「かわいい息子よ、この神様はありとあらゆる人の母であられます。宇宙の母であられます。おまえは決してこの母なる神を忘れてはなりません。どこに行っても絶えることなく母なる神を黙想しなさい」。両親は息子からそれを行う約束を取り付けました。そして青年はアメリカに発ちました。ひとたびアメリカの地を踏むと、青年は母なる神のことなどすっかり忘れて、新しい環境にどっぷりと浸かりました。三年が経ち、アメリカ式の生活にすっかり慣れた青年は、母国バーラタに帰ってきました。両親は母なる神のダルシャンを受けさせるために、空港から直接青年を前と同じ寺院に連れて行きました。寺に入るや否や、青年は神様に
私は私を憎む人に出会ったことがなく、今まで敵は一人もいません。私がありとあらゆる人を愛するために、すべての人が私を愛します。しかしながら、人々は私の愛を正しく理解していません。私の普遍的な愛ゆえに、遠くの国の人たちさえ私のところにやって来ます。そうであれば、どうして私が外国に行く必要があるでしょう? 一部の人は私の愛を誤って理解し、誤って解釈しています。中には、何らかの機会に私が望みを聞き入れて恩恵を施さなかったからといって、私に反感を抱く人々さえいます。実際、もし、私が望みを聞き入れたら、彼らは霊性の道において進歩するでしょうか? いいえ、決してしません。反対に、彼らは駄目になります。だから私は、少年少女に子どものときから適切な制限を設けておくことを望むのです。皆さんは、私たちの教育機関には露ほども私を憎む者はいないということを見ることができます。学生は皆、私の周りに集まってきて、「スワミ! スワミ!」と愛をもって呼びかけます。キャンパスを訪れた後に私が出て行くと、学生たちは涙を浮かべて別れを告げます。どこか別の教育機関で同じ状況を見ることがありますか? よそのカレッジや大学は学びの寺院として機能していますか? よその教育機関では両親がわが子を訪れても当然の敬意を払いません。親は神聖です。バーラタ文化は人々をこう促しています。
マートル デーヴォー バヴァ! ピトル デーヴォー バヴァ!
〔母を神として敬いなさい! 父を神として敬いなさい!〕
父親は神です。母親は神です。人は誰もが神の化身です。実際、全宇宙は神です。この偉大な真理に気づかずに、私たちは「この人は私の敵だ、この人は私を冷遇する」と言って、相手に憎しみを抱きます。
ヤッド バーヴァム タッド バヴァティ
(思いの通りに結果は生じる)
愛は愛を生み、憎しみは憎しみを生みます。自分を助けてくれた人を助けるのは普通のことです。しかし、自分を害しようとした人にも、その過ちを顧みずに慈しみ深く助けを施すのは、サイだけです。皆さんは自分を害そうとした人さえも愛さなければなりません。それが真の人間らしさです。皆さんはそのような人間性を育てなければなりません。どんな人に出くわしても、その人を神の化身として扱いなさい。
ダイヴァム マーヌシャ ルーペーナ
(神は人間の姿をとっている)
と言われています。皆さんはさまざまな姿の神の絵姿を見ているでしょう。そうした神は人間の姿で描かれています。ラーマ、クリシュナ、他の神々、すべての神はもっぱら人間の姿をとっています。皆さんはさまざまな名前と姿の神と関わりを持っているかもしれませんが、すべては
エーカートマ サルヴァ ブータンタラートマ
(唯一なる
と言われています。人は子どものころからそのような気高い感情を育てなければなりません。それは難しい仕事だと思うかもしれません。いいえ、こうした平等心ほど容易なものはありません。敵だと思っている人が自分に近づいてきたとします。あなたはその人に
近いうちに、全世界は団結します。実に、28年後に世界はバーラタになるでしょう。誰もが自分をバーラタ人(バーラティヤ、神々しさが染み込んでいる人―バガヴァット ラタ)と呼ぶようになるでしょう。自分はこの州の者だ、あの州の者だ、自分はこの地方の者だ、あの地方の者だなどと言う人は誰もいなくなるでしょう。皆さんはどこの国に行ってもかまいませんが、自分はバーラタの国の者だと言いなさい。たとえば、カルナータカ州やタミル・ナードゥ州といったものがあるかもしれませんが、それらはすべて、より大きなバーラタ国の一部です。バーラタの国がなければ、州は存在できません。あなた方は皆、後にも先にもバーラタ人です。ですから、自分はバーラタから来たと言いなさい。さまざまな州は言葉や地理を考慮して作られました。けれども、州はどれも一つの国、バーラタの一部です。私たちは皆、ただ一つの政党に属しています、それは愛という政党です。愛、愛、愛だけです。愛をあなたを導く力として保持していれば、どの国に行こうとも、人々はあなたを敬い、自分の兄弟姉妹と見なし、必要な助けをすべて施してくれるでしょう。愛は利己心のないことです。人間は決して利己心を持ってはなりません。しかしながら、人々は自発的に、利己心、憎悪、怒りといった悪い性質を育てています。それらは人間が自分で育てた特性であり、神に与えられたものではありません。神は人間にただ一つ気高い性質を授けました。それは愛です。愛は永遠です。体力や勇気や武勇が愛の力に匹敵することは、決してあり得ません。シーターが
サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ
〔すべての世界のすべてのものが幸せになりますように〕
と絶えず祈っていなさい。皆さんが祈らなければならない祈りはこれだけです。そうすれば、すべての国の、すべての人が幸せになり、平安に満ちるようになるでしょう。私はあなた方全員を愛しています。私には敵はいません。私を憎む人は誰もいません。時折、私は声を高めて厳しく話すことがあります。しかし、それは表面だけのことです。私は誰にも悪意を抱いてはいません。ですから、もし、皆さんがスワミの掲げた理想に従い、すべての人を愛するなら、皆さんの人生は聖化されるでしょう。皆さんの両親、兄弟、姉妹、親戚、友人は幸せを感じるでしょう。
サイババ述
翻訳:サティヤ サイ出版協会
出典:http://www.sssbpt.org/Pages/83-birthday/convocation_DD_22112008.htm